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家庭教師、ロストする


 ――うわ、いっそう貧相……、粗食、いや健康食、だな~。


 一泊したわたしは、朝食にショックを受けていた。

 ただでさえ少ないこの時代の食事の、さらに品数が減っている。

 ご飯だけは赤米の炊き立て、こんもりよそってあるが、さい(おかず)といえば野草のお浸しとお麩のすまし汁だけ。


――いやいや、人様の邸に泊まって、タダ飯に文句言っちゃダメなんだけど……。


「なぁに、斎迩の君はお父様とご一緒でないと、お食事もご不満なのかしら」


 正面から、大姫のツンケンした声が聞こえる。

 昨晩から引き続き、ご機嫌ナナメだ。

 たってのおねだりで大姫の寝間に泊まったのだが、ずっと拗ねていて大変だった。

 あんなに長くお父様とばかり過ごして、とむくれられても、まさか、あなたの父親が人殺しです、という話をしていたとも言えない。

 いちおう、今上きんじょう暗殺未遂事件の後処理についての相談だった、と説明したのだけれど、


「斎迩の君はわたくしの師でしょう?! 畏れ多くも今上よりもお父様よりも、わたくしのお勉強の進み具合を心配するのがお仕事よね!」


と怒っていた。

 正論なので、わたしもひたすら謝って、眠りに落ちる頃にはなんとなく許してもらえたような雰囲気だったのだが……、甘かったようだ。


「えーっと、もうしわけ……」

「そうよね、昨晩は特別にご馳走だったもの。お父様がいけないのよ、忌み月にあんなお料理を出して。同じモノが食べられるなどと思わないでほしいの」


「あ、そっか、皐月さつきか!」


 旧暦皐月(5月)は忌み月、生モノや酒などを控える月だ。また、男女の睦言むつごとなどもよろしくないとされている。睦月(1月)や神無月(10月)も忌み月なので、一年の中でけっこう不自由な時期は多い。

 それぞれに理由があるのだけれど、皐月に関していえば、梅雨時だからだろう。冷蔵庫のない時代、食中毒は命に直結する恐ろしい病だ。この時代の濁り酒もカビやすいし、生モノと酒の禁止は予防医療である。


「って、昨晩、お酒飲んじゃいましたよ? 馴鮨なれずしも出てましたし……。ダメじゃないですか、殿様!」


「え、斎迩の君ったら、気づいていなかったの? ああ、斎迩の君は違う季節からいらしたのだったわね」


 急に、大姫の当たりが柔らかくなった。

 パパ殿にダメ出ししたからかもしれないが、東の対屋たいのやの主としては、わたしにじゅうぶんなご馳走ができないことを気にしていたのかもしれない。


「気づかなかったわたしもダメでしたけれど、殿様のルール無視も相変わらずですねぇ。忌み月の忌み事には、ちゃんと理由があるんですから。大姫様には自由に生きてほしいですけど、ダメな大人の見本がすぐ側にいますからね、殿様のようになっちゃいけません、ホントに」


 ガンガン飲み食いしていた自分を棚に上げてエラそうにお説教すると、


「はぁい。大丈夫よ、お父様のことはよく見て、いいところだけ真似るようにするわ」


 満面の笑みで、いいお返事がきた。

 ご機嫌が直ったようだ。

 こっそり胸をなでおろしていると、大輔たいふの君から、感謝の目配せが来た。若狭わかさも安心したように微笑んでいる。


 そこに、まったく空気を読まないパパ殿がずかずか入ってきた。先導する家宰さんの方がパパ殿の後を追っている始末だ。

 というか、たとえ実の娘でも、住んでいる対屋たいのやが分かれている以上、勝手に入ってくるのはかなり非常識である。パパ殿にこの手の常識を説いてもムダだけれど。


「お、お殿様! 大姫様は、ただいま朝餉の途中で……!」

「斎迩の君! 僕への土産は?!」


 パパ殿を押し止めようとする家宰さんと大輔の君を無視して、パパ殿はわたしに詰め寄ってきた。

 ぎょっとして後ずさるわたしに、家宰さんが申し訳なさそうに説明する。


「えー、お殿様は、お茶とお砂糖が斎迩の君のお土産とお考えでいらして、ですね。他の方が、一つずつ贈り物をいただいたと、今朝、お耳に入れられたようで……その……」


 自分の分をおねだりに来たわけね。

 おおかた八助さん辺りに訊いたのだろうけれど、大人げない。というか、昨晩のあの話の後、自分もプレゼントがもらえると思うなんて、めちゃくちゃハート強いな、パパ殿。

 いつもはどんな無理難題もスマートにこなす家宰さんがしどろもどろになっているのが、気の毒すぎる。


「殿様には特にございません」


 きっぱり言ったわたしに、アゴが外れそうになるパパ殿。そこまで驚くことだろうか。


「わたしは今までお世話になった方々に、お礼とお餞別の贈り物をしたかったんです。よぉく考えてくださいね、殿様は、むしろわたしに借りの方が多くないですか? ……院御所いんのごしょとか、四条の辺りの件とか」


