家庭教師、推理する 4
「と、いうわけで、アリバイ問題はこれで終わりです」
「え?」
これからしつこく追及されると身構えていたのだろう。パパ殿の身体から、少しだけ力が抜ける。
「少し時間を進めますね。八助さんが死体を発見して、それに付き添って内裏に証言に行きました。翌日帰ってきたんですけど、殿様と会って叱られた、と落ち込んでいたんです」
パパ殿が気まずそうな顔をする。――本当に、正直な人だ。
「あ、八助さんは、殿様がとてもお疲れだったんだろうと、却って気遣っていましたよ。そのときは、なんか変なのって思っただけです。殿様は、使用人に理不尽なことで当り散らす人じゃないですからね。あれほど信用している八助さんの話もきかずに、頭ごなしに叱るって、全然殿様らしくないです。今思えば、それが最初ですね」
「なんかさぁ、さっきから僕、褒められてばっかりいるよね」
「大のオトナが赤くならないでくださいよ、話しにくいじゃないですか」
ひどいなぁ、とかぶつぶつ呟いているパパ殿に、わたしは絵を突き出した。
「殿様が、なぜ八助さんにあんなに怒ったのか、理由を考えてみたんです。門番をサボってふらふらしていたから、と聞きましたけど、それは口実だったんじゃないかな、と。蜂に詳しい八助さんに最初に遺体を見られたのが、計画外で、動揺して怒鳴っちゃったんじゃないですか」
絵に見えているが、実は現代の医学書をコピーした物だ。
毛虫に刺された腕の傷。太いみみずばれの線が、真っ赤に腫れて盛り上がっている。
実は2枚あるが、わざと一枚だけ見せた。
「左大弁の腕には、こういう傷跡が無数に付いていました。でも体の他の場所も顔も、傷ひとつ付いていなくてキレイなものです。八助さんは、この傷が蜂の刺し跡とは思えない、と、わたしに相談してきたんです」
パパ殿は、わたしが渡した絵をまじまじと見つめている。
「と言われても、わたしは蜂の刺し跡なんて全然分かりません。八助さんに証言してもらって、大姫様に絵を描いてもらったんです。大姫様は、これは毛虫の這った跡に似ていると仰っていました」
もちろん、思いっきり嘘である。
だが、パパ殿は勢いよく顔を上げた。
「これを? これを大姫に描かせたのか?! そんな穢れのある話を大姫に聞かせるばかりか、絵を描かせるなんて……。本当に、八助がこのように説明したのか?」
「ええ。でも、一緒にいた検非違使の別当(隊長)殿が、蜂の刺し跡かも? という単語を聞きかじってしまって、なんか、蜂に刺されたと広まってしまったんですよ。八助さんはそれを気にしていたので、殿様に相談したかったんでしょうね」
「いや、いや……。違うだろう」
「え? 八助さんの相談がですか? それは間違いないですよ、わたしにも…」
「違う。そうではなくて、こんな傷跡ではなかったはずだ!」
「え、ホントに?」
わたしはわざとらしく驚いてみせ、もう一枚の絵を取り出した。
「え? じゃあ、こちらの方が正しいってこと? でも八助さんは自信がないって……。殿様、こっちならどうです?」
もう一枚の写真は、同じ毛虫が這った傷でも、赤い斑点が、点線のように規則的に付いている。二本の線が同じ幅で線路のように走っていた。
毛先に毒をもつ毛虫が刺しながら這うと、こういう傷跡になるのだ。
はじめに見せた、みみずばれになるのは、体の中心から毒液を出しながら這う毛虫の傷跡である。
当然、二枚並べて見れば、どちらが蜂の刺し跡に似ているかは一目瞭然だ。
パパ殿は、絵を眺めてすぐに、ほっとしたように、
「こっちだろう、高大の腕の傷は」
と言った。
「どうしてですか?」
「ん?」
「なんで、殿様はそんなに自信を持って、この傷が正しいと言えるんです?」
パパ殿は、一瞬だったが、確かに動揺した。
すぐに立ち直って、笑顔になる。
「え? いや、だって、どう見ても、この傷だろう? こっちのみみずばれ、蜂の刺し跡に見えるかい? 斎迩の君も見たんだろう?」
「いや~、見たと言えば、まぁ……。怖くて、けっこう目を瞑っていたので……ほとんど、八助さんに解説してもらったんですよ。だいたい、わたしに毛虫の這った跡なんか見分けがつくわけないじゃないですか」
「けっこう見分けがつくと思うけどなあ。いや、女性はそんなものなのか? 毒のある烏毛虫は二種類あるから。でも八助が見誤るなんて、あり得ないよ」
「今、毒のある毛虫って仰いましたね」
