18、さよならは、きっとこんな音
ピッ、ピッ。
改札の音が鳴る。
その前には、人の列。
スーツの人。
制服の二人。
ラフな格好の人たち。
足早に、改札へ吸い込まれていく。
俺はそれをぼんやり見ていた。
「……なんか、人が多いね」
隣で佳奈が言う。
小さなつぶやき。
「夕方だからな」
彼女の横顔を見て、その細い手を握り直す。
佳奈の手は冷たい。
「ふふっ」
少し笑った佳奈が、俺の手を握り返すから、ふと、昔のことを思い出した——。
小学校からの帰り道。
田んぼのあぜ道の横の細い用水路。
その上に古いコンクリートの板が橋のように渡してあった。
「……怖いよ」
「大丈夫だって」
渡れば近道のその橋の前で、佳奈は立ち止まった。
「本当に落ちない?」
「落ちるわけないだろ」
俺がちょいっと先に渡る。
そして、振り返ると、彼女はまだ動かない。
俺は小さく息を吐く。
「だって……」
俺は戻って、佳奈の手をつかんだ。
「ほら」
佳奈は少しむくれる。
でも、ぎゅっと握り返してきた。
ゆっくりと橋を渡る。
佳奈の小さな震えが伝わってくる。
少しずつ、少しずつ。
渡り終えて、俺は佳奈に聞く。
「大丈夫だっただろ?」
「……うん」
佳奈はほほえんだ。
今日も握り合う手。
だけど、もう佳奈は震えていない。
彼女の反対の手には、小さなキャリーケース。
その場でくるくると回している。
「向こう行ったらさ」
言った佳奈は、こちらを見ない。
「忙しくなると思うの」
「大学がか?」
「うん。あとバイトとかもあるし」
言い終えてから、俺を見る。
俺は目をそらして、改札の向こうを見た。
ピッ、ピッ。
改札は絶え間なく鳴っている。
改札の向こうを見ながら、佳奈の手を少し強く握る。
「ねぇ」
佳奈が言う。
「そんな顔しないでよ」
「してない」
「してるって」
佳奈がくすっと笑う。
アナウンスが流れている。
改札の上の時計が時を刻む。
その下で、楽しそうに笑い合う高校生たち。
ガゴっ。
ひとつの改札が閉じる。
遮られた人が戸惑って、慌てたようにもう一度カードをかざす。
ピッ。
すぐに、流れが戻る。
また改札を通る人たち。
立ち止まっている俺たちの横を、すり抜けていく。
「じゃあ、もう行くね」
「……そうか」
「送ってくれて、ありがとう。元気でね」
佳奈の手の力が抜けて、俺もそれに答えるように力を抜く。
手がすっと離れる。
ゆっくりと歩いていく。
それを見ていた。
その場から動けずに。
ピッ、ピッ、ピッ。
俺の横を通る人たち。
たまに、俺を振り返る。
改札の手前で、佳奈が振り返る。
ガゴッ。
キャリーケースが彼女の膝に当たって、勢いで少し転がる。
佳奈はそれをちらっと見て、その場に置き去りにして、こっちに走ってきた。
「おい」
言い切る前に、佳奈が俺を抱きしめた。
「なんで泣くのよ」
「泣いてない」
「じゃあ、私が泣いてるの」
佳奈が小さく言う。
「向こうに行っても」
俺は言う。
「困ったときは電話しろよ」
「うん」
「夜中でもいい」
「うん」
「困ってなくても」
彼女が俺の背中を、ぽん、ぽんと軽く叩く。
「大丈夫だよ」
その声は、落ち着いていた。
佳奈が腕を解いて、離れる。
一歩、二歩。
後ずさった彼女が、あの日みたいにほほえんだ。
「大学に行ったら、辛いこともあると思う」
「うん」
「だが、大抵のことは過ぎてしまえば、笑い話だ」
「それは、私がコンクリートの橋を怖がって話?」
佳奈が、ふふっと笑う。
「あの頃はまだ小さかったのにな」
「じゃあ、行くね」
「そうだな」
「もう、お父さんは心配しすぎだって」
「いや、だがな」
「夏休みには帰ってくるし」
「……わかった」
俺はうなずく。
「行ってきます」
「おう、気をつけてな」
置き去りにされていたキャリーケースを拾って、それを転がしながら歩いていく佳奈。
人の流れに乗って、改札にカードをかざす。
ピッ。
改札を通過したあとで、佳奈が振り返る。
いつもの笑顔で手を振る。
カラカラとキャリーケースの音が遠ざかる。
もう一度、佳奈が小さく振り返る。
それから、彼女の背中が人の流れに消える。
ピッ、ピッ。
さっきと同じ駅。
さっきと同じ音。
人が改札を通る音。
ピッ。
その音だけが、残っていた。




