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家庭教師、お酌する


「……斎迩の君の世界はよく分からんが、不本意な仕事もせねばならぬ、という宮仕えの心もちは、分かる」


 そう呟くと、パパ殿は手近にあった横笛を吹き鳴らした。

 適当な音階だったが、それでも聴き惚れてしまう音色で、ほどなくして、家宰さんがへやにやって来た。


「すっかり遅くなってしまったな。温かい茶とささ夕餉ゆうげを頼む。もう少し話したいので、こちらで。大姫には謝っておいてくれ……、まあ、怒るだろうが」


 苦笑するパパ殿に、家宰さんは目礼した。


 話に夢中だったが、外はとっくに日が落ちていた。もともと梅雨曇りだったので、薄暗くて気づかなかったのだ。

 家宰さんと女房がお膳と飲み物を持ってきて、紙燭しそくに火を灯し、すぐに出て行った。

 今度は、各自にお膳が置かれ、お茶もお酒も別々の容器だ。

 もう毒殺の心配はない、という判断だろう。

 それにしても、いったいどうやって家宰さんとパパ殿は、意思確認をしているのだろうか。

 頭の中を?マークが乱舞していると、パパ殿がにやっと笑って、盃を突き出した。


「どうかな、斎迩の君。ささを酌してくれないか。今生の思い出に。――和解のしるしに」


 そして、別れの挨拶に。

 言葉にならない部分も聞こえた気がして、わたしも素直に片口かたくちを持ち上げた。

 片口は、大きな急須のような小さなヤカンのような、日本古来の飲み物を入れる食器だ。これは漆塗りだが、盃のほうは土器かわらけで、一度で使い切り。お代わりするたびに新しい盃を使う。


 とくとくとくとく。

 

――OL時代を思い出すなあ。


 分厚い徳利なんかよりずっと注ぎやすいし、音がいい。


「へぇ。お酌、うまいね。意外だ」


「いちおう、大人としての社会経験は積んでますから。――そうは見えないでしょうけど」


「いや? 斎迩の君はじゅうぶんオトナだよ?」


 パパ殿はぐいっと一気飲みし、盃を斜めに振り下ろしてしずくを切った。流れるような作法が美しい。

 その盃を、わたしに持たせた。


「だって僕が恋をしなかったからね」


 そう言って、パパ殿も片口を傾ける。白く濁った酒が満たされた。


「冷えたからな、温まるといい。……本当に妻になってくれてもよかったんだけどな~」


「恋できない、て直後に言うセリフじゃないですね。殿様、そんなんだと、本当に奥様の来手きてがありませんよ」


 わたしも、くいっと盃をあおる。

 同じ盃を使うのも、同じ片口からお酌し合うのも、敵意がないという意思表示だ。毒が入っていないという証明でもある。


 ――夫婦の晩酌と雰囲気似てるとか、思っちゃダメだから!

 ――てか、人殺しだから、この人!

 

 けほっ。

 少しむせた。この時代のお酒は濁り酒か白酒で、わたしにとっては甘すぎるし、においも雑味もキツすぎる。現代の大吟醸がどれほど研ぎ澄まされているか、よく分かる。


「――先ほどの話だが、僕は、ヤツを殺そうと思って出かけたわけじゃない」


 なぜか、パパ殿は話してくれる気になったらしい。

 盃をゆったりと傾けて、くつろいで語る様子は、とても殺人の詳細説明とは思えない。


 藤原ふじわらの高大たかひろは、パパ殿を呼び出した食事中も、肝心の頼みごとは口にせず、自分のバックにいかに強い権力者がいるかを、ぐだぐだ自慢したそうだ。


「で、最後の最後に、卑屈な口調で、蔵人や近衛府は、今上きんじょうの呪詛の結果を知っているのか、と聞いてきた。これが目的か、と呆れたが、ヤツはもっと情けなかったんだ」


 泣き言やら言い訳やらを取っ払うと、要するに高大たかひろは、パパ殿に、左府さふ(左大臣)への取り成しを頼もうとしたらしい。


「すぐに致仕ちし(辞職)するからお咎めなしとしてほしい、と、左府に頼んでくれ、とさ。今上を暗殺しようとしておいて、致仕程度で許されると思っていたとはね。ただ、背後の権力者というのが、気になった。僕を通じてお祖父さまへの取り成しを頼むくらいだから、黒幕は、左府殿ではない。それより上で、今上をジャマに思う人物……」


「――ああ、それで、院を疑ったんですね」


 パパ殿はそれ以前、先帝からも、白河院に対する警告を受けていた。病床の今上が先帝の姿とオーバーラップして、黒幕が白河院だと思い込んでしまったのだろう。


「そういう経緯だと、あの、ムチャな院御所いんのごしょへの侵入も、分かる気がします」


「その場で高大たかひろに酒を浴びせて帰りたかったが、黒幕の名前を聞き出したくて、ねばったんだ。あの口の軽いヤツが、それだけは口にしなかったので、それほど身分の高い方なのだと、さらに勘違いしてしまった」