 小さく付け加えたが、パパ殿はまったく意に介さず、叫ぶ。


「ヤだ! 僕だって斎迩の君から珍しいモノが欲しい!」


「お殿様、あれほど多くのお茶と砂糖をいただいたではありませんか」

「あれは僕だけのじゃない!」

「お殿様、大姫様の朝餉がまだ途中です。また後ほど……」

「お父様、少し騒々しいですわ。それにお土産をねだるなんて、とってもお行儀が悪いと思うの」

「大姫も大輔の君も、贈り物もらったんだろう?! 自慢気な君達に何を言われても、聞けないね!」

「べつにわたくし、自慢なんてしてませんわ!」

「い~や、してるね。目がしてる。八助なんか、斎迩の君からもらった帽子と手袋を見せびらかしに来たんだぞ!」


 ――八助さん……。お茶目だけど、余計なことを。


 喧噪のなか、わたしが頭痛を堪えていると、パパ殿が迫ってきた。


「八助や雨彦までもらっているのに、僕だけ何にもないなんてひどいよ、斎迩の君!」


 はぁ。

 ため息を吐いて、わたしは最後の袋を取り出した。

 パパ殿にだけプレゼントを渡さなかったら拗ねるだろうと思ってはいたものの、これほどめんどくさくなるとは。

 最悪の場合を想定して、いちおう買っておいたけれど、用意しておいてよかった。


「じゃ、殿様にはこれをどうぞ」


「やった! なんだ、斎迩の君、あるならあるで……」


 いそいそと袋を開けたパパ殿は、固まった。


「斎迩の君、これって……」


「殿様はよ~くご存知ですよね。貴重品ですよ」


「え、いや、たしかに貴重だが。こういうのではなくて、なんというか、皆がもらったみたいな、見たことのない珍しいモノ、とか、僕にぴったりなモノ、とか」


「お殿様、ご出仕のお時間です。ささっ、ご準備をっ」


 茫然としているパパ殿を、家宰さんがほとんど力ずくで引っ張る。そのまま、対屋たいのやから連れ出していった。

 百均で買ったプレゼントバッグの中身は、ウィダーイ○ゼリーである。入るだけ詰め込んでおいたのだ。


「なんか、僕の扱いだけ、雑じゃない?!」


 遠ざかっていく叫び声に、わたしは小さく笑って手を振った。


 その後は、大姫とゆったりと過ごした。

 わたしがパパ殿だけにプレゼントを持ってこなかったことで、よりいっそう、大姫の機嫌は良くなった。ちょっとパパ殿が不憫になったほどである。

 大姫は相変わらずマジメに、古今和歌集と万葉集の暗記を繰り返していたが、新しい歌はそれほど増えていなかった。今まで覚えた歌の復習が主だ。

 そのかわり、『伊勢物語』を読み始めていたことには驚いた。


「大姫様、古今のなかでも、在原業平ありわらのなりひらは、特にお嫌いでしたよね?」


「ええ。でも、最近、いいところも分かってきたの。好きなお歌もあるわ。技巧はすばらしいし」


「まあ、『伊勢物語』は、在原業平の実話、というわけでもありませんしね」


 和歌の才能に溢れ、政治的には恵まれなかった中級貴族の恋物語だ。モデルは業平だし、実際のエピソードもかなり史実に沿っているが、基本的にはフィクションである。業平というモテ男を主人公にして、男性の憧れる恋愛模様をいろいろ紹介しているのだ。

 『源氏物語』でも有名な「雨夜の品定め」も、元ネタはこの『伊勢』である。

 ただ、その場で業平が詠んだとされる和歌は、さすがにすばらしい。すべてが業平の歌だとは思えないが、お話を読む楽しさと和歌の勉強が両立して、いいテキストだ。


「どこまで読まれました? もうあづまくだりまでいきましたか?」


 『伊勢物語』は、現代の入試問題でもよく出る。特に有名なのが、「しらつゆ」から「東下り」までのエピソードだ。「かきつばた」の超絶技巧の和歌とか、習った覚えのある人も多いだろう。


「あら、まだ全然そんなところまでいかないわ。筒井筒つついづつのところよ。あのお話は、とても好き」


 「筒井筒」も有名な話だ。この物語で、筒井とは「幼馴染」を指す言葉になった。

 昔は井戸の周りに、子どもが落ちないように、竹などで囲いをしていた。そこで一緒に遊んで育ったから、筒井=幼馴染、である。

 大姫には、筒井筒のような淡い幼い恋のお話がヒットしたのだろう。


「帝の女御にょうご(后)候補の方を盗み出して、罰として東国へ下ったのでしょう。なんかイヤだわ、そんなお話」


「そう感じられるのも仕方ないですけど……。本物の在原業平がそういうことを仕出かした、という史実はないんですよ。有名すぎて、まるで事実のようになっていますが。実際はよくある、政争に負けたから、だと言われています」


