家庭教師は不在中 @醍醐寺 8
「え、けら男? なんでここに、ってかおまえ、そういう格好、似合うな」
内裏で声を掛けてきたのは、童殿上の姿をした、けら男だった。
元服していないから童殿上姿なのだが、けら男は俺達のなかでは最年長、年が明けたら16歳だ。背も高いし、浅緑の単衣が爽やかイケメンである。
「しっ。大僧正様が今日だけ、従者にしてくださったんだ。――いなご麿、大事な話がある」
「俺の方もあるぜ。でも長ぇから、文に書いといた。いろいろ予定が狂ってんだ。そこらへん、できれば斎迩の君と相談したいんだよな」
けら男は一瞬、目を泳がせた。が、思い切ったように口を開く。
「俺の話もそれだ。斎迩の君がお姿を隠された」
――。
――――。
――――――は?
俺の頭は理解を拒否する。
姿を隠された? 死んだってことか? あの、斎迩の君が?
「ンなバカなっ。あの人は殺したって死なねぇよ!」
脳裏に、三条の川原に転がっていた左大弁の死体が浮かんだ。
「まさか、誰かに殺られたとか言うんじゃねーんだろうな。いろんなことに首を突っ込んでたわりに、どっか抜けてっから……」
「落ち着け、ばか。『お隠れになった』んじゃない、言葉どおりの意味だ。お邸にいらっしゃらなくなった。今、必死で探している。だが……、おそらく、都のどこにもいらっしゃらない」
「なっ、おっまえ、なに悠長にこんな所にいるんだよ! 探せよ! 都じゅう探し回れよ!」
俺はけら男の胸ぐらを掴んだ。
ひき麿が俺の隣に立つ。
「どおしたの~。あれ、けら男、久しぶり~。なんかものすごく目立ってるよ、二人とも~」
そう、ここは蔵人の詰所の、さらに従者の待機所だ。休憩していた相撲士達が驚いて、俺達を見ている。
千手丸の母さんを荷車に乗せて、半日かけて醍醐寺から内裏に到着した。
今、母さんは千手丸と、最後の親子の対面をしているところだ。
その間、俺達はこの待機所から出ないように言われていた。茶菓子が用意されていて、至れり尽くせりだ。俺以外の3人は力士なので、ものすごい勢いで食いまくっていた。
そこに、けら男が来たのだ。
「せっかく来てくれたんだもん~、落ち着いて聞こうよ」
ひき麿が茶碗を3つ持って、待機所の隅の土間に座った。
3人で輪になる。
待機所は広いし、この体勢なら盗み聞きされる心配もない。上床に座っている2人の相撲士も心配そうに見ていたが、すぐにおやつに戻った。
けら男が、順序立てて説明し始める。
俺達が醍醐寺に向かってからすぐ、斎迩の君が速足のお殿様のお邸に来なくなったこと。
そろそろ一か月が経つが、連絡も一切ないこと。
お殿様が事情を尋ねた文を認めたが、文が届かなかったこと。誰も宛先を知らないこと。
大姫様がとても心配していて、持ち主が若い女性の邸を調べあげ、虱潰しに確認したが、見つからなかったこと。
聞いているうちに、俺の頭も冷えてきた。
大僧正や先師のお方様も協力してくれて、都じゅうの邸の一人暮らしの女性を当たったらしい。
「雨彦や八助さんも手伝ってくれた。父も、探索に集中していいと言ってくれてな。大姫様が……泣いて、食事も摂れないし、夜もあまり眠っていらっしゃらない。本当に心配していらっしゃる」
大姫様が絡んだ件で、けら男が指揮を執ったなら、見落としがあるはずがない。
「お殿様はぁ? どう言ってるの~」
けら男は、また少しためらった。
「お殿様は、大僧正も先師のお方様もだが、斎迩の君は薬師如来のお使いだから、お役目が終わって、もうお姿を見せないのだろう、と……。実は、大姫様以外のほとんどの者が、そう考え始めている」
「え~、なにそれ~。そんな理由で、斎迩の君を探すのやめちゃうのぉ~?」
ひき麿にしたら珍しく、怒りの声音だ。
「そうだろう? 俺達が、いちばん斎迩の君と付き合いがあった。あのとんでもない人が神使だと思えるか? でも、この話については、周りのみんな、同じ反応だ。それで、大姫様の必死のお願いも、あまり聞いていただけない」
けら男も、不満を口にする。ひき麿の怒りより、もっとレアなことだ。
だが俺は……、正直、斎迩の君が神使という説には、反論できないものを感じている。
だが。
「神使かはともかく、お役目を終えた、ってのは変だ。俺達が醍醐寺にいるのは、斎迩の君の計画だぜ。あの人がこんな中途半端に放り出すわけがない」
けら男が、我が意を得たり、というふうに頷く。
「そう。もともと斎迩の君は、大姫様が結婚するまでの教育係だろう? 結婚どころか裳着もしていないのに、なんの挨拶もなくやめるはずがない、と大姫様も仰っている。――俺もそう思う。斎迩の君は、大姫様の師としての矜持があった。いい加減なことはなさらない」
「しかも、その文にも書いたけど、斎迩の君の考えた計画と、かなりズレが出てるんだよ。もし斎迩の君が神使なら、そういうことだってお見通しのはずだろ。なおさら姿を見せないってのはおかしくないか?」
「たしかに……。分かった、その意見と合わせてこの文を見せて、大僧正とお殿様を説得してみる」
けら男が力強く答えたが、俺は呆然としてしまった。
俺は大事な人を失くした記憶がない。速足のお殿様のお邸に来て初めて、大事な人達ができたからだ。
