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転生人語 ー紫の語りー  作者: 岩田 ヒロ
夕顔(ゆうがお)

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見えない糸の匂い

 若い頃は異性の匂いに敏感だ。身体のどこかがそっと反応してしまう。本人たちは気づいていないが、二人は気づかぬうちに、お互いの匂いと仕草を心に深く刻みつけてしまうのだ。


 そんな“見えない糸の匂い”に導かれた一人の女性がここにいる。


 ***


 中学一年の時だった。仲良しの男の子と学校の帰り道。夕焼けが完全に消える直前の、あの薄い青の時間だった。私たちはベンチに座り、雑誌を二人で見ていた。ちょっと背伸びした内容で、私は彼がどんな反応をするか確かめたかった。「男の子と女の子の違い」なんて、今思えば少し挑発的だった。


 彼はまじめに読んでいて、どこか落ち着かない。私は自慢げに女の子の身体のことを説明してあげた。多分、彼は何も知らない様子だったので、お姉さん気取りで雑誌に書いてあることを話した。


 あまりに熱心に説明したので、少し汗ばんだ私は、汗が匂ったらいやだなと一瞬思った。その時だった。彼の動きがふっと止まり、呼吸が浅くなった気がしたそそして、私をじっと見つめる。


「大丈夫? 具合悪い?」と聞いたが、彼は何も言わず、私から目をそらした。その瞬間、彼の方から ふっと爽やかな“気配” がした。私にとって初めての感覚だった。 

 私の汗の匂いとは違う。その気配のせいで、私の身体から力が抜けていくような気がした。まるでさっき彼の動きが止まり、呼吸が浅くなったのと同じことが、私にも起こっているようだった。


 彼が「帰ろっか」と優しく言ったので、私も「うん」と雑誌を手提げにしまい、立ち上がった。その時、少しふらついた私を、彼は肩で支えてくれた。気づけば、彼の胸元がすぐそこにあった。


 *


 大人になった今、好きな男性が熱い目で私を見つめてくれると、私の身体から力がすっと抜けるのを感じることがある。それは、私たちの本能が異性に反応する、素晴らしい衝動だと思う。そんな時、あの中学一年のことを思い出すのだ。私と彼は、あの頃すでにそんな衝動を味わっていたなんて。なんてませていたのだろう。


 私はその衝動を「見えない糸の匂い」と呼んでいる。あの時の彼が今でもその衝動によって幸せになっていることを願うし、少しでも私との中一のことを思い出してくれればなぁと思う。


 ***


 そもそも、恋というものは人の意思よりも先に、本能みたいなものが相手を選んでしまう。そして、言葉よりも理屈よりも、匂いや気配、仕草が二人を結びつけてしまうのだ。


 昔、ある若い君がいた。まだ恋の痛みも深さも知らない頃、彼はふとした気配に導かれて、一人の少女に心を惹かれた。その気配は、彼女が彼の前に立つときだけ、ほんのわずかに感じる匂いだった。その匂いを感じると、彼の身体の動きが止まり、呼吸が浅くなり、彼女をじっと見つめてしまうのであった。


 やがて二人は離れた。けれど彼に刻まれた匂いの記憶だけは消えなかった。彼は大人になり、多くの女性と付き合い、あの頃の彼女の匂いが何だったのか、ようやく分かってきたようだ。そして、恋人ができるたびに、あの若い頃の記憶を思い出すのであった。


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