 蓋を開けてみれば、高大たかひろは致仕した後、得度(出家)するつもりでいた。それで、自分に便宜を図ってくれそうな、三宮さんぐう院の阿闍梨あじゃり仁覚を庇っていたのだ。どこまでも自己中心的な理由でしかなかった。


「でもそのときは、そこまで分からなくてさ。いい加減ガマンの限界で席を立ったら、高大たかひろが追いかけてきて、今度は、脅し始めたんだよ」


 パパ殿の目が底光りした。


「今回は失敗したが、運が悪かっただけだ。あの方は何度でもやり直せるし、いつかは成功する、と」


 背中がざわざわした。

 藤原高大ふじわらのたかひろは、その瞬間、自分の死刑執行書にサインしたのだ。


「蜂の毒は一度目で助かっても、二度目刺されたら、命はない。そして黒幕は、何度でも内裏だいりに暗殺者を送り込める人間。いつかは成功する、というヤツの言い分は、正しい」


「それで、左大弁を殺したんですね……」


「食事中にあれこれ言い訳していたなかで、現状、内裏を自由に動き回れる暗殺者候補が自分しかいないと、自慢していた。まあ、僕が黒幕でも、他にマシな人材がいたらあんなバカは使わないね。ただ高大たかひろは僕と同じで、蜂の毒が効かない体質だ。もう一度でも蜂を仕掛けられたら、今上は、次は必ずお命を落とされる。だからせめて、目先の危険を排除しておきたかった」


「えっと、毒殺、ですよね? 毒は……」


「とりあえず手持ちの痺れ薬と、あとはキノコ」


 パパ殿はさらりと言う。

 追いかけてきた高大たかひろを言いくるめて、右京の寂れた場所に連れて行き、話を聞きながら酒を勧めたそうだ。


「そんな権力者が付いているなら、僕も味方する、と言ったら、コロッと信じたよ。自分が口を利いて出世させてやるとか、突然態度が大きくなって……。キノコはそこらへんに生えてるヤツで、夜、光るのとかね。ベニタケにとても似てる毒キノコもあったから、高大の目の前で堂々と焼いた」


「それで、左大弁の口の中が腫れていたんですね」


 パパ殿がひょいっと片眉を上げた。


「へぇ。よく見てるね。ツキヨタケもクサウラベニタケも、まず呼吸ができなくなるんだ。キノコだけでは死ぬほどの毒じゃない。僕の手持ちの毒と合わせたのさ」


 呼吸器系に作用する神経毒。それにパパ殿の毒を合わせて、左大弁は、おそらく最初に神経を侵され、動けなくなってから、徐々に死に至ったのだろう。


「いえ、それも八助さんの見立てです。毛虫を這わせたのは、やはり、高大たかひろ殿が暗殺者だと告発するためですか」


「そ。酒盛りしてた場所にいっぱいいたから、ふと思いついてね。袋に集めて、その中に高大たかひろの腕を突っ込んどいた。べつに、主犯たちへの脅しや捜査の攪乱を狙ったわけじゃない。ただ、今上暗殺犯はコイツだ、と誰にも分かるようにしたかっただけだよ。――そもそも」


 パパ殿の瞳が、危険なほどぎらぎらする。


「本来なら、一刀のもとに斬り捨てたかった。それが蔵人としての僕の矜持きょうじだ。毒殺は好みじゃない」


 どうしても黒幕の名前を吐かせたかった。だから最初は、痺れ薬を盛った。それでも自白しなかったので、毒キノコを食べさせた。その後、思いついて、毒のある毛虫を這わせた。

 たしかに計画殺人ではない。むしろ、これだけ行き当たりばったりだからこそ、証拠が出なかったのだろう。


「だけど、斬り捨てたら、高大たかひろが被害者になってしまう。さく(新月)の夜に追剥おいはぎに切られた貴族。そう見られるのだけは避けたかった。だから烏毛虫かわらけむしを使ったし、わざわざ死体を四条まで運んでおいたんだ。あのまま林の側に置いておいたら、蜂とか烏毛虫に刺されていても目立たないから」


