家庭教師は不在中 @内裏 2
……そこで儂は最後の爆弾を落とした。
「そういえば、神使は牢内の千手丸にも面会したらしい。なんぞ話し込んでおられたとか……」
勝覚は蒼ざめた。
「なっ、そんな身元不審な者を、牢まで通したのですか」
「何を言うとる。もはやその頃には、神使は内裏では有名で、蔵人頭の許しも得とった。ちゃんと近衛士も蔵人も見張りに控えておったわ」
儂はわざとらしく、額を叩いた。
「おお、神使が、黄金の鈴に千手丸の声を籠められたのではないか? 儂は、神使が千手丸に面会したことは、だいぶ後になって聞いたでの、つながらんかったわ」
勝覚は小さく震えていた。
「神使はお優しい方での。千手丸の最後の想いを醍醐寺に届けたかったのじゃろう。うむ、それなら、祟りだの生霊だの騒ぐこともない。よかったのぅ、勝覚。問題のひとつは、これで解決じゃ」
「だ、大僧正殿ともあろうお方が、化生のモノに惑わされるなど……」
「いや、儂とて最初は、怨霊封じや邪気祓いの香やら、いろいろ試したぞ? まあ、儂ひとりの話では信じられんなら、内裏の主だった者に聞いてみるがよい。べつに箝口令なんぞ敷いとらんからな。みんな喜んで話してくれるじゃろ。神使の話をしたくてたまらない者ばかりじゃからの」
儂は指折り数えた。
「近衛府、蔵人の詰所、検非違使の詰所、安福殿、春興殿、清涼殿と後涼殿にも、今上のお見舞いにいらした。儂の知らん所にもあちこち顔を出していたようで、正直、すべて把握しとるわけではない」
つい、素のまま、笑ってしまった。
「ほんに、いきなり現れて、どこにでも居るんじゃ。そのわりに、こちらが会いたいと思うても、どこにいるか分からんときとる」
素っ頓狂で突拍子もないことばかり仕出かす、おもしろい娘を思い出す。
斎迩の君がこの説明を聞いたら、きっと、「わたしは珍獣かなんかですか?!」と目を三角にするだろう。
泣いたり笑ったり怒ったり焦ったり、忙しい娘なのだ。
「また会えるかのぅ……」
呟いて、茶を啜った。
ふと勝覚を見ると、それこそ珍獣を見るかのように、儂を見つめていた。
子どもの頃から知っているが、おそらく、誰よりも早く勝覚の危険さに気づいたのは、儂だ。
勝覚は、人外の化け物だ。
人の自然な情、則(常識)、善悪の観念を簡単に捨て、飛び越える。
顔の部品、しぐさ、ひとつずつを取れば、きわめて整った優雅な造作なのに、組み合わさると「勝覚」という、邪悪な存在になる。
邪悪な存在が聖者の顔をしているのが、現世の皮肉だ。
「……そなた、本当は、神仏を信じたことなどないじゃろう」
儂は、ゆったりと語りかけた。
ここから先は、儂が勝覚に与える、現実的な恐怖の一手だ。斎迩の君には読み切れなかった、最後の詰めを打つ。
「儂は千手丸を許せぬ。だが、惜しいとは思っておる。あれだけできた男子ならもっと他に生かしようがあったであろうに……。知っとるか。醍醐寺の相撲士のひとりは、千手丸を内裏の内舎人に推薦したほどじゃ。一生そなたの側に仕えたい、と、端から聞く耳持たんかったそうだがの。――そのような者を、あたら使い捨てるとは、主失格じゃの」
勝覚は、きっとまなじりを強くした。
「私は裏切られたのですよ。……兄上は千手丸に、従五位の蔵人を約束したとか。内舎人程度では、餌にならなかったのでしょう」
「なぜ知っている?」
「は?」
「仁覚が蔵人の位で千手丸を誘ったことは、捕縛して初めて明らかになったこと。直接取り調べた者と、調書を読んだ者しか知らぬ、秘中の秘じゃ。なぜその条件を、そなたが知っておる」
「っ。――前の左大弁が当寺に押しかけてきた夜、千手丸から懺悔を受けたのです。もはや逃げ切ることは叶わぬと観念したのでしょう」
「ほぉ。それなのに、その後、近衛府にも蔵人にも通報もせんかったのか。世紀の大罪をのぅ」
「そっ、それはっ……。大僧正殿もご存じでしょう! 懺悔の内容は、いかなる場合も外に漏らしてはならな、」
「茶番はもうけっこうじゃ」
勝覚のご託をさえぎる。儂は身のうちの力を一気に放出した。
「勝覚。今回の今上弑逆未遂事件に、そなたの関与は明らか。少なくとも、内裏の上層部は承知していると心得るがよい。千手丸のそなたへの衷心こそが、そなたの関与を証づけておる。皮肉なものよな」
勝覚は小さく震えていたが、それでも強がった。こやつは儂の練気を浴びるのは初めてのはずだ。よく耐えているほうである。
