家庭教師は不在中 @内裏 1
大晦日から切れ目なしに続いた新年の行事が、やっと一段落した。
暖かい日だ。ほのかに梅の香りがする。
気の早いウグイスが笹鳴きを繰り返している。
自然と笑みがこぼれた。
「梅にウグイスとは、まさに春じゃのぅ」
場所は内裏、仁寿殿。
中奥と呼ばれるここは、後宮ではないが、紫宸殿ほど政の表舞台でもない。特に院政が始まってからは、ほぼ使用されていない。
だが、格式は高い。
紫宸殿で話したことはすべて正式な政として記録されるが、仁寿殿の面会は、ぎりぎり私事扱いだ。
自宅謹慎中とはいえ、現・左府(左大臣)の息子、政治力資金力ともに傑出した醍醐寺の座主との面会には、うってつけである。
「ウグイスは、チャッチャッと下手くそな鳴き方もかわいらしいと思わんか。こればかりは春先にしか聞けないからの」
ゆったりと茶を飲む。
目の前の座主が、かすかに眉間にしわを寄せた。
――ほ。珍しい。よほどイラついていると見える。
儂が知っている座主、勝覚は、常に柔和な表情を崩さない。特に、不快感を示すような態度は、完全に押し隠していた。
――ま、今の顔も、たいていの者には見分けがつかんだろうが。それでも、これほど追い込んだか。やるのう、いなご麿。
内心ほくそ笑んでいると、勝覚が軽く咳払いした。
「大僧正。お話があるということで参内したのですが」
「ほ。ズルいのぅ。話があるのは、そなたじゃろ。なんぞ儂に聞きたいことがあるとか、文をもらっておったが」
「……ふた月も前のことですね。三宮院からの贈物について、お文を差し上げました。大僧正殿にお伺いした方がよろしいかと愚考したのですが」
「んあ~、そんな内容じゃったかの。まったく見当もつかん話で、三宮院の執事に調査させたが、ラチがあかんかったんじゃ。そのうちに年末の追儺式(鬼祓い。中世では大晦日に行われた)やら三方拝(元日に帝が行う儀式)やらで忙しゅうなってしもうての。……というか」
儂はにやにやしながら、どんどん硬い表情になっていく勝覚を見た。
はっきりいって、かなり気分がいい。
「その、黄金の鈴とやらにこだわっとる場合か、醍醐寺は? 儂が聞いとる限りでも、相当マズイ状況のようじゃがの」
勝覚をなぶっている自覚はある。
人から侮られる経験もだが、上に立つ者としての資質を疑われるなど、勝覚にとって人生初、許容できない事態だろう。
「知らせでも述べたが、神祇官から訴えが上がっておる。本来なら、追儺の除目(年末の追加人事異動)に加える予定じゃったのに、あまりに辞退者が続出して除目が成立せん、と泣きつかれたんでな。こういうときは年の功で、儂にお鉢が回ってくる」
迷惑を掛けられているのはこちらだ、と、イヤミたらしく言うと、勝覚は、
「は。――大僧正殿にはお力添えいただき、まことにありがたく……」
優雅に平伏した。俯いた顔は、唇を噛みしめている。
――いじめるのも、いったんはここまでにしておくか。
呼び出す建前とはいえ、神祇官からの訴えは本当だ。
3か月ほど前から醍醐寺は怪異が重なり、混乱している。
当初は寺の中だけで収まっていたが、現在は、相撲士を筆頭に寺男寺女など、辞めたい者が続出。果ては見習い僧侶までもが寺換えを希望し始めている。
さらに、都じゅうに怪異の噂が広まって、後任も決まらない。
勝覚は隠しているが、神祇官に報告義務のない下働きの者などは、夜のうちに逃げたり使いに出たまま戻らなかったりしているらしい。神祇官で認識しているよりも、醍醐寺の内情は人手不足なはずだ。
醍醐寺は独立採算の寺だ。背後の醍醐山を含め、広大な敷地を保ち、資源に恵まれ、借地賃料などもあって、本来のお布施以外にも金銭的には豊かだ。
とはいえ、多角経営には人材が要る。山も森林も田畑も、賃料の徴収にも、信頼できる人手が不可欠である。
遠からず、醍醐寺は金銭面でも困窮し始めるだろう。
「いずれにせよ、怪異を落ち着かせて噂を払拭せぬかぎり、後任者は来ぬ。その辺りはどう考えおるのか」
「仰るとおりですが……。本当に、何がなにやら見当がつかないのです。それで、取っ掛かりとして、黄金の鈴がどこから来たものか知りたく思いまして」
「ふむ。三宮院の執事に調べさせたところ、儂が醍醐寺に贈るよう手配した中に、黄金の鈴など、存在しなかった。執事の書いた目録にも、そのような物は載っておらんかった。だいたいそんな金目の物があれば、売って寺のタシにするわ」
内裏に運ばれてきてから儂が紛れ込ませたのだから、当然だ。
知らん顔をして、執事からの文を勝覚に見せる。
これは三宮院の執事への疑いを晴らすためだ。何も知らないのに、勝覚に逆恨みでもされたら、気の毒すぎる。
