家庭教師、議論する
「殿様に、左大弁の遺体を見た、と言わせるために、長々と、いろんな方向からあれこれ仕掛けたんですよ。――あ、だから、家宰さんもけら男も、八助さんのことも、まったく疑っていません。すみません、囮に使っちゃいました」
ぺこ、と頭を下げる。殿様から言質を取るためとはいえ、けっこう嘘八百並べ立てたので、忸怩たる思いはある。
でも。
「使用人が囮になること自体、殿様がいい主の証ですよ。わたし、そこだけは疑いなく自信を持って、シナリオ作れました。まぁ、二度とやりたくないですけどね~。もう、ほんと、ものすご~く疲れました……」
零点、と言われたあと固まっていたパパ殿が、ゆっくり息を吐いた。
徐々に力が抜けていって、また、脇息を抱きかかえる姿勢に戻る。俯いた肩が、震えていた。
「いや、参った!! すごいな、斎迩の君! この僕から言質を取るとはね!」
ばっと上げた顔は、満面の笑みだった。
「わたしも、ずっと感心してました。よく、あんなにのらりくらり躱せますねぇ」
わたしは何度か、隙を突いて、パパ殿に「高大殿を殺しましたよね?」「あなたが犯人ですよね?」と、Yes/No で答えられる問いを投げている。
こういうシンプルな質問には、人間、不意を突かれれば、わりと反応してしまうものだ。
素直に「はい」と答える人はいなくても、力いっぱい否定したり、焦って不自然に話を逸らしたりする。
パパ殿は、毎回、キレイにスルーし、自然に少し違う話題にシフトした。まるで、ただの世間話のようだった。
「まぁ、それが朝廷貴族の技術というものでね。……それにしても、たった一回、八助を叱ったあの行動で疑われたとは。後で、一人で、反省したんだよ? 完全に八つ当たりだったって」
……八つ当たりは反省したんだ。
――殺人は反省しないのに。
「し慣れないことするからですよ。自分ではいつもどおりに行動しているつもりでも、ボロは出ます」
「まったくだ。――勝算は、あったんだけどなぁ」
あぐらをかいたパパ殿も、冷たいお茶を飲む。にやりと笑うパパ殿に、わたしも、パパ殿も、同じことを理解していと分かった。
そう。
ここでパパ殿から取った言質は、とても弱い。自白とも呼べないものだ。
今わたしが証明したのは、現代でいえば、「秘密の暴露」と呼ばれるものだ。
重大事件があったとき、警察はあえていくつかの状況を秘密にする。それは、真犯人だけが知っている情報だ。容疑者が捕まって自白を始めたとき、この「秘密の暴露」で、自白の信ぴょう性が計れる。
つまり、あくまでも容疑者が自白したときの、補強要素でしかない。
わたしがパパ殿を藤原高大殺害犯人として内裏に訴え出るか、パパ殿が近衛府に自首しない限り、この発言には意味がない。
そして、お互いに、相手がそんなことをしない、と、分かっている。
高位の貴族でもあり、今上暗殺未遂犯を成敗した、パパ殿だ。
万が一、自首したとしても、罰せられないどころか、褒め称えられるかもしれない。
パパ殿はそれが分かっているから、わたしの推理を認めたのだ。
いや、厳密には、きちんと自白されていないけれど。
「いちおう、確認しておきたいんですけど。殿様が、高大殿を殺したんですよね」
「そうだよ」
いっそ、つまらなさそうに、パパ殿は認めた。
「えーと、高大殿と食事をして、その後は? 一緒に邸を抜け出したんですか?」
初めて、パパ殿が渋い顔をした。
「さっき言ったのは、本音。思い出したくもないほど不愉快だったんだけど、説明しないとダメ?」
「はぁ。人ひとり死んでるんですから、事情は詳らかにしておきたいというか……」
現代人のわたしには、私刑は到底、認められない。
藤原高大が10歳の少年を殺そうとしたから、という理由で、捕縛もされず、人知れず暗殺され、それを「天罰」とか「祟り」とかいう理由で捜査も行われないのは、やっぱりおかしいと思ってしまうのだ。
「斎迩の君はさぁ、千手丸と会ったときも同情してたよね。あれは、まだ、理解できたけど……。高大に同情する余地なんてないよ」
「誤解しないでいただきたいんですけど、わたしは、千手丸のことも高大殿のことも、許せませんよ。今上の苦しむ様子を、わたしだって見たんです。誰であれ、幼な子をあんな状態にするなんてヒドすぎます。でも、千手丸はきちんと司法の罰を受けたじゃないですか。高大殿も、そうなるべきだったと思ってるだけです」
