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境界線の街  作者: ヒビキ
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19/22

その頃の二人

ポケットからキーホルダーひとつ付いていないディンプルキーを取り出し、鍵穴に差し込んで、回す。

鍵の開く音が廊下に響く。

続いて空気が揺れる気配。

主のいない部屋に上がり込む影。

その髪は窓からの月明かりに照らされて仄かに白い。

鍵を閉め、ドアの隣を手で探って照明を点ける。

暗めに設定された暖色のLEDが淡く室内を照らしだした。


アイビーは静かにジャケットを脱ぎ、冷蔵庫へと真っ直ぐ向かう。

換気扇と冷蔵庫の駆動音の中でドアを開いて、複数本転がる炭酸水を一本取りだし静かに閉めた。


広いリビングに物音だけが響く。

足音。

ソファの革が僅かに軋む音。

炭酸水の封を切る音。

火輪が回り煙草が着火される音。

ゆらり、紫煙が立ち上る。

部屋の主は、まだ帰ってこない。



─────



数時間後。

鍵の回る音が静寂の中に響く。

明度の低い落ち着いた照明の中、白銀の頭がローテーブルでノートパソコンと向き合っている。

その頭に短く一言だけかける。



「……来てたのか」

「……ああ」



会話はこれだけ。

慣れきった光景。

カナデはそれ以上何も言わない。

ジャケットを脱ぎ、コート掛けに手を伸ばす。

先にかかっていた黒いジャケットとは別の位置にかける。

カナデが普段叩くキーボードとは違う、もっと軽くて小さな音が束の間室内を支配する。



「……俺の炭酸水」

「……ある分だけだ」



滞在期間中に不足したら買えよ、と言外に語りながらカナデはソファの定位置に座る。


カキン。


愛用のジッポの蓋を開ける音。

咥えた煙草の先端に火を点け、隣からアイビーのノートパソコンを覗き込む。

そこに広がるのは情報の奔流。

いくつも開かれたウィンドウを眺め、カナデは徐に一点を指差す。



「……そこミスってる」

「打ったやつに言え、俺じゃねぇ」



あからさまに意味の違ってくる漢字の誤用。

珍しいと思ったが他者の打ったものであれば納得もいく。

眼鏡越しの視線が画面からアイビーの手元に落とされる。

治りかけの生傷が残る、傷跡だらけの手。



「……お前」

「……何だよ」

「…………なんでもない」



それきり黙って煙草を吸う。


……沈黙。


軽い打鍵音だけが響く。

カナデは短くなった煙草を灰皿で揉み消し、少し渇いた喉を中身が半分程度に減った炭酸水で潤す。

それから静かに立ち上がる。

あの進捗だとアイビーの仕事はまだ終わりそうにない。

この部屋に持ち込んでいる以上、恐らく急ぎのものなのだろう。


ベッドルームから着替えを持ち出し、黙ってバスルームへと向かう。

ドアの開閉音。

アイビーは反応しない。

間もなくシャワーが床を叩く音が、打鍵音に紛れて響き始めた。




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