罠
オレは屋敷の横を抜け、前庭へ出た。
アーミティアスの匂いが消えた。
門の前には誰もいなかった。
直感した。
罠だ。
急いでミアのところへ戻った。
悲鳴が遠くで聞こえた。
オレの名前を呼ぶ、少女の悲鳴──!
「さぁさぁ、お嬢様、帰りましょ」
オレが戻ると、見たことのない人間がそこにいた。
背が高い、白いスーツを着た、臭い、臭い……臭い人間だ。
そいつに羽交い締めにされてミアが嫌がってる。
オレが飛びかかろうとすると、その間にアーミティアスが立った。
やはりコイツの罠だった。ニヤニヤしている。
「あらら。ほんとうにライオンなのね。ライオンがこんなとこにいるなんてねェ」
臭い人間が言った。
「アーミちゃんや手下どもから聞いてた通り──。怖いわぁ……。あたし、ジャングル臭いのとかサバンナ臭いのとか苦手なのよね」
女みたいな喋り方だが、声は男だ。
「オマエ、何だ」
そいつにオレは聞いた。
「男か、女か? その嫌すぎる匂いはなんだ?」
その答えはどうでもいい。オレが続けざまに質問をしたのは、だからだ。
「ミアをどうする気だ」
これだけ聞きたかったのだ。
「やだ! ほんとうにこれ、喋るライオンなのね!」
びっくりした顔をしてから、そいつは答えた。
「もちろんおうちへ連れ戻すのよ。この子のおうちはここじゃないものォ」
「連れ戻して、か弱い女の子を、みんなで寄ってたかって喰らう気だろう?」
「そんなことしないわよォ。あたしたち、あんたと違ってライオンの化け物じゃないものォ」
笑うと臭さが倍増する。
「ただこの子にこの世にいられると邪魔ってだけよ」
わかった。この臭さは柑橘系の匂いだ。
オレの大嫌いな匂いをコイツは全身にまとっている。香水とかいうやつか。
ミートパイなら大好物だが、アップルパイは匂いを嗅いだだけで吐きそうになってしまう。オレがコイツに近づけないのは、だからだ。
しかしミアをこの世からいなくするのはだめだ。匂いの壁を突破して、コイツから引き剥がさなければ。
それでオレの顔が臭さに歪んでおかしくなってもいい。ミアもきっと笑ってくれる。
しかし額にツノをもつイケメンがそれを許さなかった。
「アーミ……。どけ」
臭さに顔を歪めながら、オレは唸った。
「なぜこんなことをする?」
「あれ? 知らなかったかな?」
アーミはニコニコしながら、言った。
「私は退屈が嫌いなのだよ。あの島のような、何もない退屈が。だからいつでも面白い物語に飢えている」
「アーミちゃんて面白いのよ〜」
臭い人間が笑う。
「ミアちゃんの居所を教えてくれて、手引きしてくれて、ライオン退治もしてくれる──それなのにこんな大仕事の報酬がたった千円でいいんですって」
「私は基本的に群れないんですけどね」
アーミが背中越しに臭い人間の名前らしきものを口にした。
「ポーカーフェイスさん、あなたはなかなか面白い人間だ。コンビを組んでもいいと思っている……なんちゃって」
何が面白いのかわからない。
ポーカーフェイスとアーミが揃って大笑いをはじめた。
臭さと嫌な気分で気が遠くなりそうだ。
「ゴゴ!」
ミアの泣き叫ぶような声に我に返った。
「家に帰りたくない! 一緒に島へ連れてって!」
「あんな何もない島に人間が住めるものか」
アーミが笑いを止め、憎々しげに呟く。
「この私でも居られなかったというのに」
油断しているアーミの横を、オレはすり抜けようとした。
臭さがたまらん。しかし、ミアを取り戻すためだ。
オレの肩を激痛が襲った。
「物語の邪魔をするな、ゴゴ」
一角獣の長いツノが、オレの肩を貫いていた。
ふりほどき、構わずミアのところへ走ろうとするオレの背中から心臓を、今度はアーミのツノが貫いた。
「島でもこんなふうにキミと闘いたかったよ、ゴゴ」
アーミティアスの声が遠くなる。
「長に邪魔されて退屈だった。人間の街は自由でいいな。そして思った通り、私はキミよりも強かったようだ」
「それじゃ、帰りましょ、お嬢様」
ポーカーフェイスがミアを横抱きにして去っていくのが、薄れ行く視界の中に、見えた。




