家庭教師、シェアする
千手丸の供述は、内裏にセンセーションを巻き起こした、らしい。
知り得るだけの情報を得て、翌日、わたしが家庭教師に行くと、大姫ではなく、パパ殿が待っていた。
「ここだけの話、内裏では、千手丸が、左大弁を殺した下手人だと考えておったのだ」
千手丸は、19歳。
それなのに幼名のまま、元服も出家もしていない。だが、仏道と武道は、醍醐寺で鍛錬されていたらしく、かなり腕は立つようだ。
「そもそも、今回の関係者の中で、多少なりとも武に通じているのが、千手丸だけなのだ。三宮院の仁覚も、得度する前、少しは出仕経験があるが、問題の夜、一歩たりとも三宮院から出ておらぬ。というよりも、仁覚は、さっさと左大弁を見捨てたようでな。今上が寝付かれてから、仁覚は、一度も、左大弁と対面しておらぬ」
一般庶民に対しては、祟りということで済む。
だが、貴族社会では、表向き四位の貴族が殺害されたのなら、犯人を捜さざるを得ない。
「取り調べた近衛士と蔵人が、千手丸の驚きぶりはとても演技とは思えない、と言っていた。左大弁が死んだことさえ、知らなかったようだ」
八助さんの違和感は、当たっていた。
あの両腕の跡は、やはり蜂に刺されたものではなかったのだ。
だからといって、千手丸達が犯人でないとは、言い切れない。
腕の傷は、「蜂」を連想させるために、わざと付けられたものだ。それによって、左大弁が今上暗殺未遂犯だと、告発するために。
死因が何だろうと、結局のところ、その目的は果たせた。
そして、実行犯が消えたのだから、三宮院の阿闍梨だろうと、醍醐寺の座主だろうと、自分が黒幕だということを隠すために口封じした、という動機は、まだ生きている。
――黒幕。
例えば、院、――鳥羽天皇の祖父、白河院だ――、であったとしても。
本当にパパ殿は、白河院が、今回の暗殺未遂事件の黒幕だと、考えているのだろうか。
「どうした、斎迩の君?」
「いえ、それだけではまだ、千手丸達が、左大弁を殺していないとは、言い切れないと思いまして……」
「そのとおりだな。あの腕の傷は蜂を連想させ、捜査を大幅に短縮した。そのため、むしろ、醍醐寺の座主、勝覚殿を疑う声は大きくなっている」
たしかに、結果だけを見れば、醍醐寺の勝覚のひとり勝ちだ。
でも、わたしが現代で調べた限りでも、醍醐寺座主は、事件の関係者として捕縛されてはいない。
最終的に、誰がどういう刑罰を受けたのかを知りたくて、随分調べたのだけれど、どうしても分からなかった。
令子内親王のお邸に投げ文があって、仁覚と千手丸が捕縛されたこと、だけだ。
「あの投げ文は、誰が行ったのでしょうか」
「それについては、2名の意見は一致している。仁覚も、千手丸も、まったく覚えがないと」
「もう逮捕されてるわけですから、そこだけ隠す意味もないですよねぇ」
「そうでもないぞ。千手丸には、庇いたい相手がいる」
醍醐寺座主、勝覚か。
正直、その心境がよく分からない。
今上暗殺を謀って、自分が助かるとは思っていないだろう。それなのに、自分を罪に誘った(かもしれない)相手を、庇えるものだろうか。
「ただの忠誠心だけでもなかろう。醍醐寺には、千手丸の母親がおる」
「――! 座主が、千手丸の母親を人質にとって、脅したということですか?!」
驚いて問いただしたら、パパ殿にどん引きされてしまった。
「やっ、さ、さすが、斎迩の君。また、すばらしくえげつないことを思いつくなぁ……。内裏では、そこまでは考えていない。千手丸が言うには、自分が捕縛されるときに、母親の身を頼んできた、と。今、座主に何かあれば、母親は身ひとつで寺を追い出されるだろう」
「だから、座主を庇っていると」
「庇っているのかどうか。とにかく、早く、左大弁を殺害した犯人を捕まえてくれ、と、強く主張していたらしい。そのためにはどんな取り調べにも協力する、と。座主の身の安全を確保したいようだ」
それでも、座主は、事件とは無関係だと、千手丸は主張しているらしい。
対して、仁覚の方は、最初に弟、勝覚を誘い、勝覚が千手丸を連れてきた、と言っているそうだ。
人間関係からいっても、仁覚の主張の方が、すんなり納得できると、思う。
乳飲み子の頃から醍醐寺で育ち、寺以外の世界を知らない千手丸と、別の寺の阿闍梨でもあり高位の貴族でもある仁覚とを繋ぐ糸は、醍醐寺の座主、勝覚だけだ。
「捕縛された2人の主張が、正反対だからね。内裏も混乱している。そもそも、左大弁を殺害した犯人なんか、誰も真剣に探したくないし」
そりゃ、そうである。
近衛士も蔵人も、帝の警察だ。
殺されたのは、その帝を暗殺しようとした実行犯なのだ。モティベーションが上がらないこと、甚だしい。
わたしも、寝込んでいる鳥羽天皇を、見た。
名前が分かった後も、わたしにとって、あの子は、ひどい目に遭った小さい男の子だ。アナフィラキシーのショックがどういうものか分かっていて、あの状態に追い込んだことは許せない。
千手丸と左大弁が、パパ殿や八助さんと同じく、蜂毒が効かない体質だと聞いて、犯行の卑怯さが、いっそう際立った。
「それにさ、左府殿が、お気の毒で。みんな、見て見ぬフリしてるけど、これで更に、勝覚殿まで主犯、と、声高に主張しづらい空気なんだよね」
捕縛の前日に、大急ぎで陣議が開かれた。招ばれたのは、右大臣と2人の参議。