「畏れながら……、では、あの鈴は、大僧正殿が加えられたのですか」
まあ、当然、そうなるわな。
勝覚の今日の目的も、それを確かめるためだろう。
「いや。儂もまったく預かり知らぬ。あの鈴はいつのまにやら醍醐寺への荷に入り込んだんじゃ。勝覚、冷静に考えてみよ。醍醐寺の騒ぎは詳しく聞いておる。法具である鈴に人の声を籠めるなど、人にできると思うか」
「大僧正殿の御業をもちましたら、あるいは、と……」
「アホ抜かせ。そんな業が人にできるなら、儂は何を引き換えてでも、真剣に教えを請うわ」
これは本心だ。斎迩の君がなにやらちょいといじっただけで、鈴から千手丸の声が聞こえてきた。あのときは本気で、心の臓が止まるかと思ったものだ。
「それに、問題は黄金の鈴だけではなかろう。子どもの呻き声が、寺に絶えず響いておるとか」
「は。……なぜ子どもの怨霊なのか、困惑しております」
ふん、白々しい。
儂は少し押し込むことにした。
「目を逸らすでない、勝覚。普通に考えれば、醍醐寺が、恨みを買うておるということじゃろうが。なんぞ覚えはないのか。千手丸はともかく、子どもの怨霊とは尋常ではなかろう」
「本当にっ、得心がいかぬのです! なぜ私が子どもや千手丸に恨まれるというのです? 納得がいきませぬ!」
――本心から言っておるのだろうな、この者は……。
本気で、今上からも千手丸からも恨まれる筋合いなどないと考えているのだ。
儂は知らず知らず目を瞑った。
「誰もそなたが恨みを買ったなどと言ってはおらぬ。醍醐寺の誰かかもしれぬじゃろう」
儂の方も、たいがい白々しいセリフを吐きながら、いなご麿の報告を思い出していた。
いなご麿は、床下に潜んでいた約半日、忘れないように座主の独り言を何度も反復して暗記したらしい。その後、いなご麿本人の感想も書いてあった。恐怖で総毛立った、と。
あやつの感覚は正しい。
そして、人生を仏道に捧げてきた儂には、もっと正確に、勝覚の目的と異常性が理解できる。
勝覚は、神仏も元は人間、今上は自分と同じ血族、と呟いていたらしい。
産まれた場所の違いで、自分は帝にはなり得ない。
だが、神仏になら、なれる。
幼いときから敏かった勝覚は、それで早い段階から宗教界に入ったのだ。こやつが醍醐寺で行っているのは、自分が神仏になるための、実験だ。
ブッダも、その教えが広まるまでに、多くの弟子を殺された。だから、千手丸が自分の言葉に従って罪を犯しても、処罰されても、勝覚にとっては想定内。神仏になるための要素のひとつであって、特に気にすることではないのだ。
こんなヤツに、反省を、悔悟を、期待できるか?
否。
勝覚に与えられるのは、恐怖だけだ。
それも、仏罰などという曖昧なものでは効果がない。
もっと現実的で、我が身に差し迫った恐怖が必要なのだ。
いよいよ、必殺の一撃を繰り出す頃合いだろう。
「まぁ、そなたの急務は、神仏の怒りを鎮めることじゃ。それで、少しばかりヒントをやろうと思っての。――今上は、昨年の御病の際、薬師如来のお使いによって、お命を救われた」
勝覚は、頬をゆがめて嗤った。
「薬師如来のお使いとは、また……。大僧正殿らしくもない、仰りよう。大僧正殿の熱心なご祈祷によって今上がお元気になられたこと、拙僧でも存じております」
「ん~、まあ、そういうことになっているがの。今上のご様子が殊のほかご不快になられたときに、突然薬を持って現れた者がおったんじゃよ。当然、初めは疑ったが、見たこともない薬や、いつまでも溶けない氷や……」
儂はそのときの様子を事細かに話してやった。
何もかもが驚きの展開で、嘘などつく必要もない。
隠したのは、斎迩の君という名前と、連れてきたのが速足の蔵人、という点だけだ。
「神使は、内裏にいらしたときは公達姿だった。美々(びび)しい公達でのぅ、内裏の者らが色めき立っておったわ。が、次にお会いしたときは女房姿でな。令子内親王のお邸に落とされた投げ文の内容を事前にご存じだった」
薄笑いを浮かべて聞いていた勝覚が、だんだん真剣になっていく。
「内裏の者ら? そんなに多くの者が、そのお使いを見たのですか?」
「うむ、特に秘密でもなんでもないぞ? 生身の体で、触れることもできたしの。蔵人頭も右近衛府長官も、おお、検非違使の隊長、兵衛督も直接会って話をしとる。なんせ、前の左大弁をあぶり出すために勅令を出すよう命じたのは、神使だったんじゃから」
勝覚の頬がぴくっと動いた。その罠に簡単に引っかかって、左大弁が醍醐寺に押しかけてきたことを思い出したのだろう。
そこで儂は最後の爆弾を落とした。




