表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/103

家庭教師、脱力する


 とうの少のおもてなしが終わり、先師せんしの方から州浜すはまと和歌へのお褒めの文が届いて、東の対屋たいのやでは、どっと安堵の息が洩れた。

 全員、一気に気が緩み、ついでに大姫の「暗記ハイ」も消えかけている。


 ――もともとああいう状態は、長くは続かないしね。そろそろ、次の勉強方法に移る時期かな。


 渡殿わたどの(渡り廊下)を、東の対屋に向かっていると、橋の下の地べたに、いなご麿が座っていた。


「一人でぼんやりしてるなんて、めずらしいわね」


「ああ、斎迩の君かぁ」


 いなご麿は、とにかくはしっこい。お調子者で、たいてい誰かと一緒にいて、冗談を言ったりいたずらを仕掛けたりしている。


「あー、うん、みんな忙しいんだよ」


 心ここにあらず、といった風情だ。いつもは叱られるまでしゃべりまくるのに、どうしたのか。


「あなたがしゃべらないと、心配になるんだけど」


「雨彦と違って、な」


 雨彦は庭師になりたくて、八助さんから手ほどきを受けている、と聞いた。今も姿が見えないので、どこかで庭の手入れをしているのだろう。


「はっはーん。寂しいんでしょ、雨彦にかまってもらえなくて」


 正反対の2人だが、なぜか気が合うらしく、よく一緒にいたのだ。軽くからかったら、図星だったようで、


「も、元はといえば、斎迩の君が悪いんだからなっ!」


逆ギレされてしまった。


「雨彦はさ、斎迩の君のお供で、内裏だいりに入っただろ。宮中のお庭の美しさに感動したんだと」


 それは比較の対象が、間違っている。

 このお邸の庭は、大姫の趣味のために、自然豊かな状態のままなのだ。普通の平安貴族の、寝殿造りの庭の在りようからは、ほど遠い。

 そうか、それで雨彦は、あんなに楽しそうだったのか。


「最近はさ、ススキだのマツムシだの見かけるたびに、大姫様が歌を暗唱されるんだよ、やってらんねぇって」


 大姫の「暗記ハイ」は、いなご麿には耐え難かったようだ。他のボーイズ達も、閉口していたのだろうか。


「けら男には、いい勉強だろ。父親も喜んでるしさ」


 へ? と、よく分からない声を出してしまった。


「殿様の家宰かさい様だよ、けら男の父親。アイツだって、そのうちこのお邸の家宰になるんだし、歌のひとつやふたつ、覚えといた方がいいだろ」


 ええっ、けら男が、将来の家宰さん?!

 本殿の、隙のないぱりっとした家宰と、けら男を頭の中で並べてみる。

 たしかにけら男は、下男のわりには身ぎれいだけれど……、いっつも麻の貫頭衣みたいな服だし、想像がつかない。

 あ、でも、破天荒な主人に、穏やかかつ毅然と対応して、秩序を保とうとするところは、似ているかもしれない。親子して、苦労人である。


 ――というか、大姫、家宰の息子を子分にして、昆虫採集させていたのか……。


 大姫らしい、と苦笑したら、いなご麿がムッとして、


「笑いごとじゃねぇよ。俺だって、分かってる。姫様より年上の俺らが、もう道を決めなきゃいけないことくらい」


「あ、ごめんね。別に、いなご麿を笑ったわけじゃないよ。……いなご麿、焦っちゃってるんだね」


 ぐっと詰まって、いなご麿は悔しそうに押し黙った。


「ひき麿は? どうしてるの?」


「あいつは、相撲すまい師になりたいらしい。どうやったらなれるか全然分からないから、家宰様に相談するって言ってた」


 巨体のひき麿なら、力士はぴったりだ。が、力士が個人のお抱えになるのは、もう少し先の武士の時代、鎌倉時代が始まってからである。

 それまでの相撲は、神事の捧げものとしての競技はあったが、いわゆるプロの力士って、存在したのだろうか?


 でも、いなご麿の焦りはよく分かった。仲間のなかで、自分だけが、進む道が決まっていないのだ。他のみんなは着々と準備や修行を始めているのに。

 四虫ボーイズは、大姫を中心に、何でも一緒にやってきた。だからこそ、焦りも大きいのだろう。


 ――でもね。だからこそ。


 なんだかわたしは嬉しくて、むず痒い気持ちになって、手すり越しに、いなご麿の肩をバンバン叩いてしまった。


「ってぇな! 何すんだよっ!」


 身軽く飛び上がって、いなご麿が逃げる。


「そうそう、その調子。身軽でお調子者で明るくて、頭と体の動きが速いのが、いなご麿でしょ。焦るのは分かるけど、悩むにしても、あなたらしく! そうじゃないと、間違った道を選んじゃうよ?」


「……斎迩の君も、道を迷ったこと、あるのか?」


「あったりまえじゃない。自慢じゃないけど、迷った末の、家庭教師なんだからね」


 この時代の身分社会では、親の職業が自分の将来だ。ほとんどの人は、職業を悩む余地すら、ない。この時代の女性に至っては、「働く」イコール、女房になることで、他の選択肢は、ほぼない。