当然メンバーであるはずの、左大臣は呼ばれなかった。
現代で調べたわたしは知っている。
陣議のメンバーは、右大臣の源雅実。それと、藤原氏分家代表、北家中御門家藤原宗忠、勧修寺流藤原為房だ。それに、白河院。
4人という少人数のスピード陣議で、2人の捕縛は決定した。
「左府殿は、何もかも、最初から最後まで、ご存じなかったらしい。昨日、院に自主謹慎を申し出ておられたけど、一気に老けこまれたよ」
「先師の方にお聞きしたのですけれど、左府殿は、殿様の、お祖父さまなんですよね」
「うん、母方のね」
この時代、子どもは母親が育てるものだ。母方の親族の方が、結びつきが強いのではないのだろうか。どうにも、パパ殿の反応が薄い気がする。
ちらっと表情を窺ったら、考えていたことがバレたようで、苦笑された。
「左府殿のご長女、僕の母は、藤原家の同格の分家に嫁に入ったんだよ。そうなると結局、両家は、政治的なライバルだからね。あまり、行き来がなかったんだ。僕の母も、早くに亡くなってしまったし」
平安時代といっても、すべての結婚が通い婚だったわけではない。実は、通い婚と同居婚は、半々くらいの割合だった。むしろ、政治的結びつきを強固にするためには、同居婚の方が歓迎された。
パパ殿の母親が、いい例だ。名門藤原家どおし、しかも同格の分家と婚姻するとなると、婿殿が左府殿の家に通うのは、双方にとって、不都合である。
左府殿のご長女は、パパ殿の父親の家に移って結婚し、同居して、パパ殿を産んだのだろう。
「僕にとっては、左府殿は、お偉い左大臣様だよ。先師殿は、優しくて厳しい叔父として、好きだったけどね」
「あの、それほど付き合いが薄くても、もしも左府殿のご家族が連座ということになれば、殿様も罪に問われるのでしょうか」
はた、と、パパ殿の動きが止まった。
「直系ということで? しまったなぁ、それは、考えが及ばなかった」
基本的に、のんき者なのである。
「うーん、でも、今回、それはないんじゃないかな」
パパ殿の説明によれば、左府殿の後を継ぐ人が、明確に決まっていないらしい。
本来ならば、先師の殿のはずだけれど、彼は引きこもりだ。
右大臣、源雅実は、源氏の名字からも分かるように、皇族が臣下に下りた人で、バランスを取るために右大臣に就いている。藤原氏全盛期の宮中では、そうやって、藤原一族どおしの政争が不必要に激化するのを、避けているのだ。防衛策として、源氏が、右大臣になる。
しかも、実行犯の左大弁も、左府の弟の孫だ。こちらの直系も全て連座、ということになると、かなりの数の藤原氏が一掃されてしまう。
「そういう動きを喜ぶ宮廷人もいるだろうけどね、もう、藤原一族がいないと、内裏のどの部署も回らないんだよ。それは、いくら藤原氏嫌いな人でも、認めざるを得ない事実だ。むりやりは減らさないんじゃないかな」
「はあ、よかったです……、殿様、意外ときちんと宮廷人、なさってるんですねぇ」
政治的な読みはからっきしだめかと思っていたが、それなりに筋の通った分析である。ずっと下位のまま内裏にいたので、実務面の実情に詳しいのだろう。
「ひどいなあ。斎迩の君のなかで、僕って、どれだけだめな貴族なんだい」
からっと笑ったパパ殿は、出仕するために立ち上がった。
しばらく秘密のお役に付いていて、その分、普通の仕事を免除されていたそうで、宿居の順番などが溜まっているらしい。
「あ、殿様! あのっ」
引き留めて、逡巡する。
「なんだい?」
「殿様の私的なご意見では、……醍醐寺の勝覚殿は、どちらでしょう」
パパ殿は即答した。
「黒。勝覚殿なら、よく知っている」
まさか即答で、自信満々にギルティ、とは思わなかった。
パパ殿は、表情を和らげて、
「大姫が、かつてないほど古今を暗唱しているよ。和歌って、あんな鬼気迫る顔で覚えるもんでもないと思うけどね。頑張っているから、会ってやって」
思わず感動してしまうような、「父親らしい」コメントを残して、パパ殿は参内して行った。
――院の黒幕説については、聞けなかったなぁ。
毒気を抜かれてしまった。
予想外だったせいもある。
先師の方の話では、仁覚が苦手とは聞いたが、勝覚については幼い頃から仏道を志したとか、わりといいイメージだった。
でも。
たしか大僧正が言っていた。「左府が、子ども全員がまともに育たなかった、と嘆いていた」、だったっけ。
ものすごい表現だが、つまり、勝覚も「難あり」、ということだ。
パパ殿は、醍醐寺座主については、黒と確信しているらしい。
白河院については、どの程度の疑いなのだろう。
少なくとも、現代で調べた限り、永久の変において、白河院の影も形も出てこない。この時代の院が、白河院だということも、他の年表と照らし合わせて、理解したくらいだ。
――なんか他にも聞きたいこと、あった……ような?
なんとなくスッキリしないまま、大姫の東の対屋を訪ねたら、一気に全ての懸念が押し流された。
ひと晩で30首近くの歌を暗記した大姫が待ち構えていて、テンションが高い。
怒涛の和歌の奔流に、わたしは付いていくだけで必死だった。
百人一首も、小学校高学年で暗記するもんね。
機械的な暗記に、もっとも適した脳年齢なのだ。
大姫の明るい声で、てんこ盛りの和歌を聞き、つっかえたらあれこれヒントを出し、できたら褒めそやし、引き続き、詰めこみ暗記作戦で、その日は終わった。