 ふと見ると、パパ殿のお膳はほとんど空になっている。わたしは食事どころではなかったのに、パパ殿はしゃべりながらしっかり食べていたらしい。盃も、すっかり空だ。

 わたしは新しい盃をパパ殿に渡し、お酌しなおした。自分のぶんは丁重にお断りして、お茶を注ぐ。それから焦って、お膳の食事に取りかかった。


「しかし、さすが八助。口の中の異変にまで気づいていたとはね」


 すっかり茶飲み話的感覚でパパ殿は楽しそうだが、そもそも食事の真っ最中に毒殺の話をするって、鋼鉄のような神経である。


「と、殿様。わたし、まだ食べてるんですけど……」


「この程度で食欲が失せていたら、宮廷人などやってられないよ」


「いえ、特になりたくありません……」


 毒殺以外の話題を探して、思い出す。


「あ、そうだ。結局、内裏に文を届けた子は、殿様が雇ったんですか。いちとかで見つけて」


「当たり。わりと身ギレイな子を探してね。お駄賃をはずんで、まあまあ上等の服をあげたから、喜ばれたよ」


 パシャッ。

 わたしはおもむろにスマホを取りだし、パパ殿の写真を撮った。

 眩しさに目をすがめているパパ殿に、撮った写真を見せる。


「え、これ、僕?」


「はい。一瞬で似姿絵ができる道具です。どうしても証拠が必要なら、これを持って市を訊ね歩いて、雇われた男の子を探そうと思っていました。――時間がなくて、諦めましたけど」


「時間切れもだけど、そもそも斎迩の君は、僕を告発する気がないよね?」


 少しためらって、しぶしぶ頷いた。

 本気でパパ殿を断罪したければ、大僧正や蔵人頭くろうどのとうにすべてぶちまければいい。

わたしの説は、証拠不十分ではあっても、かなり整合性があると思う。たとえ上層部が握りつぶしたとしても、内裏で捜査線上に挙がること自体、貴族としてはじゅうぶんな罰になる。

 でも。

 しょせんこの世界からいなくなるわたしに、それをする資格があるだろうか。


「わたしはただ、自分の考えを確かめたかったんです。それと、なぜ殿様がそんなことをしたのか、理由が訊きたかった」


「神の使いとして、僕に罰を下す?」


「いえ。先ほども言いましたが、わたしは、個人の裁量で犯罪者を裁くのには反対です。私的制裁をやったら、殿様と同じになっちゃいます」


「じゃあ、本当に僕の考えを訊きたかっただけってこと?」


「うーん。少し違いますね……。これで、殿様が高大たかひろ殿を殺害したことを知っているのは、わたしと殿様の二人になりました。中国の故事にもあるじゃないですか。天知る地知る我知る、に、人知る、が加わったんです」


 天地と自分だけなら、強固な秘密。一人でも他人が知った時点で、それは世界じゅうに知られたと同じこと。


「わたしはしゃべったりしませんけど、殿様の気の持ちようが変わるんじゃないかな、と。そのうえで、今後の殿様の生き方を考えてください。――大姫様のためにも」


「ふーん……」


 パパ殿が真面目な顔で、中途半端な相づちをうつ。

 どうもこの人は、真剣に考えているときほどマヌケに見えるらしい。損なタイプだ。いや、ヘラヘラ笑って権力争いをする平安貴族としては、有利なのだろうか。


「あのさ」


 案の定、パパ殿がぼけっとした表情で言う。声音だけは真剣なので、なんだかおちょくられている気分だ。いや、本人はマジメだろうけれど。


「僕の生き方といっても、変えようがないよ。今上きんじょうに忠誠を誓って、お守り申し上げる。これまでもそうしてきたし、今後も続けるつもりだ。――斎迩の君には容認されなかったが、高大たかひろを排除したことも、その働きの一つだ」


 予想がついた答えだ。そして、


「ええ。わたしに殿様の生き方、考え方を左右する権利はありません。ただ、人って変わるじゃないですか。権力とか地位とかを得ると、特に。将来、殿様が偉くなっても、今上を第一に考える姿勢だけは変えないでくださいね」


 パパ殿は、ぱっと明るく笑った。


「なるほど、じゃあ、出世しなければいいんじゃないか。斎迩の君に約束するよ。今上のお傍でずっとお守りするために、僕は蔵人のままでいる。一度は異動しないと官位も上がらないから、つまりずっと五位の蔵人のままだ。どう?」


「えっ、いや、どう? と聞かれましても……。わたしが決めることじゃないですよね、それ!」


「ああ、斎迩の君は、個人的に罰を与えるのはイヤなんだよね。じゃあ、僕が勝手に誓おう。僕はずっと今上の蔵人であり続けるよ」


 マジか。

 大輔たいふの君の悲願、パパ殿の出世を、よりによってわたし自身がつぶしてしまった。

 あんなにパパ殿が出世して、大姫に高位の貴族の婿が来るのを楽しみにしていたのに……、って。


「殿様がご出世されないと、そのぶん、大姫様もご結婚が難しくなるんじゃないですか?」


「大姫は結婚したくない、と言っているから、ちょうどいいだろう? おっ、それに、大姫が結婚しない間は、斎迩の君がこの邸に来る可能性があるということだよね。いや、いい事尽くめだな!」


「そんな不吉なこと、上機嫌で言わないでくださいよ!」


 結局、わたしとパパ殿は、ぎゃあぎゃあ言い合いながら食事もお酒も完食した。

 さすがに大姫の堪忍袋が切れそうなので、わたしに東の対屋たいのやに来てほしい、とけら男が恐る恐るお伺いに来るまで、わたし達二人の、最初で最後の酒宴は続いた。




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