四年ぶりに会ったら、君はもう少女じゃなかった
社会人一年目の春。僕は毎朝、満員電車に押しつぶされながら会社へ向かっていた。名刺交換は噛み、電話は噛み、資料は作り直し。新人らしい失敗を一通りこなしていた頃だ。そんなある昼休み、横断歩道で背後から声がした。
「先生?」
聞き覚えのある声なのに、僕は振り返っても誰だか分からなかった。白いブラウスに淡いスカート。髪は肩より少し長く、ゆるく巻かれている。姿勢も、歩き方も、雰囲気も――完全に“大人の女性”だった。こんな美人さんは知り合いにいないはず、だから僕は、まったく気づかなかった。
「あの、先生ですよね?」もう一度呼ばれて、ようやく目が合った。その瞬間、胸の奥がひっくり返った。まさか……
「……え? もしかして……愛子ちゃん?」彼女は嬉しそうに笑った。
「はい。せーかーい。短大一年になりました。先生、気づかなかったんですか?」気づくわけがない。四年前は中学三年生。あどけなさの残る少女だった。
でも今目の前にいるのは、 “少女”ではなく、完全に“女性”だった。中三と短大一年。 たった四年なのに、女の子はこんなにも変わるのかと、僕は言葉を失った。
「ごめん……全然分からなかった。大人になったね」
「そうですか?変わってませんよ。先生だって、変わってないですよ」その笑顔に、僕の心臓は久しぶりに大きな音を立てた。
*
それから僕たちは、自然と連絡先を交換した。最初の食事は、会社帰りのカフェだった。
「先生、社会人って大変ですか?」
「まあ……慣れるまではね。でも、なんとかやってるよ」彼女は僕の話を、昔と同じように真剣に聞いてくれた。その視線は、尊敬と信頼が混ざったような、あの頃のままの目だった。
僕は気づいてしまった。四年前より、ずっと彼女が綺麗に見える。そして―― 僕はもう、彼女を“生徒”として見られない。
「また会える?」
「もちろんです。先生と話すの、好きでしたから」その言葉に、僕は飛び上がってしまいそうな気持ちを隠すのに苦労した。家庭教師していてよかったと本気で思った。
*
それから何度も会った。映画、カフェ、横浜の海沿いの散歩。僕はデートのつもりだったが、愛子ちゃんはいつも自然体で、どこか“先生と生徒”の延長のような距離感だった。
ある日の映画帰り。僕は思い切って言った。
「愛子ちゃん、さ……僕のことどう思っている?」彼女は少し驚いた顔をして、すぐに優しく笑った。
「先生、私……先生のことは好きですよ。でも……」
「でも?」
「なんていうか……先生は、私の“理想の大人”なんです。恋愛っていうより……憧れ、みたいな」胸が少し痛んだ。僕は恋として見ているのに、彼女はまだ“尊敬”のままなんだ。もうお互い大人の男と女なんだけど……。
*
それでも僕は諦めなかった。なぜなら、彼女と別れた後も常に僕の頭の中は彼女のことばかり考えていたからだ。
ある日、横浜の海沿いを歩いていたときのこと。
「愛子ちゃん、今日こそは……」
「はい?」
「いや、その……僕と、こう……」
「先生、風強いですよ。前髪すごいことになってます」
「……あ、うん」僕の告白は、海風に吹き飛ばされた。
別の日。カフェで向かい合って座ったとき。
「愛子ちゃん、僕は……」
「先生、ラテの泡ついてます」
「……あ、ありがとう」僕の恋は、ラテの泡に消えた。
さらに別の日。夜景の見える公園で。
「愛子ちゃん、僕は君のこと……」
「先生、ハンカチ落としましたよ」
「……あ、うん」僕の想いは、ハンカチと一緒に地面に落ちた。
全部、空振り。僕は人生で初めて、恋のバッターボックスで三振を量産していた。
*
夏の終わり、僕はもう一度だけ踏み込んだ。
「愛子ちゃん。僕は……君のことが好きだよ」彼女は静かに目を伏せた。
「先生……ありがとう。でも、今はまだ……恋愛とか、よく分からなくて」その返事は、優しい拒絶だった。僕は笑ってごまかしたが、胸の奥がじんわりと痛んだ。
それでも、彼女は僕との関係を切ろうとはしなかった。連絡は続き、会えば笑ってくれる。ただ、恋の距離だけが縮まらない。
僕は思った。四年前、彼女を育てたのは僕だ。その自負が、僕を余計に彼女へ向かわせる。けれど、彼女はまだ僕を“先生”と呼ぶ。その呼び方が、嬉しくて、苦しかった。先生と生徒で出会った僕たちは恋人には発展できないのだろうか。
*
秋が深まる頃、愛子ちゃんは就活の準備を始めた。僕は仕事に追われながらも、彼女の相談に乗り続けた。その時間が、僕にとっては恋そのものだった。
そして、二年後。彼女が社会人になり、僕がさらに忙しくなる頃。僕たちの関係は、もう一度大きく揺れることになる。
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