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家庭教師は不在中 @醍醐寺 3


 数日が経った。

 例の贈答品は、本堂の手前の大広間に陳列してある。貴族や他の寺からの寄進物は、しばらくそうして開陳するのが仕来りらしい。


 その間、おっかなびっくり目録と品物を確認していた執事と若い僧侶が、うっかり黄金のりんに触ってしまうという事件があった。が、その時は何の異常も起きなかった。


「ひえぇぇぇぇっ! うわうわうわっ、お、お許しを~」


 触ってしまった僧侶は、後々まで物笑いのネタにされるほどの怯えっぷりで、弾かれたように飛びのき、ご本尊にケツを向けて丸まり念仏を唱えていたが、鈴は沈黙したままだった。

 驚いた執事も、鈴をちょいちょい突いたが、何の音もしない。

 勇気を出して持ち上げてみても、声など響かず、涼やかな鈴の音が鳴るだけだ。


 ――え、一回だけ?


 千手丸の声に怯えたぶん、寺のみんなの拍子抜け感も半端なかった。


 よく考えたら怪奇現象は何も解決していないのだが、「鈴を触っても千手丸の声が聞こえない」という事実に安心し、寺は落ち着いてきている。


 俺だけが、そのカラクリを知っている。

 金箔の鈴には、ある部分に「すいっち」があるのだ。それを押さない限り、千手丸の声は流れない。

 実はその「すいっち」は、俺にも見えない。というか、大僧正にも速足はやあしの殿様にも見えなかった。

 斎迩の君は、鈴の側面をあちこち指して説明していたが、俺達には、ただの滑らかな黄金の面しか見えず、触ってみても突起があるわけでもない。すると、


「ええ? 視覚だけじゃなくて触覚にまで作用するの?! じゃあ、もう仕方ない! いなご麿、だいたいこの辺りだから! なんとなく感覚で覚えて!」


という意味不明かつ、適当極まりない説明、習うより慣れろ方式で、俺はひたすら鈴を撫でまわし、真ん中より少し下辺りに「すいっち」があることを覚えたのだ。


 俺自身は、よほどのことがない限り、鈴に近づいて「すいっち」を押さないよう、言い含められている。

 新参の相撲すまい士の付き人風情が一の贈答品を弄り回していたら、不審どころではない。その場で殺されても文句は言えない立場だ。

 もちろん、そんな危険なことをするつもりはない。

 俺がやらなくても、そのうち誰かが、偶然「すいっち」を押すだろう。あの鈴は、そういう役目だ。

 俺の役目は、もうひとつの道具の方だ。

 ふところの、小さい楕円形の玉を握りしめる。

 斎迩の君が授けてくれた物だ。

 斎迩の君は薬師如来のお使いだ、という噂がある。本人を知っている俺達にはどうにもそぐわない話だが、今回渡された摩訶不思議な法具とその使い方を知って、俺はひそかにその噂を信じ始めていた。

 少なくとも、斎迩の君は、俺達には見えないモノを見ている。


 だが、そんな斎迩の君にも見通せていないことがあった。

 座主ざすの、反応だ。

 寺が落ち着いた理由は、鈴が沈黙したのももちろんだが、座主の端然とした態度も大きい。

 座主は、表向き、まったくの無反応だった。

 動揺も見せず、怒り狂いもせず、怯えも焦りもしない。

 唯一、鈴に対して打った手段は、大僧正に文を送ったことだけだ。

 あいかわらず、下の者の働きにも目を配り、こまめにねぎらい、穏やかな笑みを浮かべて、多くの人の話を聞いて心のこもったあいづちや的確な助言を発している。


 寺の下男下女は、座主ほど肝が据わっていない。怯えや不安は、裏に回ればあちこちの噂で聞き取れた。

 だが、それも、最後には、座主様賛美で終わるのだ。


「千手丸もなぁ、あれほど座主様にかわいがられていたのに、恩知らずなヤツじゃ」

「いや、千手丸は、母者と座主様に会いたかったんじゃ。それで生霊いきすだまになってまで、三宮院の宝物に乗り移ったんじゃろ」

「それも、座主様の仏徳ぶっとくで、たった一度で浄化されたのだものなぁ」

「まったく、座主様の功徳くどくのすばらしいことじゃ」

「千手丸も、座主様の御手で成仏したかったのかもな」

「いや、べつに、まだ死んどらんぞ」

「物の怪や怨霊よりも、生霊を鎮めるのは困難と言われておるのに、さすが座主様であられるのう」


 醍醐だいご寺で働く者達は、もはや、座主の通ったあとの廊下すら伏し拝まんばかりだ。座主の背中に、キラキラした視線が降り注ぎまくっている。


 それでも俺は、千手丸の声を聞いたときの、座主の表情が忘れられなかった。


 ――あれは、狂った支配者の顔だ。


 だが、日々の座主を見れば見るほど、その印象に自信がなくなる。一瞬だけ垣間見た記憶の方が間違いだったのではないかと、思えてくるのだ。

 鈴が届いたのは、俺への合図だ。

 それなのに俺は、次の計画を実行に移せないでいた。


「いなご麿、なんか、悩んでるよね~」


 夜、二人きりになって、ひき麿が心配そうに話しかけてきた。


「お腹でも壊した~?」


 言いながら、ひき麿が反故紙ほごがみの隙間に小さく書きつける。


『計画、うまくいってないの? 鈴が鳴らないせい?』


 俺は、ふっと笑った。たいていのヤツらは、ひき麿のこういう賢さを知らない。

 

