転生人語 #041 ―小さな罰の意味―
人は昔から、思いがけない不運に出会うと、それを自らの行いへの“報い”だと考えてきた。
時代が変わっても、この癖はなかなか消えない。
人間というのは、出来事に意味を見つけずにはいられない生き物なのだ。
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僕は嫌なことが起こると、つい「これは神様の戒めかもしれない」と考えてしまう。
飲み会の帰り、会社のスマホが無くなっていたことがあった。
店に電話しても見つからず、自分のスマホからかけても電源は切られている。
「拾われて電源を落とされたな」と悟り、警察や会社に連絡し、使用停止の手続きをした。
当然、会社では始末書だ。
その時、僕はこう思った。
最近の僕は調子に乗っていた。注意も散漫だった。
だから神様が“お前、気をつけろよ”と軽く叩いてくれたのだと。
それから僕は気持ちを引き締め、仕事も人間関係も丁寧に扱うようになった。
それ以来、スマホもノートPCも失くしていない。
もう一つは車の事故だ。
なんでもない交差点で左折した時、低いガードレールに擦ってしまった。
十年無事故だった僕には衝撃だった。
その時も思った。
運転に慢心していた僕を、神様が“そろそろ気をつけろ”と止めてくれたのだと。
***
そもそも、君の行動と出来事に因果関係があるわけではない。
それでも人は、偶然に意味を与え、そこから学びを拾い上げようとする。
小さな罰に意味を見つけ、次の一歩を整える。
人間は、そうやって何度でも立ち上がる生き物なのだ。
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