 いなご麿の気持ちが分かる人は、少ないだろう。

 身寄りがない下男だから、そして自由に道を選ばせてくれるパパ殿の邸だからこそ、いなご麿は悩めるのだ。


「将来まで、せーので、一緒に決める必要ないでしょ。むしろ、みんなが進む道をじっくり観察してみたら? 自分の好きなこととか、やるべきこととか、見えてくると思うよ」


 そのとき、本殿のほうから声がかかった。パパ殿である。


「お、斎迩の君、ちょうど来ていたのか。悪いが、急ぎの話がある。付き合ってくれないか」


 それまでとは違う顔つきで考え込み始めたいなご麿に、遅れる旨、大姫への伝言を頼む。

 走り出そうとするいなご麿に、声をかけた。


「いなご麿。早くスタートした人が、いつでも速くゴールするわけじゃないよ!」


 さて、と、渡殿できびすを返すと、パパ殿が笑っていた。


「いやいや、お見事。斎迩の君、道に迷ったことがあるって、本当かい。家庭教師は、天職だと思うけど」


「……聞いてらしたんですか」


「そんな斎迩の君を見込んで、相談がある。僕も、道に迷っちゃってさ」


「殿様は、17年くらい、迷いっぱなしですよね」


「……斎迩の君、いちおう僕が主人だって、分かってる?」


 軽口をたたきながらも、わたしは、予感がしていた。

 おそらくパパ殿は、黒幕問題に決着をつけるつもりなのだ。


 本殿の居間を通り抜ける。

 パパ殿の私室に入るのは、初めてだ。

 こぢんまりした(といっても10畳以上はあるが)板張りのへやで、御簾みす几帳きちょうもない。家人達が、四方の板戸もひさしも開け放し、無言で去っていった。

 徹底的に殺風景な部屋で、密談用かと疑いたくなる。


「ここは僕の笛の練習用の室。琵琶とか琴とかもね」


 四方が開いているので、屋外と同じだ。神無月かんなづき(10月)、現代の暦でいえば11月の風が吹き抜けまくりである。


「僕は、院が、本当に今上(きんじょう)を暗殺しようとなさったのか、確認したいんだよ、斎迩の君」


 予想どおりとはいえ、一瞬、固まってしまった。

 ツッコミどころが多すぎる。


「た、単刀直入ですねぇ」


「だって、寒いじゃない、この室」


 いや、それは盗聴防止として、仕方がないし。というか、あなたが連れてきた部屋でしょうが!


「確認って、どうされるおつもりなんです。あ、いえ、いいです、聞きたくないです。そんなこと、わたしに宣言なさらなくて、けっこうです。どうぞ、ご自由になさってください」


「うん、斎迩の君のその冷静なところと、不思議な力とを見込んで、僕に力を貸してほしいんだ」


「いや、人の話を聞いてくださいよ!」


 意に介さず、パパ殿は、さらに衝撃発言をかました。


「だって、そのために、斎迩の君は、ウチに家庭教師に来てくれたんだよね?」


 ――はぁ?!

 ンなワケあるかっ。わたしは、大姫の花嫁修業的家庭教師として、雇われたのだ。

 言葉にならないわたしにかまわず、パパ殿は続ける。


「ウチの家系には、口伝(くでん)があってさ。――総領そうりょう娘が真実困難に陥ったときには、最高の師が現れて、家が救われる、っていうの。秘中の秘だから、絶対に口伝えなんだけどね」


「く、口伝って、それはただの勘違いでは……。少なくとも、わたしのことじゃないですよ」


「いや、祖父さんの曽祖父の……、とにかく5代前の土御門つちみかど院の総領娘も、その師に習って、後宮に入内じゅだいして皇后になられたんだよ。

 大姫の師のなり手が本当にいなくなったとき、ふと思い出したんだ。連絡の取り方も分からなかったのに、依頼の文を書いてみたら、なぜか届いたみたいだし。実際に来てくれた斎迩の君ときたら、予想を超えた方だし。ああ、口伝は本当だったんだなって、僕も感心したくらい」


 土御門院、と呼ばれた人は、1人しか思いつかない。藤原道長だ。その娘、彰子しょうし。一条天皇の皇后。『源氏物語』の作者、紫式部の、主人。

 たしかに、わたしは、道長の娘、彰子の家庭教師も、したことがある。でも。


 ――そんな迷惑な口伝、残すなよなーっ!


 正直、道長はいけ好かないおっさんだったが、政治家としてはスゴ腕だった。薄々私の特異性に気づきながら素知らぬフリをして、使えると判断したのだろう。子孫にだけ、情報を残したのだ。

 ますます、いけ好かない。


「それで、殿様は、院に、どうやって確認されるおつもりなんですか?」


 過去のしがらみやら口伝やらは、もういい。もう考えたくない。

 強引に話を本題に戻すと、パパ殿の顔がぱっと明るくなった。


「いろいろ考えたんだけど、これ、という手が思いつかなくてさ。斎迩の君、何かいい方法はないかな?」


ーーまさかの丸投げ?! てか、これ、丸投げするよーなことか?!


 職業人生初、雇い主の前で、わたしは完全に脱力した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