届かない告白
まったく、男と女というものは、どうしてこうもどかしいのだろう。言えば届くかもしれないのに、言わなければ永遠に届かない。そんな簡単な理屈を前にして、どちらにも踏み出せずに立ち止まる。
光の君もそうだったし、今の若者も同じだ。壊れるかもしれない未来を怖がって、壊れないかもしれない希望を信じきれず、胸の内で言葉を握りつぶす。見ていて、我慢ならない。言いたいなら言えばいいのに、言ってほしいなら受け止めればいいのに。
恋というものは、どうしてこう、肝心な一歩だけが踏み出せないのか。まったく、困ったものだ。
***
「今日、歩くの遅いね」
彼女がそう言った。夜の道は少し湿っていて、街灯の光が薄く反射していた。
「そうかな」
「そうだよ。なんか、言いたいことあるの」
「え、分かる?」
「なんとなく。もじもじしてる感じがするよねぇ、何?」
「言ったら壊れるかもしれない」
僕は彼女に今日こそ告白しようと思っていた。
「何それ」
「分からない。でも、何かが」
彼女は立ち止まった。影がふたつ、少し離れて伸びた。
「ねえ、壊れるかもしれないって言うけどさ」
「うん」
「壊れないかもしれないよ?」
「分かってる。でも、怖い」
彼女は分かっているのだろうか。僕の気持ち。
「怖いの?」
「君を失うのがいちばん怖い」
これって、もう告白だよなと思った。
「失わないよ」
「言い切れる?」
え、じゃあ、オッケーっていうこと?
「言い切れない。でも、離れないかもしれない」
「その“かもしれない”を信じていいのかな?」
「信じてみれば」
彼女の声が少し熱を帯びた。どうしよう。あー、男の子なのにな、僕。
「今日、言おうとしてたんでしょ?」
「してたよ」
「じゃあ、早く」
「ちょっと怖くなってきた」
彼女に強制されてるような気がする。
「君の横顔が綺麗すぎて」
「壊れるかもしれない」
「壊れないかもしれない」
「その“かもしれない”が怖い」
「意気地なし」
彼女は僕を見た。距離が、いつもより少し近かった。
「今日、言わなかったら、後悔するかもよ」
「そうかな」
僕たちはしばらく黙って歩いた。
しばらくして彼女が言った。
「ねえ、今日のこと、忘れないでね」
「忘れないよ」
「じゃあ……いいや」
彼女は少し笑った。その笑顔が、今日の夜のすべてを静かに包んだ。
僕はその優しい笑顔を胸の奥にしまった。しまったまま、言えなかった言葉をそっと閉じた。
***
そもそも、恋というものは「言えば変わる」「言わなければ変わらない」という単純な仕組みで動いている。にもかかわらず、人はそのどちらにも踏み出せず、胸の内で言葉を握りつぶす。壊れるかもしれない未来を怖がり、壊れないかもしれない希望を信じきれず、ただ立ち止まる。昔も、今の若者も、まったく同じだ。
光の君が初めて“届かない恋”を知った夜も、まさにそうだった。空蟬の部屋に忍び寄り、言葉を選びかけた瞬間、彼はふと迷った。言えば近づける。言わなければ、今の距離を壊さずに済む。その逡巡のあいだに、空蟬は気配を察し、衣だけを残して姿を消した。残されたのは温もりの抜けた衣だけで、触れたかった心はどこにもなかった。あの夜、光の君は「言えなかったこと」がどれほど後悔したことか。
空蟬は、拒んだわけではない。ただ、壊れる未来を恐れた。光の君もまた、壊したくない気持ちに縛られていた。二人の沈黙が重なった結果、言葉はどこにも届かず、衣だけが残った。恋というものは、こうして形だけのぬけがらを残すことがある。
届かない告白は、いつの時代も同じだ。言えば壊れるかもしれない。言わなければ壊れないかもしれない。けれど、壊れるかどうかなんて誰にも分からない。分からないまま胸にしまい込んだ言葉は、静かに灯り続ける。空蟬が残した衣の温度のように、消えないまま、そっと心の奥に残るのだ。
読んで頂き、ありがとうございます。
評価と応援よろしくお願いします!
ほぼ毎日更新しています。フォローして頂けるとうれしいです。




