習慣になった関係
この世界では、恋ではなく“習慣”として続く関係があるようだ。そもそも、人は心より先に行動が癖になることがある。光の君も、千年前の都で、心より先に手紙を書く癖がつき、それが恋かどうか分からぬまま続いたことがあった。
今夜は、現代の若者が見せた“習慣の力”を覗くことにしよう。
***
彼女との関係は、恋ではなく習慣だった。毎日連絡を取るのが当たり前になり、連絡が来ないと少しだけ落ち着かない。でも、会いたいかと言われると、そこまで強い気持ちがあるわけでもない。
「今日、仕事どうだった?」
夜の九時になると、彼女からメッセージが届く。それはほぼ毎日のことだった。
「まあまあかな。そっちは?」
「疲れたけど、なんとか」
そのやり取りは、恋人のようで恋人ではなく、友達のようで友達でもない。僕たちは会おうと思えば会える距離にいるのに、会う話題はほとんど出なかった。
ある日、彼女が言った。
「毎日話すの、なんか不思議だよね」
「そうだね」
「でも、やめる理由もないよね」
「うん。ないね」
その“やめる理由がない”という言葉が、
僕たちの関係の本質だった。
*
彼女はよく、他愛もない話をした。
「今日、会社の人がさ……」
「ランチで変な店入っちゃって……」
「帰り道で猫見たよ」
その話は、僕にとって特別ではなかった。
でも、聞くのが嫌ではなかった。僕も同じように話した。
「今日、上司がさ……」
「コンビニで新しいコーヒー見つけた」
「雨すごかったね」
そのやり取りは、習慣として続いていた。恋ではない。でも、ゼロではない。その曖昧さが、僕たちの距離を決めていた。
*
ある夜、彼女が言った。
「ねえ、これって何なんだろうね」
「何って?」
「毎日話してるけど、会わないし、別に好きとかそういう感じでもないし」
「うん」
「でも、話さないと落ち着かないんだよね」
僕は少し考えてから言った。
「習慣なんじゃない?」
「習慣?」
「うん。歯磨きみたいなもの」
彼女は笑った。
「ひどい例えだね」
「でも、そんな感じじゃない?」
「まあ……そうかも」
その笑い方は、恋の笑い方ではなかった。でも、嫌な笑い方でもなかった。
*
ある日、彼女から連絡が来なかった。夜の九時になっても、十時になっても、スマホは静かだった。僕は何度か画面を開いたが、通知はなかった。
「どうしたんだろう」
そう思いながら、僕はスマホを伏せた。翌日、昼休みに彼女からメッセージが届いた。
「昨日、寝落ちしちゃった。ごめん」
僕は返信した。
「大丈夫だよ」
その“寝落ちしちゃった”という言葉に、僕はなぜかほっとした。習慣が途切れると、少しだけ不安になる。でも、再開されると、すぐに元に戻る。それが習慣の関係だった。
*
ある夜、彼女が言った。
「ねえ、もし私が急に連絡やめたらどうする?」
「どうするって?」
「困る?」
僕は少し考えてから言った。
「困ると思う」
「なんで?」
「習慣だから」
彼女は少し黙って、それから言った。
「じゃあ、やめないほうがいいね」
「うん。やめないほうがいい」
その会話は、恋人の会話ではなかった。でも、他人の会話でもなかった。習慣として続く関係は、終わる理由がないまま続く。でも、続く理由もないまま続く。その曖昧さが、僕たちの距離を決めていた。
*
またある日、彼女が言った。
「ねえ、もし会ったらどうなると思う?」
「どうだろうね」
「壊れるかな」
「壊れるかもね」
「じゃあ、会わないほうがいいね」
「うん。会わないほうがいい」
僕たちは会わないまま、習慣として続く関係を選んだ。恋ではない。でも、ゼロではない。その薄い影が、僕の生活に静かに残った。
僕はスマホを伏せて、部屋の明かりを落とした。
静かな夜だった。
*
そもそも、習慣として続く関係は、恋よりも静かで、淡いが、少し強い独占欲が働くようだ。光の君にも、心より先に“文を書く癖”がついた相手がいた。それが藤壺である。立場ゆえに会うことは叶わず、ただ毎夜同じ時刻に文を送り、返事が来れば胸が少しときめき、来なければ落ち着かないでいた。
そのやり取りは恋の形をしていながら、実際には“習慣”として続いていた。習慣の恋は、千年前も今も、人の心にちょっとした独占欲と衝動を起こすように私は思う。
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