「え、そうなの」


「はい。業平は、当時の政争で負けた親王みこ様の味方だったので、難癖を付けられる前に、自分から東国へ旅立ったようです。紫式部もそれをヒントにして、『源氏物語』で、光源氏を須磨すまに謹慎させたみたいですね」


「まぁ。じゃあ、『伊勢』って、いろいろな物語に影響を与えているのね」


「物語としても和歌の教本としても、レベルが高いですからね。でも、大姫様、騙されないでくださいね。なぜ、このお話が『伊勢物語』という題なのか」


「あら? そういえば、伊勢なんて出てこないわよね」


「ええ。なので、何もかも嘘っぱち、『似非えせ』がなまって『伊勢』になったという説もあります」


「えぇっ。偽物という意味の、似非ですか?!」


 思わず、といった感じで、若狭が声を出した。最近、勉強会には希望した女房達も参加しているのだ。


「そうです。どこまでが嘘で、どこが本当なのか。時間が経ちすぎて、もう分からないですけどね。作者の意図はそこにあったんでしょう。政争に負けた貴族としては、こういう逃げの手を打って、保険を掛けたのだと思います」


「問題になったら、これは全部、似非の物語ですよ、と言い抜けるためですね」


 大輔の君が、興味深そうに相づちをうった。


「ふぅん。物語は、おもしろいかどうかしか考えたことがなかったけれど、そういう背景もあるのね」


 穏やかな指導時間を過ごし、いいお茶と、ちょっと豪華なおやつを頂いて、わたしと大姫、女房達も幸せな午後だった。

 夕方、わたしが帰ると言い出すまでは。

 大姫が目に涙をいっぱい浮かべて、見上げてくる。


「どうしても、お帰りになるの? 次はまたいつ来られるのか、分からないのでしょう?」


 ――なんと答えればいいのか、分からない。大姫を安心させられる約束も、何も言えない。


 黙ってしまったわたしを見て、大姫は俯いた。板の間に、ぱたぱたと涙が音を立てて落ちる。

 大輔の君が、そっと大姫の肩を抱いた。


「大姫様。斎迩の君には、他にもご指導の生徒さんがいらっしゃるのですよ。あまりお引き留めしては、ご迷惑です。――必ず、またいらっしゃいますよ。ね?」


 強い瞳で見つめられて、わたしも力いっぱい頷く。


「もちろん! いつになるか約束できませんが、必ず、大姫様に会いに、参りますから」


 ぐしぐしと涙をぬぐいながら、大姫が頷きかけた、そのとき。


「おお、斎迩の君! よかった、間に合ったか!」


 またもや、どかどかとパパ殿がやって来た。もはや背後の家宰さんは諦めたきった顔をしている。


「斎迩の君、すばらしい土産をたくさん頂いたからな、僕からも餞別だ!」


 絹の包みを、わたしの手に押し付けてくる。


「はぁ? え、いえ、いただけませんよ、そんな」


 ウィ○ーインゼリーにムカついているはずのパパ殿の、満面の笑みが怖い。それに、この時代のモノを、現代に持って帰るわけにはいかない。

 押し返そうとしたら、パパ殿は包みを、わたしの背中のリュックの中にムリヤリ押し込んだ。


「大姫、大丈夫だ。大したモノでもなし、これを持って帰れば、斎迩の君はまた必ず、この邸に来るぞ」


「え、ちょっ、何なんですか、それ?!」


「まあ、では、ぜひお持ちになって、斎迩の君!」

「そうですわ、大姫様とのお約束の証ということで、お持ちくださいませ」

「せっかくのお殿様のお心ですから。どうぞお納めください、斎迩の君」


 できれば辞退したいわたしに、四方八方から声が被さってくる。

 拗ねているパパ殿をなだめるために、皆も必死だ。

 大人を甘やかすのは気に入らないが、大姫の希望を容れて、受け取ることにする。


「は、あ、それでは、いったんお預かりします……」


「うむ、よし! 必ず近いうちに訪ねてくるとよい!」


 リュックの上から背中をばんっと叩かれて、わたしはよろけた。ただでさえ、他にスーツケースとキャリーバッグを持っているのだ。

 安定を失って、片足をきざはしに踏み出して、踏ん張ったとたん、


「「「斎迩の君??!!」」」


 背後で悲鳴が上がった。

 え、と振り返ると、なぜか周囲が歪んでいる。すぐ側の大姫やパパ殿の姿がねじれて、ブレた。



「え、なにコレ?」


「さい……、まっ……! ……!!」


 わたしの声が聞こえているかも定かではない。大姫の呼び声も途切れ途切れだ。

 あっという間に、視界からは人の姿も建物も消えた。

 鈍い色が乱舞する、歪んだ空間を、わたしは上下の感覚も無くして、漂っていた。

 

 いつも、扉を開ければ、一瞬で目的地に着いていたのに。

 何度も、それこそ数えきれないほどタイムリープしてきたけれど、こんな変な時空に入りこんだことはない。

 わたしは初めて、時空間のなかで、道に迷ってしまった。



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