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境界線の街  作者: ヒビキ
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20/22

馴染んだ痕跡

朝。


広いベッドの片側で目を覚ましたカナデは、隣へ静かに目を向ける。

そこには誰の痕跡もない。

ただ冷えた布団があるだけ。

起き上がってベッドルームを抜け出し、歯を磨くために洗面台へ向かう。

乾いた歯ブラシが二人分。

一方を手に取り、減り具合の落ちた歯磨き粉をつけて歯を磨く。

ふと気紛れにランドリーバッグへと視線をやる。

そこに入っているのは、昨日の自分の痕跡だけ。


歯を磨き終えてリビングへ向かい、アイランドキッチンの一角に佇む冷蔵庫を開ける。

減らない炭酸水とゼリー飲料が並ぶ棚を数秒眺め、ゼリー飲料をひとつ取り出しドアを閉める。



「……」



言葉はない。

これが物語であればきっと、感傷の滲む言葉のひとつも吐かせていただろう。

そんなことをふと思う。

だがこれはただの現実だ。


淡々と、独りでいる時間をただ認識する。

立ったまま飲み終えたゼリー飲料のパッケージをゴミ箱に捨て、カナデはコーヒーを淹れるため豆を挽く。

慣れた力加減、小気味よい音。

自分好みに挽いた豆をコーヒーメーカーのフィルターへ放り込む。

水は一人で飲める量だけ。

スイッチを押し、稼働させる。

棚を開けてマグカップを取り出そうとした指が少しだけ迷う。

手癖で二つ取り出しかけた陶器のそれを、自分の分だけ、取り出した。


室内に響く抽出音はどこかいつもより大きくて、少し耳障りに鼓膜を揺さぶる。

環境音をノイズと捉えるようになったのは、いつからか。

自分で立てる音さえも場合によっては耳に障る。

イヤホンを出すべきか迷って、やめた。

コーヒーの抽出が終わる。

待っていた時間はいつもと変わらない。

二杯分抽出したコーヒーのポットから半分をマグカップへと注ぎ、残りはヒーターの役目も担うホルダーの上へ戻す。

今日はまだ電源を落とさない。


ソファに座ってコーヒーを一口飲む。

吸殻を捨てた際無自覚に中央へ置いたらしいローテーブルの灰皿はそのまま。

机上に転がる煙草の箱はふたつ。

開きっぱなしの蓋が空になったことを示す箱を一瞥する。

手を伸ばしかけて、やめる。

それはそこにあるのが相応しいと思った。


コーヒーを飲みきって自分の煙草に手を伸ばす。

蓋を開けて一本咥え、ジッポの炎で先端を炙る。

揺らめく紫煙が空中で溶けて消える。



「……」



言葉の代わりに煙を吐く。

時折灰皿へ灰を落とし、どこか空虚な時間を過ごす。

いつもよりほんの少しだけ雑味を感じる煙草の香り。

特定の状況下に置かれた自分がその雑味を感じるようになったのは、既にいつからだか分からない。

静けさの溜まる部屋の中で、短くなった煙草を灰皿へと押し付ける。

再び立ち上がって残りのコーヒーをマグカップに移そうとした、その刹那。


かち。


静かに、けれど確実に玄関の鍵が回る音がした。




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