家庭教師、勝負する
本殿の女房を先触れとして、東の対屋にパパ殿がやってきた。
室じゅうに広げられた品々に目を丸くしていたが、わたしを見ると、にやっとした。
「久しいな、斎迩の君。まさにこの日にやって来るとは、やはりお見通しなのか、単なる偶然か」
「はい?」
「いろいろ新事実が判明したのだ。話せるか」
「それでは、場所を移しましょう」
わたしの返事を待たずに、家宰さんが答え、本殿へ戻っていった。
まあ、たしかに、プリザーブドフラワーで溢れている部屋で不穏な話をするよりは、わたしが本殿へ行った方がいいだろう。
立ち上がると、大姫が声を掛けてきた。
「斎迩の君。今日は? お泊りになれるの?」
わたしは口ごもった。
スケジュール的には問題ない。平安時代に何泊しようが、現代に戻ればリセットされる。
でも。
「お殿様の、お許しが、あれば」
予想より早く、パパ殿へのプレゼンが始まってしまう。その後、パパ殿は、わたしを大姫に近づける気になるだろうか。
「あら、じゃあ大丈夫よ! 夕餉をご一緒しましょうね」
無邪気に言う大姫に、引きつった笑顔を残して、わたしは本殿に向かった。
通された室は、パパ殿の楽器練習部屋だ。本殿のいちばん端の母屋で、周りは庇と簀子に囲まれている。鑓水から引いた小川をまたぐ高床式になっていて、密談にはもってこいの部屋だ。
円座(座布団)に落ち着いたパパ殿は、おもむろに切り出した。
「仁覚殿が亡くなったそうだ。本日、内裏に早馬が届いた」
伊豆に配流になっていた、三宮院の元・阿闍梨。鳥羽帝暗殺未遂の主犯。
「死んだ? 伊豆に着いて半年も経っていませんよね。長旅で病気にでもなったんですか」
伊豆は、流罪となった貴人をずっと引き受けてきた土地だ。この後、源頼朝も命を救われて、伊豆に流される。都とは比べ物にならないにしても、この時代の庶民よりはずっと恵まれた邸で、かなり贅沢な生活が許されていた。
会う人と、外出を厳しく制限されるので、実情は、贅沢な軟禁だ。
とはいえ、この時代の貴族にとっては、京都以外は地の果て。悲観して嘆きまくって、生きる気力を失う流罪者が多く、配流=死、というイメージは定着していた。
それにしても、半年は早い。
しかも仁覚という人物は、この程度で意気消沈するような、しおらしい印象ではなかった。
「いや、道中も伊豆でもお元気で、やりたい放題だったらしい。むしろタガが外れたというか……。かなり曖昧な報告だったが、どうも酔って、崖から転落したようだ」
仁覚は、流罪と決まったとき、蓮念と名を変えた。
観蓮、寂乗、観照という弟子だけを連れて、伊豆へ旅立った。途中で、兼蓮という陰陽師と出会い、意気投合したそうだ。
「どうもそれで、新たな悟りを開いた、と言い出して、あちこちで布教していたらしい」
「はあ」
タフなぼーさんである。
仁覚は、お行儀のいい貴族の息子ではなく、陰陽師とか香具師になっていれば、それなりに幸せな人生を全うできたのではないか。
「まあ、何もかも、その弟子達の報告なのでな。真相は分からぬ。事故でも自殺でもあり得る。だが、伊豆に流された罪人のことなど、都で気にする者はおらぬ」
「それは、他殺もあり得るということですね」
パパ殿は剣呑な目で、睨んできた。
「あり得ないとは言わん。だが、伊豆の国司が、事件性はナシと報告してきた。葬儀も終わって、仁覚、いや、蓮念殿を悼む信者がおおぜい参ったとか。それで、幕だ」
そう。
誰もかれもが、この事件にさっさと幕を引きたがっている。
今上は命を狙われたが、未遂に終わり、無事に元気に育っている。関与した犯人たちはいずれも高位の貴族の家の、公卿と僧侶。
これが政争だったなら、もっと長引いただろう。派閥争いは、良くも悪くも後を引く。
でも仁覚の目的は、個人の出世だった。どこの派閥にも頼らずに、帝の交代劇をもくろんだ。
いざ失敗して捕まってみれば、どの貴族も仁覚を庇う筋合いがなく、さっさと断罪された。宮廷の勢力争いには何ら影響を与えなかったのだ。
もちろん、謹直な左府(左大臣)は、親として責任を負った。だが、次の左大臣になったのは、左府の実弟だ。権力争いもなく、静かな交代で、むしろ、前・左府の潔さに、同情だけが集まった。
この状況で、仁覚が死んだのだ。遠い地で、詳細は分からないが、使者に鞭打たない、というムードになっているのは、よく分かる。
ぶっちゃけ、わたしにも不満はない。
仁覚は、自分の犯した罪に相応の罰を受けた。現代でいえば無期懲役刑であって、受刑中の病死は、また別の話だ。
納得がいかないのは、同じ罪を犯していながら、罰せられない人間がいることだ。
「醍醐寺の方は、いかがですか」
パパ殿は、またにやりと笑った。
「だからそなたは、おもしろいのだ。実は、霧舟が最後に着ていた着物が見つかってな。内裏に保管されていたが、ちょいと拝借してきた。これだ」
横に置いていた行李から、着物と笠を取り出した。
貴族の女性の外出姿で、虫垂れ布姿という。袿を裾でからげてすぼめて歩きやすくし、掛帯を締める。笠からは、麻で編んだ布が膝下の長さまで垂れていて、顔を隠すのと同時に、虫よけにもなっている。