醍醐寺はあくまで潜入先。あの邸に戻ったら、またいつもどおりの顔ぶれで、楽しく毎日を過ごすのだと、漠然と考えていた。
ひき麿は相撲士になるし、俺だってこの先どうなるか分からないのに、二度と会えなくなるとは想像していなかったのだ。
その中でも、特に斎迩の君は……。
「斎迩の君って何が起こっても大丈夫な感じだから~。なんか、いつでも会えると思ってた~」
「今でも2-3日おきだし、そもそも大姫様の師だし、いつかは別れるお方だが、そういうことを思いつかないほど、馴染んでいるからな」
そうなのだ。
「あの人、めちゃくちゃ騒々しいからなー。花嫁教育の師のくせに自分は階から外に出るとか、一緒に虫を集めるとか、都大路を走るとか死体を検分するとか、なんだそれ、って……」
なに言ってんだ、俺。
こんな、まるでもう斎迩の君に会えないようなこと、俺以外のヤツが口に出したら、ぶっ飛ばす。
「いなご麿。斎迩の君は大丈夫だよ~。だって斎迩の君だもん」
ひき麿の根拠のない慰めに、俺は必死でしがみつく。
そう、斎迩の君は大丈夫。
だって、あの、斎迩の君だぜ。
だが、今後、この計画について、相談できる人はいない。おそらく斎迩の君の計画について、もっとも細かく聞いていたのは、俺だ。大僧正もある程度は知っているだろうが、座主が疑っている以上、俺と大僧正が連絡を取り合うわけにはいかない。
俺は、あの座主相手に、ひとりで考えて、方針を決め、実行しなければならないのだ。
醍醐寺への帰り道、往きとはうって変わって、千手丸の母さんは晴れやかな顔をしていた。
「よかったですね。息子さんに会えて」
垂れ目の人の好さそうな相撲士が声をかける。
「ええ、本当に……。直接話して、あの子が変わらず座主様に忠実だということが分かりました。これで寺の方々にも顔向けできます。都まで連れてきてくださった皆様のおかげです」
荷車の上で、母者はゆっくりと頭を下げた。
今はひき麿と垂れ目の二人で荷車を曳いている。後ろを押している垂れ目が、話しかけたのだ。
俺ともう一人の力士は休憩中で、さらにその後ろを歩いていた。
「……ったく、わい等に礼言うとか、たいていはまともなんやけどな」
俺の隣の相撲士が、低く吐き捨てる。
いちばん体が大きく、年齢も上の力士だ。顔が真四角なので、四角さんと呼ばれている。
「今上弑逆未遂で佐渡送りだぞ。息子の罪を悔いるでも、息子の身を心配するでもなく、座主様かよ」
俺は驚いて、四角さんの顔を見つめた。千手丸の犯罪は、事が事だけに詳しくは知らされていないのだ。
「ん? あぁ、わいは神祇官に所属しててん、内裏の仲間から情報は入るよってな。おまぁも三宮院から来たんやし、知っとるやろ」
「は、はい。びっくりしました。あの寺に、そんなはっきり言う人がいるなんて」
四角さんはいかつい肩をすくめた。
「わい、千手丸のこと感心しとったのよ。ヤツが望むなら内裏の下働きにでも推薦してもいい、て。腕も立つし、読み書きは達者やし、計算もできたしな。そんで主人にも忠実って、いまどき下級貴族でもおらんてな。――あんな母者と座主様に育てられなければ、も少し、違う道があったじゃろぅに」
「……千手丸に同情してる人、初めての気がします」
草珍は、千手丸に同情しているのとは、少し違う。
はっきりと千手丸の生い立ちに同情を示したのは、四角さんが初めてだ。
「いや? 口に出さんだけで、いると思うで。みんな遠慮して言わないだけじゃ。おまぁさんも途中から来たから、醍醐寺が妙だっちゅぅのは分かるじゃろ」
「まあ……。実はどうにも居心地が悪くて、でもとても言えるような雰囲気じゃないですし。なんか、安心しました。あの寺でそんなふうに思っている人がいるなんて」
「あー、かめへん。わい、異動願い出してきたんや。さっき、神祇官の方にな。もともとそれ狙いで、今日、母さんの送り迎えに参加してん」
俺達が輪になっていたとき、途中からこの人も誰かと話し込んでいた。
「わいは相撲士やし? 寺じゅうで座主様を崇め奉っとっても、待遇が良ければ別にかまわん、思うとったのよ。けんど、最近のあの寺はいただけん。長く居たい場所じゃないけんね」
ひき麿に聞いてはいたが、相撲士達は思っていた以上に自由で、醍醐寺に不満を感じているようだ。
そこまで考えて、俺はハッとした。
「え、じゃ、四角さん。最近のお寺のこと、神祇官に報告したんですか」
「そりゃそうじゃ。きっちり理由言っとかんと、わいの異動願い、受理されんじゃろ。お、交代じゃ」
四角さんは、ひき麿と後退して、台車を曳き始めた。
ふたりに水やおやつを手渡して、俺も台車を押す。
神祇官は、祭祀を司る省だ。いずれ大僧正にも報告がいくだろう。
俺の文も読んだ大僧正は、公式に訴えられたことで、何か動けるようになるかもしれない。
――大僧正が動くとしたら、いつ、どのようにか。
できればそれと連携して、次の大きな騒動を起こしたい。
俺は、できるだけ多く、今後の展開を予想してみた。それぞれについて、頭の中で模擬実験して、成功の確率と危険度を計りながら、黙々と台車を押した。