「なっ、そんなものが証ですか? しょせんは大罪人の世迷言、誰が信じるというのです。私が関与した、どんな証拠があるのですか!」
「ふん。勝覚、そなた、証拠が必要などと、まことに思うておるのか」
一瞬、勝覚は完全に呆けた顔をした。小ズルいようで、まだまだ世間を知らぬ。
「そなたも藤原北家の一族なら、身をもって知っておるはずじゃ。現在の律(刑法)など、高位の貴族のオモチャよ」
律も令(行政法)も、古代の理想など望むべくもない。高位の貴族が私腹を肥やすため、都合の悪いことを隠すために使われているだけだ。
左大弁も、三条の川原という、あれほど目立つ場所に死体が打ち捨てられていなければ、秘密裏に処理されていたはずだ。
「そなたの罪は、満天下には知られぬであろう。だが、帝の護持僧たる大僧正が知っておる。近衛府長官も蔵人頭も、主だった陣議の面子も気づいておる。そなたの父、左府も、兄の先師の君も察しておろう。
――そして、なによりも、神仏がご存じであられる。――さて、これまで神仏の神秘を信じてこなかったそなたは、今後どこに救いを求めるかの?」
じっくりと勝覚を追い詰めていく。
しょせん、藤原貴族の御曹司だ。それなりの能力に恵まれていようと、儂から見ればひよっこ。特に、世間を見る目の狭さ、打たれ弱さは、いかんともしがたい。
儂が断罪することで、宗教界における出世を閉ざす。
高位の公卿達も知っていると仄めかすことで、貴族としての政治生命も絶つ。
今さら家族にも頼れないと、釘を刺す。
さらに、神使が勝覚への天誅に動いている、と明かした。
――さて、この人外に、「恐怖」を与えられたかの。
もはや目の前の勝覚は、隠す余地もないほど、動揺していた。法衣を握りしめ、前のめりになる勝覚を、醒めた心もちで見つめ、冷たくなった茶を啜った。
「ここまで腹を割って話したのじゃ。儂の目の黒いうちは、僧階が上がるとは期待するなよ。そしてもはや、カネを積んで還俗しても宮廷で出世も叶わぬ。あの謹直な左府が、こんな大罪に関わったそなたを許すと思うか? 佐府は、まだ長男を諦めておらぬしの」
貴族のお坊ちゃんが思いつきそうな手段は、ひとつずつ、潰していく。
「どうじゃな? 生まれて初めて、畏れを知ったか? そなたはもう少し真摯に、仏道に向きあうがよい」
「大僧正殿は、……信じていらっしゃるのですか、神仏の存在を。その神秘を」
勝覚にとって、初めての心から素直な質問であったろう。儂もマジメに答えた。
「儂が、熊野の山伏上がりだということは知っておろう。ま、帝の護持僧になるには、珍しい経歴じゃからの。森羅万象のただ中にひとりでおるとの、人の理では計れない不可思議に、数えきれないほど出会ったものよ。――ブッダもそうではないか。シャカ族のシッダールタ王子であられたのに、すべてを捨てて、山野に下られた」
深山幽谷を彷徨っていたときの、のしかかるような山の気を思い出す。そもそも、人が分け入るのを拒絶する世界だ。
「醍醐寺は真言宗。朝廷の主流は、台密(天台宗)じゃ。だが、しょせんはどちらも仏教の宗派。その中の一つの寺の座主になった程度で、己がブッダを越えられるなどと、血迷うたか、勝覚」
かっと睨みつけると、勝覚はその場に伏した。
言葉も出ない若者に、老人から救いの手を差し伸べることにする。
「神使じゃがの、おそらく、院もお会いになられたと、儂は思うとる」
確証はないが、あの特攻小娘は、白河院にも何ぞ仕出かしたようだった。
陣議の際の、院らしからぬ温情あふれる裁可といい、その後の似つかわしくない信心深さといい、思い当たる点が多すぎる。
速足を突ついても、肝心なことはバラさないだろう。あやつは、嘘は下手くそだが、口は堅いのだ。
勝覚をけしかければ、院の弱みを握れるかもしれない。
大僧正ともなると、宗教だけでは生き抜けない。政治力は必須である。特に今は院政が定着して、今上の立場が弱い。護持僧として、主上を守るための切り札は、多いほどよいのだ。
白河院は、勝覚とは違う種類の傲岸不遜な化け物だ。食えない爺さんな分、性質が悪い。
勝覚が院から情報を得られれば良し、逆に嫌われたとしても、儂には影響がない。
「最近の院は、殊に信心深くなられての。ご対面を願って、神使についてお聞きしてみたらどうか。神使がお望みのことが分かるやもしれんぞ」
自覚している。己も充分、化け物ジジイだ。
儂は、慈悲の心をもって、勝覚に笑いかけた。
勝覚にはどのように見えたかまで、儂の感知するところではない。




