家庭教師、推理する 1
静かだ。
室の下を流れる小川のせせらぎが、心地よく響く。
いきなり、パパ殿は脱力した。あぐらを解き、脇息を体の前に抱いて、完全に寄りかかる。
青の袍から部屋着の直衣に着替えていたが、襟元をほどいた。烏帽子が転がり落ちても気にせず、がっくり項垂れて長いため息を吐く。
「はぁぁぁぁ。がっかりだなぁ。僕ってそんなふうに思われてたの? そりゃないよ、斎迩の君」
うわ目使いでいたずらっぽく微笑まれて、不覚にもドキドキしてしまった。同時に、理解する。
――パパ殿、どんだけ変人でも、立派な平安貴族だわ。
家柄と血筋だけで出世が決まるこの時代、貴族に必要なスキルは、愛嬌と機転と、絶対に失敗をしない用心深さだ。
そもそも高位の貴族は、出世してなければ人間扱いされない。17年間も五位のままのパパ殿があれほど周囲に愛されている、その対人スキルを甘く見ていた。
――本気のパパ殿から、言質を取る。
想像以上にハードなプレゼンになりそうで、わたしも、あえてゆっくりと微笑み返した。
「いえいえ~、かなり理解していると思いますよ、殿様のこと。なんせ、ここしばらく、ずーっと殿様のことばっかり考えてましたから、わたし」
「へぇ? 求婚を断わられた相手からそんなこと言われるなんて、嬉しいね。僕のこと、考えすぎちゃって、おかしくなったのかな?」
「あ、わたし、溺れるタイプじゃないんで。自信がなきゃ言いませんよ。――殿様が高大殿を殺した、なんて」
ひた、と目を見つめる。
パパ殿もまっすぐ視線を返してきた。怒りも笑いもない、無表情な瞳。
この人は、目から感情を読まれることを熟知している。そして、それを隠すのに長けている。
「斎迩の君。二度も言われたら、冗談では済まない。本気なのかな」
パパ殿の姿勢は変わらない。脇息にダラけきったままだが、声が平坦になった。
お遊びタイムは終わりだ。
「もちろんです」
「へぇ。じゃあ、神の使いと名高い斎迩の君が、なんでそんな楽しいことを思いついたのか、聞かせてもらいたいな。ここ最近じゃ、いちばんおもしろそうだ」
「神使だなんて、信じてもいないくせに。わたしは人として、あなたを、藤原宗輔殿を断罪するんです」
パパ殿の片眉がひょいと上がる。
本名を知られ、呼ばれるという、平安貴族にとって最大の禁忌を犯されても、反応はこれだけだった。やはり、パパ殿の胆力は並みではない。
それでも、軽口は返ってこなかった。
「ご要望にお応えして、ご説明します。あ、疑問反論があれば、どんどん言ってくださいね」
ここからは完全に理論で勝負だ。
パパ殿は、この時代の人には珍しいくらい、迷信、超常現象の類を信じない。彼を納得させるには、理屈で攻める方がいい。
「一つ一つは小さな事柄ですけど、情報を集めていくと、殿様が犯人という結論になったんです。
――殿様、一部の蔵人から、『藤の蔵人』と呼ばれていますよね?」
やっとパパ殿は体を起こした。それでも脇息に頬杖をついて、嗤う。
「人の恥部を暴くのが、斎迩の君のやり方?」
「とんでもない。必要だから言ってるんです。まさか、忘れていないですよね。高大殿が日記に、最後に書いた一行ですよ」
『藤に会う』
「時間的に考えても、この藤という人物が、左大弁と最後に会った人のはず。まず探すべきは、この『藤』でしょう。
内裏では、そもそも高大殿殺害事件を捜査する士気が低かった。おまけに、『藤』という呼び名はありふれすぎていて、確定できない。でも、きちんと調べれば候補は挙げられたはずです。わたしができたんですから。本当に、内裏は、犯人を捜す気がなかったんですね」