袿は正絹で、菊の文様の刺繍が散りばめられた、凝ったものだった。
霧舟が、たまの休暇に、憧れの勝覚に会うためにオシャレしたのなら、ぴったりだ。
「カツラババはスゴ腕でな。今回は検非違使が、捜査の目的をある程度説明したらしい。そうしたら、霧舟の足取りをみごとに当てた」
霧舟は、神無月(10月)に入った頃、かなりの金子を出して、東の市で網代車を雇い、鳥辺野まで行ったそうだ。
鳥辺野は、東山に広がる荒れ地で、つまりは都人の死体の捨て場所である。左大臣の邸の上臈(高級)女房が行くような場所ではない。
だが、そのさらに南東に、醍醐寺がある。
貴族の女性が、歩きやすい虫垂れ布姿だったことも説明がつく。
「網代車の牛曳き達は、午前の遅くに都を出発して、女を鳥辺野で降ろした。そのとき、翌日の昼に同じ場所に迎えに来るように命じられたそうだ。が、約束の日時に行ってみたら、その女の死体と、法外な金子が置いてあった」
牛曳きは字が読めなかったが、都の簡単な絵地図に、羅生門がひときわ大きく描いてあったので、そこに死体を置いた。そのとき欲を出して、着物と笠を盗み、年が明けてから市で売ったらしい。
「それ、カツラババさんが突き止めたんですか。すごい伝手ですね」
「同じく死者から物品を漁って売る商売だからな。縄張りには目を光らせているらしいぞ」
怖いもの見たさで、カツラババさんに会ってみたい気もする。
が、今のわたしが平安京をうろうろするのは危険だろう。蔵人も検非違使も、大僧正の要請を受けて、わたしを捕獲するつもりかもしれない。
逃亡犯のような、微妙な気分に陥りつつ、話を戻す。
「だけど、その話でも、座主の関与は証明できませんね」
どうせ残っていないだろうが、たとえ牛曳きがその書付を持っていても、都の絵地図では筆跡も分からない。用意周到だ。
「ああ、牛曳きの話では、霧舟は機嫌が良くて楽しそうで、これは逢引だ、と思ったらしいがな。なんでも、頼まれたことをやり遂げたので、ご褒美がもらえるとか、うきうきしていたらしい」
令子内親王のお邸に投げ文があったのは午前中だった。霧舟はその役目を終えて、報告という名の、デートに向かったのだ。
「あ。そうか。じゃあ、きっと、前の左大弁が死んだって、霧舟が座主に話したんですね」
左大弁の遺体が川原で発見され、わたしが検死をした。その翌日に、わたしは先師のお方様に呼び出され、戻ってきたら、何者かがすでに投げ文をしていたのだ。
霧舟が、あの朝、東の市に行ったのなら、その噂でもちきりだったはずだ。
「千手丸は、左大弁が死んだことさえ知らなくて、その情報を座主に知らせようとしていました。でも座主が事前に知っていたとしたら? 座主は、兄の仁覚を疑いますよね」
「そうだな。自分と千手丸は殺していないのだから」
「しかも、三条の川原なんて目立つ所で死んでいて、検非違使どころか蔵人頭まで出張ってくる大事件になっている。厳しい捜査が行われると、予想できたはずです」
だから、千手丸を切り捨てることにしたのだろう。
左大弁の側から調べていけば、一緒に行動していた千手丸が捜査線上に挙がってくるのは、時間の問題だ。
「ふむ。霧舟は、なぜ死んだのだろうな」
パパ殿の呟きに、イラッとする。
「恋する女性ですよ? 好きな人からけっこう危なそうな頼み事をされて、やり遂げた。ご褒美って、たとえば結婚を迫ったとか。そんなの、勝覚にとってはただの脅迫でしょう」
そして、自分の立場を脅かす者に対して、勝覚はどこまでも残酷になれる。
だが、今は、そっちは問題ではない。
「左大弁を殺したのは、本当は誰か、ということです。こちらも、内裏では、もう幕引きなんですか? 犯人も捕まっていないのに?」
パパ殿は肩をすくめた。
「全体の雰囲気は、そうだね。証拠もあるし、藤原高大が、今上に蜂を仕掛けた張本人なのは間違いがない。そんな男を殺した犯人なんか、必死で探す気がしないよ」
あとは、と続ける。
「高大が今上暗殺犯だと知っている公卿の大半は、本当に祟りというか、バチが当たったと信じてるよ」
「今上が祟るんですか? くっだらない!」
「珍しく熱くなるねぇ。近衛府や蔵人の上の方は、仁覚が人を雇って、高大を殺したのだと考えてるね」
「へぇ。蜂に刺されたような見せかけの跡まで付けて、ですか? わざわざ、自分達の犯罪を思い浮かばせるようなやり方で殺すわけ、ないですよ。仁覚がやるなら、それこそ食事でも招待して、さっさと毒殺して、知らん顔をして病死したと言えば済むことです」
さすがに、パパ殿が怪訝な顔をした。
わたしは、少し息を吐いて、冷静になる。
穏やかに口を開いた。
「すみません。ちょっとムキになってしまって。――今の説だと、殿様は、仁覚に雇われたことになっちゃいますけど。ちょっと考えられませんよね」
少しの無言のあと、パパ殿はふっと笑った。普段の、この人の笑い方ではない。瞳がまったく笑っていない。
「ごめん、斎迩の君。意味が分からなかったよ」
「前の左大弁、藤原高大殿を殺害したのは、殿様ですよね」
さあ、勝負開始だ。