「あ~、なんかちょっと疲れてっかも。大したことねーよ」『鈴はあれでいい。そのうち鳴る』


 ひき麿は、計画の中身を知らされていない。少し迷ったが、俺は続けて書いた。


『座主は本当に悪人なのか? 成敗するか、迷ってる』


 短くしか書けないぶん、俺は素直に打ち明けた。

 確かに俺は、座主が、かつての座長と似ていると考えている。だが、その支配力をいい方向に使っているのなら、何が問題なのか。


「え~、そうなの? ちゃんと休んだ方がいいよぉ、いなご麿、このお寺に来てから、ずぅっと働きすぎ~」『考えすぎてる? 座主様はおかしいよ』


「えっ、そうか?! どこが?」


 あっさり書かれて、思わずで反応してしまった。

 ひき麿は、ぷぷっと笑い、「鍛錬で、食べても食べてもおなか空く~。何かおやつ、ないのぉ~」とか言いながら、足でそこら辺をガサガサいわせた。


『千手丸って座主様専属の寺男だったんでしょ。みんなにあんなに悪く言われてるのに、一度もかばわないよね』


 意表を突かれた俺に、言葉を被せる。


「いなご麿さ~、前はもっと、適当にサボってたよね~。みんなと仲良くおしゃべりとかして~。怒られて~」


『座主様の評判が上がっただけ。トクしたのは座主様だけ』


 ――そのとおりだ。


 今さらながら、千手丸のあの声を初めて聴いたときの衝撃を思い出した。

 千手丸も座主のことも、全然知らない俺でさえ、あの切々とした言葉には胸を打たれた。千手丸ってヤツがどれほど座主を慕っていたか、よく分かった。

 座主が、本当に赤子の頃から千手丸を慈しんできたのなら、あの声を聞いて、あの表情はあり得ない。

 千手丸は大罪人だから、喜べとまでは言わないが、あれほど強烈な怒りと嘲笑は、変だ。


「おまえの言うとおりだよ。――ひき麿は、すげぇな」


 俺はあの声を何度も聞いて、説明も受けて、千手丸のことを知った気でいた。

 だが、ひき麿は、最低限の情報と、自分で見たものだけで、最短でムダのない結論に行き着いた。


 ――座主様だけが、トクしている。


 おそらく、座主の行動規範は、すべてそれが基準になっているのだ。

 どう行動すれば、自分が慈悲深く徳の高い僧侶に見えるか。

 あの時、座主は一瞬で計算したのだろう。自分がもっともかわいがっていた寺男が、反逆罪を犯し、生霊となって話しかけてきた。怯えても怒っても、自分の求心力は低下する。動揺したら、自分も犯罪に関係していたと暴露するようなものだ。

 それで、無かったこと扱いにした。

 偶然、それ以降、声は再生されなかった。座主が浄化したという噂も、自分に都合がいいので、放置しているのだろう。


「そういうことか。よく分かった。ひき麿のおかげだ」


「ふほぇ~? なんかよく分からないけど~、いなご麿の役に立ったなら、よかった~」


 ほんわか笑うひき麿を見て、俺は安心する。

 自覚していなかったが、この寺の、変に統一された空気に、俺は飲まれていたらしい。

 ひき麿は、お邸にいた頃と、全然変わらない。マジメに実直に相撲を鍛錬し、よく食い、よく寝て、のんびりしゃべる。


「おまえって、実は大物だよな」


 こうやって、あの邸でできた友に助けられている。

 なにより、あの斎迩の君に出会った。

 生き抜くうえで仕方なく形成された俺の性格を、「長所」だと呼んで、生きる道を考える方法を教えてくれた師だ。

 他の三人は、自分で生きる道を決めるだけの、「己」がある。俺にはそんなものはなかった。

 斎迩の君は、それでもいいと、そんな三人の姿を見て、ゆっくり考えろ、と言ってくれたのだ。

 それ以来、俺は、三人の修業を観察し、自分と比べ、自分ならどうするか考えている。それでも落ち込まないのは、斎迩の君が、俺だけのいいところを見つけてくれたからだ。


 ――俺はひとりじゃない。


『明日から計画を実行するよ』

「ふっふっふ。いなご麿、完全復活! 参上!」


「気をつけてよぉ。いなご麿はちょっと調子に乗るところがあるから~」

『斎迩の君が言ってたでしょ、醍醐寺も座主様も危険だから、ムチャしないように』


「へーへー。分かってら~。あ、昼間、まき拾いを手伝ったら、焼米やいごめをもらったんだ。食っていいぜ」


 適当に返事をしながら、俺は決意を固めた。


 ――待ってろよ、悪坊主!





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