先師のお方様の名代として、藤の少がお茶会に来たとき、教えてもらった。
これだけ藤原一族が席巻している世の中で、「藤」の字ひとつでは、個人を特定できない。そのため、そのコミュニティでもっとも古参のベテランが、「藤」と呼ばれるようになった。
実際、藤の少は、先師のお方様の乳母で、権大納言家でも、先師殿の隠居所でも、筆頭女房だ。
「でも、それを逆手に取る場合もあるんですね。蔵人の詰所で聞いてきたんです。若手ぺーぺーの高位の貴族の子息達が蔵人所に配属されると、殿様のことを、『藤の蔵人殿』と揶揄するって」
上級貴族は、従六位か五位で朝廷デビューする。
元服し、初めて出仕して蔵人所に配属されたら、17年間も五位のまま蔵人を務めているパパ殿がいた。しかも、大抵の貴族よりも上級の、北家中御門家の次男だ。
藤原一族の中でも筆頭5家に入る家柄のくせに、一度も出世していない。蔵人だけは、大ベテラン。
そういう意味で、一見、尊称っぽい「藤の蔵人」というあだ名が付いた。
でも本来、上級貴族にとって、五位の蔵人など最初のステップ、足掛け程度の意味しかない。そんな場所に、高位の藤原一族が長年いますよ、恥ずかしいですね、という、かなり陰湿なイヤミなのだ。
「サイテーなあだ名ですね。そして、左大弁も、殿様のことをそう呼んでいたんじゃないですか。左府殿の親戚なのを鼻にかけるタイプだったみたいですから。左府殿の直系の孫である殿様に対して、特に風当たりが強かったはずです」
自分よりも高い身分。蔵人所で愛されている性格。信頼されている技能。
マジメに働かない自分の自業自得とはいえ、高大は焦りと妬みでいっぱいだっただろう。
「だいたい、藤原一族を鼻にかけていたらしい人が、日記に、ただ『藤』って書くのって変じゃないですか? 出世している一族のことなら官位か役職で書くでしょうし、自分がキライな人のことは、上司ですら、名指しでボロクソに悪口書いていましたよね」
そんな左大弁が、「藤」と書いた相手。
いやいやながらも、助けを求めようとした相手。
妬み、嫌い、貶めていたけれど、自分を助けられるだけの実力を持った相手。
それでも、本名は書きたくなかった相手。
「人間関係せまそうな人だったらしいですし、殿様は条件にぴったりです」
突然、パパ殿が笑い出した。
肩を揺すって、けっこうな爆笑だ。
腹筋をひく付かせながら、涙を拭って、息も絶え絶えになっている。
「すごいな、斎迩の君! 今の説明だけ聞いていたら、僕、とっても褒められてるよね。左大弁の方が、悪者みたいだよ」
「悪者に決まってるじゃないですか。幼い今上に蜂を仕掛けたバカ者ですよ。殺されたからって、彼の罪が無くなるわけじゃありません」
「まさか、僕のあだ名の話題で、こんなに爽快な気分になるとはね。明快な理屈だった。そうだよ、左大弁は率先して僕のことを『藤の蔵人殿』と呼んでいたな。――それにしても、いつの間にそんな噂を仕入れたんだい」
「牢の千手丸に面会に行ったときです。あの後、書類仕事をしている殿様を待っている間、いろんな部署で話を聞いていました」
「ふーん……」
すっとパパ殿の目が細くなった。空気の色が変わる。
「そんな以前から、僕のこと疑ってたんだ」
「えぇっと。ちょっと、違います。もっとずっと前からです。あのときは、確認で」
「え?! ちょ、じゃあ、いつから?!」
初めて、パパ殿が素で驚いた声を出した。
「いや、だから、小さな違和感が積み重なったんですって。いつが最初かっていうと、そうですね、左大弁の死体が発見された、翌日、かな……?」
「はぁ?!」
今度こそ、パパ殿は呆気にとられて、固まった。




