家庭教師は不在中 @醍醐寺 7
翌日の俺は、幸運に恵まれた。
つまり醍醐寺は、立て続けに災厄に見舞われたということだ。
普段は信心などない俺だが、神仏のご加護は俺達の側にあると思う。
そもそものめぐりあわせは、大座敷に展示されていた三宮院からの贈物を片づけるにあたり、草珍が駆り出されたところからだった。
通常は、次の贈答品が来るまで飾りっぱなしにしておくのだが、目につかないようにさっさと仕舞いたかったのだろう。年末の大掃除の準備、という建前だった。
執事が監督して、他にも見習い僧侶が何人もいたのだが、積極的に黄金の鈴に手を触れたのは草珍だった。
そして、鈴が鳴ったのだ。
見習い達は、泣いたりわめいたり、念仏を唱えたり腰が抜けたり、果ては裸足で逃げ出したりと、醜態をさらしまくった。
執事ですら固まっているなか、草珍だけが、静かに鈴を握りしめていた。
『座主様……』から始まる、千手丸の切々とした語りかけを、神妙な顔つきで聞いている草珍。
最初は怯えていた者達も、そんな草珍の様子と、千手丸の真情あふれる言葉に、少しずつ聞き入った。
他の僧侶や下働き達も様子を見にきたおかげで、前回は導入部分しか聞こえなかった千手丸の声が、かなりの人数の耳と頭に完全に届いたのだ。
「そんなにも、座主様のことを……っ。やっぱり千手丸さんは、生霊の怨霊なんかじゃ、なかったんですね……」
草珍の瞳からぽろっと涙が落ちた。執事でさえ口を挟めず、ただ見つめていた。
そんな空気のなか、座主が大広間に入ってきたのだ。
ひと目で何が起きたか、察したのだろう。座主は決して怒ったり取り乱したりはしない。だが、動揺はしていた。
座主にしては珍しく強い口調で、
「まだそのような物にかかずらっているのか。早く片付けるがよい。――草珍。そなたが千手丸を慕うのは分かる。だがあやつは大罪人ぞ。妙な気に取り憑かれぬようにせよ」
と叱りつけたのだ。
正論だ。
別に、理不尽な叱り方でもない。
だが、その場にいたほとんどが大なり小なり千手丸の思慕と草珍に共感していただけに、座主の言葉はいかにも冷たく聞こえた。
そもそも黄金の鈴の言葉を「生霊」と決めつけ、しかもそれを「祓った」ことにしていたのは、座主なのだ。
一瞬、なんともいえない非難の空気が、広間に漂った。
敏感に悟った座主は顔を強張らせた。それを見て、執事が草珍に命じた。
「草珍。何をしておる。さっさとそれを箱に封じて、そなたはしばらく謹慎しておれ!」
草珍はびくびくしながら鈴を片づけ、座主と執事に平伏して、広間を出て行った。
がっくりとしょぼくれて自室に入る草珍を見送る人々は、自然に顔を見合わせ、誰もがふいっと目を逸らした。
絶妙のタイミングだ。
座主は、斎迩の君の予想以上のクセ者だったらしく、これまで失態らしき失態を犯していない。
だが、今回は、焦りがあったのか、珍しく配慮に欠けた言動だった。
また、そんな座主の気持ちを忖度して、執事が強引に草珍を謹慎させたことも、下っ端の反感を買った。
大広間の片づけが粛々と続けられ、集まっていた人達が解散したあと、陰では誰もが不満を言い立てていた。
「なんだよ、草珍が何をしたって言うんだい!」
「そうだよ、あの子はなんにも悪くないじゃないか」
「千手丸もさぁ……、ありゃ怨霊なんかじゃないよ、やっぱり座主様を心からお慕いしてたんだねぇ」
下働きが感情論で草珍に同情する一方、僧侶達も複雑な気持ちを吐露していた。
「千手丸ほど座主様をお慕いしていても、座主様からあのように扱われるのか……」
「いや、それは、千手丸が大罪を犯したからだろう! 罪人を庇う筋合いなど、座主様にはない」
「だが、大罪大罪と言われているが、千手丸が何をしたというのだ。拙らは具体的には何も知らぬ」
「それに……、座主様は常日頃、罪人や弱き者を救うことこそ仏道だと仰っているのに……」
「そんなことよりも、あの黄金の鈴はいったい何なのだ! あの声が祟りでないなら、座主様が祓ったという話はどうなったのか」
それなりに仏教を学んでいる者達だからこそ、矛盾に気づいてしまう。これまでは、座主の言葉が御仏の言葉だと教え込まれていたが、そこに齟齬が生じてきていた。
――こんな好機はもうない。いっちょ、あれを試すか。
俺は以前から考えていた手段を使うことにした。
ひととおり噂を仕入れてから、釣り針を取りに、離れへ戻る。
針は貴重品だ。材料も高価だし、細工も熟練の技がいる。動物の骨や石を加工した釣り針もあるが、俺達は大姫様の庭遊び担当だったので、特別に鉄製の釣り針を持っているのだ。
「お、ひき麿。念のためさ、午後は俺と一緒にいたことにしてくれよな」
「えぇぇ~、いなご麿、なにする気?」
俺は午後の計画を説明した。かなり危ない橋を渡るので、ひき麿には知っておいてもらわなければならない。
「ちょ、ちょっ、そ、そんな危ないことする気? ていうか、それ、バレたら言い訳のしようがないよ?!」
「大丈夫だって、バレねーよーにやっから!」
「や、上を見られたら一瞬で終わりだよぉ~?!」
あわあわしているひき麿を残して、俺は方丈に行き、こっそり屋根に上がった。
座主の私室は、方丈の最奥だ。近くの屋根に体を伏せる。
木枯らしに耐えていると、お待ちかねのモノが来た。
見習い僧侶が、座主に碁盤と碁笥を運んできたのだ。
貴族で僧侶でもある座主は、囲碁を嗜む。午後、空いた時間があれば碁を打つのだ。ひとりで指南書を読みながら打つときもあれば、誰かと対戦することもある。
緊張しまくって囲碁セットを捧げ持つ見習い僧侶が近づいてくる。
俺は距離を見計らって、糸をつけた釣り針を投げた。
釣り針は、見習いの法服のひらひらした袖を絡め取った。
手首をひねって、袖ごと、針をを階の柱に縫い留める。
強く刺さる必要はない。ほんの軽く柱にからむだけで、
「う、うゎっ?!」
くんっと袖を引っ張られた見習いは、碁盤と碁笥を派手に落っことした。
じゃらじゃらじゃらじゃらじゃらっ。
座主の部屋の前の廊下に、碁石が散乱する。
――よっしゃ!!
