9、西日のホーム、帰れない僕
駅のホームのベンチに、僕はひとり座っていた。
夕日が、街も人もオレンジに染めている。
「なんで夕日って、見るだけで切なくなるんだろう?」
「一日の終わりだからじゃないの?」
「うわっ」
側に立っていたその子を見た。
「……びっくりした」
「なに驚いてるの?」
「いや、いきなり人がいたら驚くだろ? 普通」
彼女が首をかしげた。
「おかしなこと言うのね。少し前からいたけど?」
当たり前みたいに言う。
「えっ?」
僕は目を見開く。
「また驚いてる。あんまり驚くと、心臓が止まっちゃうよ」
「誰のせいだよ、誰の?」
「私じゃないよ」
彼女は口をつばめてから続ける。
「だけど。終わりはなんでも、切ないんじゃないの?」
「そう?」
「だって、終わるときって、だいたい誰かが泣くよ」
「そうかもね」
僕はうなずく。
「中学の卒業式でも泣いてる子がいたよ」
「いたね」
「ずっと、友達だよって」
「ああ」
「もう連絡来ないけど」
がっくりと肩を落とすフリをする。
芝居がかったそれに。
「あのさ……まあ、いいか」
僕は苦笑いを浮かべる。
「でも、一日の終わりに泣く人なんているの?」
「あそこのおじさんたちは、泣いてる」
彼女が指差す方を見ると、酔ったおじさんたちが、抱き合って泣いている。
「本当だ」
僕は頬を引きつらせる。
「意味わかんないね」
「別れが寂しいんだよ。きっと」
「はぁ?」
慌てて女の子を見る。
「うん?」
彼女は首をかしげる。
「驚くの好きなの?」
「いや、違うけど……」
「たぶん、送別会だよ」
「ああ、そうだよね」
僕がふっと笑う。
彼女はクスクスと笑う。
「あなたは、こんなところでなにをしていたの?」
「えっと、夕日を見てた?」
首をかしげると、彼女もかしげた。
「なんで、首をかしげるの?」
「いや……」
僕はまた夕日を見る。
「なにをしていたって、わけじゃないんだ。ただ、ぼーっとしてた」
「まあ、そういうときもあるよね」
彼女がうなずく。
「私もよく、ぼーっとするよ」
「へぇ、そうなんだ」
「それで、怒られる」
「なんで?」
彼女が目を逸らす。
「……授業中だから?」
「それは、怒られるだろうね」
僕はふふっと笑って、電車を待っている人たちを見た。
スーツ姿の女性。
ベースボールキャップの男性。
ステップを踏むスエット姿の女の子。
幸せそうに腕を組むカップル。
『まもなく、電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください』
ゴトン、ゴトン。
ホームに電車が入ってくる。
プシュー。
扉が開いて、人が降りて来た。
無表情で降りてくる人の波。
返すように人が乗り込む。
「いま頑張らないと、苦労するのはあなたなのよ。って言われてもさ」
「ああ、言うよね。親って」
「君の親も?」
「うん。吹奏楽にしておきなさいとか、言うよ」
僕は小さく笑う。
「この前出た、志望校判定が少し悪かったんだよ」
「そうなんだ」
「……僕が行きたい大学じゃないんだけどね」
僕はつぶやく。
それから、彼女が肩にかけているギターケースを見た。
「ロックやってるの?」
「うん、高校の友達とバンド組んでる」
「かっこいいね」
「ありがとう。隣いい?」
彼女はギターケースを、ベンチに立てかける。
「どうぞ。僕のベンチってわけじゃないし」
彼女が座る。
ハンドクリームの香りがした。
「もしよかったら、聞いてみる?」
「おお、いいの?」
「うん、感想、聞きたいから」
差し出されたイヤホンを耳に捩じ込む。
彼女がスマホを操作して、音が流れ始めた。
力強いドラム。
正確にリズムを刻むベース。
少し走り気味のギター。
それから、ボーカルが。
僕はイヤホンを外した。
「どうだった?」
「うん、すごくいいよ。ギターが走り気味だけど」
「よく言われる。それ」
「でも、それが、前に進もうって言っているみたいでさ」
僕がイヤホンを返すと、彼女は少し空を見上げる。
だから、僕も見上げる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
紫に色づいた雲が、ノロノロと流れていく。
「それで、君はどうしてここにいたの?」
「あなたが泣いていたから」
「えっ?」
僕は彼女を見る。
「……なんてね。ここが私の最寄り駅」
「そうなんだ」
「でも、涙が出なければ、泣いてないってわけじゃないよ」
「いや、泣いてないって」
顔をゆがめる。
「だって、私たちは、目で泣くんじゃないから」
「いやいや、涙は目から出るでしょ?」
彼女が、僕の胸を指差す。
「ここだよ」
「胸?」
「違うの。わかってるくせに」
「……やっぱり君はすごいね。僕にはなにもないから、眩しいよ」
僕は目を細めた。
ヒューン、ザッザ、ザッザ。
快走電車が、僕たちの前を通り過ぎていく。
「なにを言ってるの?」
「えっ?」
「気づいてなかった?」
僕は彼女の制服を見る。
白いブラウスにチェックのスカート。
ニットベストの胸に見慣れた校章が張り付いている。
「どこ見ているの? えっち」
「違うよ。同じ高校なの?」
「そう。コースは違うけど」
「なんか、ごめん」
「いいよ。他に気を配れない日だってあるから」
彼女はほほえんで、立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
「うん、悪かったね」
「いいのよ。学年トップ」
僕は苦笑いを浮かべる。
「ありがとう。ギターガール」
彼女がクスクスと笑う。
ギターケースを担いで、歩いていく。
その西日に染まった赤い背中を見ていた。
『まもなく、電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください』
ゴトン、ゴトン。
プシュー。
扉が開いて、人が降りて来る。
人の波の中に、彼女が消えた。
街の向こうに、夕日がすっと沈む。
ホームの白い明かりの下。
泣いていて抱き合っていた酔っ払いたちが談笑している。
階段からパラパラと人が降りてくる。
そんな人たちを見ていたら、さっき聞いたボーカルの歌詞が戻ってきた。
「好きなことを好きだと言いたい、か」
つぶやいて、少し笑う。
「帰ろうかな」
僕はそっと、自分の胸に手を当てる。
いつもより少し、走っている気がした。