「あ、ああ、うん。この二枚の絵のようにね、這った跡がはっきり……、っ!!」
「殿様。内裏でも、高大殿は蜂に刺されて死んだと思われています。わたしは会議のときに、蜂の刺し跡はダミーかもしれないとは言いましたが、それが毒の毛虫だとは、一度も、誰にも、話していません」
瞳を二、三度小さく動かしてから、パパ殿は、一瞬で満点の解答を叩き出した。
「大姫が、この絵を見て、烏毛虫の這った跡のようだと言ったんだろう? そのとおりだよ。あの子は烏毛虫が大好きだから、いつも観察しているものね」
そう、このワナに引っかかったら、そう答えるしかない。
「じゃあ、この二枚の絵は、毛虫の毒の跡なんですか……。でも、八助さんは、こっちの方が高大殿の腕に付いていたって、絵に描いたんですよ?」
みみずばれの方の絵を、パパ殿に付きつける。
「それは八助の勘違いじゃないか。だって、八助本人も、ひと目見たときは、蜂の刺し跡だと思ったんだろう? こっちのみみずばれの方を見て、そう思うかい?」
パパ殿も、負けずに二枚の絵を並べて見せた。
「うぅん、たしかに、こっちの点々の方が蜂の刺し跡っぽいですけど~……、直接見た八助さんがこっちだって言ってるんですから、素人のわたしは、八助さんを信じちゃいますよ。それに、」
パパ殿の顔を覗き込む。
「さっきの家宰さんとけら男のアリバイ問題と、同じです。八助さんは、殿様の良き家臣ですよね。蜂にも毛虫にも詳しい。八助さんが殿様をかばって、嘘の証言をしたのなら?」
「なっ……」
今度こそ、パパ殿は絶句した。
「それだと、殿様が、取り調べに協力した八助さんを怒鳴りつけたのも、説明が付きますよね。死体を捨てる手伝いをさせたのに、なぜぐずぐずその場にいて、第一発見者になったんだ、って」
「そっ、そんなこと、あるワケがないだろう!!」
「や、でも、実際のところ、あの川原で、八助さんがいちばん頼りにされてましたもん。検非違使の別当(隊長)も、八助さんが蜂の刺し跡みたい、と言ったのを聞いて色めきたったくらいですし。貴族の皆さんって、蜂の傷も毛虫の跡も詳しくないんですね。
――つまり、直接遺体を見た八助さんの証言が信用されるのは、当然ってことです」
「バカな! 八助は年を取って目が悪くなったのさ。あの腕の傷は、こちらだ。蜂の刺し跡にそっくりじゃないか」
――とうとう、言わせた。
「あの腕の傷? 殿様、傷を見たような言い方ですね」
「あ、あ……?!」
「殿様は、ただの一度も、藤原高大殿の遺体を見たことがないはずなんです。いつ、ご覧になったんですか?」
「え、えぇ?」
初めて、パパ殿が焦りを顔に出した。必死で記憶を探っているのが分かる。
「いや、だって、僕は特別捜査員の一人だったんだよ。高大の身辺調査も極秘でやっていたし。遺体を検分していないはず、ないじゃないか」
「あ、やっぱり。あの頃、殿様はものすごくお忙しかったので、記憶が混乱してるかもしれませんね。
殿様が八助さんと近衛府で会ったとき、遺体はすでに仮屋(遺体安置所)に入っていました。その後、殿様は、高大殿の邸に捜索に行って、まる2日掛かりっきりでしたよね。その後、日記を持ち帰って来られた」
そして、内裏で、わたしや警察関係者、大僧正と、秘密の会議をしたのだ。
「大僧正も、他の方々もはっきり仰っていましたよ。殿様は、左大弁の遺体を見る暇がなかった、と」
「あ、あの会議の翌日、仮屋まで見に行ったんだ」
「殿様、その答えは、零点です」
ゆっくり首を振る。
「まず、殿様があの日記を持ち帰ったことで、左大弁への調査は打ち切られました。蔵人の詰所で確認したのですが、あの翌日に、遺体は高大殿のお邸に戻されています。お母上が引き取られたとか」
口を開こうとするパパ殿を、目で止めた。
「その前に見た、てのはナシですよ。わたし、調べたんです。その時点で、殺されてから5日は経っています。いくら神無月(10月)とはいえ、もう遺体はそのままの状態では残っていません。特に、腕の傷なんて、色も形も判別がつかなかったはずです」
この時代、仮屋といっても、ただの木造の小屋だ。ほぼ野ざらしと同じ条件で、遺体は5日も保たない。
「八助さんから話を聞いたときも、まるで殿様が、腕の傷を見たかのような話しぶりだったのが気になったんです。でも、伝聞ですからねー。直接、殿様がそういう言い方をするのを、待っていました」
完全に冷え切ったお茶をすする。
冷たい方が、乾いた喉にありがたい。