いちばん碁石が集中している辺り目がけて、俺は楕円形の再生機を投げた。
「何事か」
すらっと障子が開いて、座主が出てきた。足の踏み場もない碁石の山に、目を瞠っている。
「も、もうしわけありません!」
見習いは必死で謝り、這いつくばりながら碁石を掻き集めていた。
そこに、もはや聞き慣れた、幼な子の呻き声が響く。
『痛、い、よぅ。熱い……、苦しいよ。た、すけて……』
「ひ、ひいいいいいいっ」
見習い僧侶はそのまま碁石のなかに丸まった。
座主も、廊下に出かけた足を止める。顔が蒼白だ。
時が止まったような階で、今上の声だけがすすり泣いて、消えた。
「ひぃっ、うえっ、あぅぅ」
言葉にならない見習い僧侶をきっと睨み、
「碁はもうよい。興を削がれた。早々に片づけよ」
座主は私室に戻って、ぱしんと障子を閉じた。
その隙に、俺は二本の糸を引いた。一本は釣り針が、もう一本には再生機がくくりつけてある。
この方法は、ずいぶん前から考えていた。実行できなかったのは、いつもは草珍が囲碁セットを運んでいたからだ。
ただでさえ自信を失っている草珍に、俺が失敗させるのは忍びなかった。そういう意味でも、午前中に黄金の鈴を慣らしたのが草珍だったのは僥倖だ。
大事な道具を回収した俺は、階とは反対側の地面に飛び降りた。そのまま、座主の部屋の床下に忍び込む。
座主は足音も荒く、私室を歩き回っていた。
いつも滑るように静かに歩くヤツが、動揺しているのだ。
だが、座主は用心深くて、敏感だ。俺は床下で息を殺して身じろぎもしなかった。
「……どういうことだ。何が起きている……大僧正か? いや、誰であれ、このようなことが可能なのか」
座主は部屋をぐるぐる回りながら、呟いている。
「まさか、本当に神仏の御業だと? いや、信じぬ。私は信じぬぞ。神も仏も元は只人。神秘の業など、存在せぬ!」
ちょっと驚いた。
自分が御仏の化身のように振る舞うくせに、コイツは神仏を信じていないのか。
頭上の座主は、少しずつ落ち着きを取り戻してきていた。
「まあよい。しょせんは声のみ。なんぞ変異があっても、私に害をなすわけではない。私が落ち着いておればいいことよ……。それにしても千手丸めが、いなくなってからまで面倒を掛けるとは、恩を仇で返すものよ」
円座(座布団)に座る音がする。
「だいたい、私が何をしたと言うのだ。千手丸は勝手にひとりで罪を認めただけのこと。庇えと私が命じたわけでもなし。私とは関係ないと決めたなら、最後まで貫き通せばよいものを、妙な気を送ってくるなど、中途半端に女々しいヤツよ。――いや、だが」
考え込む気配がする。硯箱を引き寄せる音がした。
「ふむ。己の頭で考える者など必要ないと思っておったが、あまりに盲目的だと、今回のような迷惑を掛けられることもある、ということか……。だが、基本的には私を崇め、従順でなければ傍に置く意味がない。……今後の課題であるな」
考え込みながら何か書きつけているようで、俺は総毛立つ思いだった。
――コイツは正真正銘ヤバい。
座主に比べれば、ガキの俺をしこたま殴っていた座長など、かわいいものだ。
「ま、佐渡なぞに住めば、もって4-5年というところか。泣きつこうが脅そうが、私には効かぬ。アレはもうよい。問題は今上か……。まったく、なぜ私なのだ。順序からいっても、兄上か千手丸だろうに……。これだから道理の分からぬ子どもは」
ちっと舌打ちが聞こえた。
「しかし、童だからこそ念を飛ばせるのやもしれぬ。それとも、やはり帝とは特別なのか……」
しばらくの沈黙の後、鼻で嗤う。
「ふっ、くだらぬ。しょせん、あの子どもも、私の血族ではないか。帝に神通力があるなど、私としたことが愚かな……」
その後、座主が夕方の読経で部屋を出るまで、俺は恐怖と用心で床下に固まっていた。




