母の手
桐壺更衣という女は、静かな気品と深い情を宿しながら、宮中の嫉妬に耐え続けた人である。光源氏の母として、彼の幼き心に最初の愛と孤独を刻んだ存在でもある。帝に深く愛されたがゆえに周囲の妬心を招き、身を細らせてゆくその姿は、儚さと気高さが同居する。彼女の影は、源氏の生涯を通して消えることなく、物語に静かな哀しみを添えている。
人は生まれ変わるたびに誰かの子どもとしてこの世に降り立つ。 そこには母や父が存在した。そして自分が年を取ると、その母や父が老いて、旅立つときが来る。 子どもとして生まれ、親が旅立つのを見送るという繰り返しが続く。前世の記憶は霧の向こうのように曖昧だが、手を握りながら別れを迎えたことだけは、私たちの手の中に“感覚”として残っているようだ。
今日、「僕」は初めて老いた母の手を握り返し、その記憶がふっと蘇ったようだった。
***
母が転んだと電話があったのは、梅雨入り前の蒸し暑い午後だった。 買い物帰りに段差を踏み外し、膝を強く打ったらしい。救急車を呼ぶほどではなかったが、念のため病院で検査を受けることになった。 父は相変わらず耳が遠く、状況をうまく説明できない。僕は仕事を切り上げ、急いで実家に向かった。
*
病院での診察は幸い骨折もなく、打撲だけで済んだ。 ただ、医師が言葉を選びながら言った。
「少し認知機能の低下が見られます。年齢的にも、今後は注意してあげてください」母は「大丈夫よ」と笑ったが、その笑顔がどこか頼りなく見えた。
帰り道、病院の駐車場からタクシー乗り場までの短い距離を一緒に歩いた。 母はゆっくりと歩き、たまにつまずきそうになる。 僕は自然と手を差し出した。母も自然に僕の手を握った。その瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
ああ、この手だ。 僕を育ててくれた手だ。しわくちゃで、小さくて、軽い手。こんなに小さかったっけ――そう思ったら、涙がこぼれそうになった。
*
小学校の頃、僕は身体が弱かった。熱を出して休んだとき、母は冷たいタオルを替えながら、ずっとそばにいてくれた。自転車の後ろに乗せられ、病院に行ったこともあった。あの日の母の手は大きく、僕の手を包んでくれた。母は僕にとって世界で一番安心できる場所だった。その母の手が、今は僕の手にすがるように握っている。 時の流れは残酷だ。
*
タクシーに乗り込むと、母がぽつりと言った。
「最近ね、買い物のメモを忘れちゃうの。前はそんなことなかったのにねえ」
「誰だって忘れることはあるよ」と言いながら、僕はタクシーの中でも手を握ったままでいた。母の手は昔より細く、皮膚は薄く、体温もどこか弱々しい。 それでも僕の手を握り返す力だけは確かにあった。
そのとき僕はふと、前にもこうして年老いた母の手を握ったことがあるような――そんな記憶の影を思い出した。 母の小さな手を握る感覚を、僕はどこかで知っている。
「どうしたの?」 母が不思議そうに僕を見た。
「いや、なんでもないよ」笑ってみせたが、その声は震えていた。
*
家に着くと、父が玄関で待っていた。
「大丈夫だったか?」
「ちょっと転んだだけよ」と母が答える。 そのやり取りがいつもの二人で、僕は少し安心した。
けれど、心の中で覚悟が芽生えた。 母も父も少しずつ老いて、弱っていく。 僕が支える側になるのだ。それは避けられない現実だ。靴を脱ぐ母の背中に声をかけた。
「お母さん、ゆっくりでいいからね」
「はいはい」と母は言った。 でも、その背中は確かに小さくなっていた。
*
夜、実家を出るとき、母が言った。
「今日はありがとうね。来てくれて助かったよ」
「また来るよ。何かあったらすぐ電話してね」
「気をつけて帰れよ」父がこんなことを言ったのは初めてだった。
玄関を出た瞬間、胸の奥に重いものを感じた。 親は永遠じゃない。 今日ほどその現実が鮮明に迫ってきた日はなかった。
「生んでくれてありがとう」なんて恥ずかしくて言えない。 でも、生きているうちに言っておかなければいけないとも思った。
***
そもそも、人は老いという現実を、なぜこんなにも恐れるのだろう。 昔は若々しかった母の手が、小さく、弱々しく感じると、心が重くなる。 年老いて旅立つのは順番なのに。
光の君は若い女性が病に倒れ、看取ったことがある。 自分より若い者が旅立つことほど悲しく、理不尽なことはない。
老いによる旅立ちは、心の準備だけしておけばよい。 そう思えるだけ、まだ救いがあるのかもしれない。
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