パパ殿が、初めて声を荒げた。
「今上のお命を狙った者が、制裁を受けた。何が問題だと?!」
そう、この時代の、特に貴族なら、そう考えるだろう。
だからこそ、内裏でも、誰も積極的に犯人を捜査しなかったのだ。
左大弁は、「当然の天罰を受けたから」。
そして、パパ殿が高大殿を殺したのと、仁覚達の犯罪が同列に語れないことも、よく分かっている。
現代の刑法でも、パパ殿には情状酌量が認められるだろう。執行猶予も付くと思う。
それでも。
「殿様。この世には、律(刑法)があるんですよ。いくら形骸化していようと、大っぴらに堂々とそれを無視してしまったら、世の中の秩序は一気に崩れます」
法律は、それがあるから社会が安定するのではない。
法律がそこそこ公正に働いているよね、という信用が根付いていてこそ、社会は機能するのだ。
現代でも、法律が絶対的に公平だと信じられるわけではない。違法行為をする政治家も企業も存在する。
それでも、なんとなく、悪いことをしたらいつかは捕まる、という程度の信頼は、ある。
「偉い人達が都合の悪いことを隠してこそこそ制裁したり、自分に都合よく律を捻じ曲げたり、そういう場面を、殿様もご存じですよね? 権力者が自分のために暴走すると、ロクなことになりません。そういう歴史を繰り返して、それを止める方法として、律令が整備されたはずです。だから、どんな悪いことをした人でも、律に照らして罰すべきなんです」
「理想論だね」
皮肉気に頬を歪めるパパ殿に、
――まあ、いちばん分かりあえない部分だよな~。
そもそも司法が公正に正常に機能するためには、三権分立が絶対条件だ。でもその思想自体、もっとずっと未来のヨーロッパで生まれる。
それまで権力者というものは、基本的に、司法・立法・行政の三権を独占し、為政者の都合で恣意的に運用していた。それが普通の姿で、その三権を掌握することが政治家の目標だったのだ。
平安時代というか、日本でも、長く、全ての権力が天皇に集中していて、さらに宗教面でもトップだった。貴族は、その帝を補佐する生き物だ。
もともとこのテーマで、パパ殿と分かりあえるとは思っていない。
仮に司法の公平性を理解してもらえたとしても、パパ殿は確信犯だ。分かったうえで、高大殿を手にかけた。
パパ殿にとっても譲れないラインのはずだ。
「これだけ、教えてもらえませんか。殿様は、最初から、高大殿を殺すつもりだったんですか?」
「斎迩の君がそれを聞いて、どうするわけ?」
パパ殿がぶすっと答える。今までの上機嫌は嘘のように消えてしまった。
「えぇと、わたしの世界では、計画殺人か、とっさの殺害かで、罪の重さが変わるんです。まあ、殿様には関係がないことですけど、そこを確認するのは、わたしには重要なポイントなので……」
パパ殿がおもむろに、床に落ちていた烏帽子を拾い、ひょいっと被った。
「あのさ。斎迩の君の世界では、今上を弑し奉った者でも、律に合わせて裁かれるの?」
当然だけれど、帝が存在しない世界なんてものは、想像も及ばないらしい。まあ、いるけど。
そして、唐突に烏帽子を被ったのは、天皇の話をするからだったのか。本当に、忠義の固まりというか、律儀だ。
パパ殿に言われたことを考えてみる。あまりに突飛で、想像したこともないが、答えは簡単だ。
「もともとの警備が厳重ですからねぇ、暗殺自体、成功しないと思いますけど、仮にそういう犯人が捕まったら、警察に送られて、他の犯罪者と同じように扱われると思いますよ。刑法に照らして、裁判にかけられますね」
ただ、もう少しリアルに想像してみると、複雑だ。
「やはり、殿様のように、犯人を許せない、という人が大勢出るでしょうね。だから却って、その犯人をしっかり護衛すると思います。途中で襲われたりしないように」
「今上暗殺犯を護衛する? そんな仕事に就きたがる蔵人も近衛士もおらぬ!」
「わたしの世界の警察は、社会全体の秩序を守るために働いているので、その犯人をめぐって、社会や司法が混乱しないようにする義務があります。心の中では、なんでこんなヤツ守らなきゃいけないんだ、とか思うかもしれませんが」
ふーーーーん、とパパ殿は長い相づちを打ち、しばらく黙っていた。




