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家庭教師、遊戯する


 それから事件に関する情報は、ぱったり入ってこなくなった。

 もちろん、この状態が、普通だ。

 死体を発見したり内裏だいりで警察関係者と会議したりしていたあの数日間が、イレギュラーなのである。


 わたしと大姫に、家庭教師という通常生活が戻ってきた。

 大姫のヤル気は、絶賛継続中だ。

 大量の暗記を短期間でこなすと、脳が暗記に慣れてくる。そして一定量を超えると、暗記が格段にラクになるのだ。マラソンでいう、ランナーズハイのような状態である。

 大姫はほぼ3日で、最初の50首を暗記し終えた。

 さらに40首ほどの和歌を追加する。


 今回は少なめな分、テクニック満載の、技巧派の歌ばかり、選んだ。

「暗記ハイ」に入っている今の大姫ならそれほど苦もなく覚えられるだろうし、英語の基礎構文と同じで、使える言い回しや単語の組み合わせは、まるっと文章(この場合は和歌)で暗記した方が、実用性が高い。

 大姫曰く「女々しい」歌や「仰々しい」歌、「恋死に」の歌も多くなるが、とにかく覚えてもらう。

 覚えた歌から、順にテクニックを解説していった。

 好き嫌いはともかく、この手のテクは、自分が詠む側になったら、必須なのだ。使いまわせる表現が多いほど、結局は自分の助けになる。


 ――蓮葉はちすばのにごりにまぬ心もて なにかはつゆを玉とあざむく (僧正そうじょう遍昭へんしょう


「はい、けっこうです。きっちり覚えられています。大姫様は、僧正遍昭がお好きですね」


 この歌の解釈のポイントは、仏教の説話が含まれていることだ。

 法華経の「湧出品ゆじゅつぽん」に、「世間の法に染まらざること、蓮花の水に在るが如し」、つまり、「蓮の花が泥水のなかで清らかに咲くように、俗世間にまみれてはならない」と出てくるのを踏まえている。

 歌の意味は、蓮の花は聖なる存在なのに、なぜ露を宝玉と見せかけて人をあざむくのか。

 一見、法華経をばかにしているようでもあるけれど、逆に考えれば、それだけ蓮が清廉だと強調している歌だ。


「趣もあるけれど、どこかおかしいでしょう。懐が深いところも好みだわ」


「まあ、僧侶が詠んだからこそ許される歌ですよね。仏法説話が織り込まれている和歌は、知っているだけでも教養が深いと評価されますから、覚えておくと、トクです」


 最高に技巧を凝らしまくった歌も、追加した。


 ――桜花さくらばな散りぬる風のなごりには 水無き空に波ぞ散りぬる (紀貫之きのつらゆき


 古今和歌集では、花=桜であり、桜は、かすみ、雲、雪、吹雪などに喩えて、舞い散るシーンとして描写される。

 そのうえで、花を波と、その波をさらに雲に、段階的に見立てを発展させている。

 「なごり」は、風の吹いた後の「名残」と、余波である「余波なごり」との掛詞かけことばになっていて、桜が空に舞っている様子を、波が泡だっている情景に見立てているのだ。花びらの一枚ずつが、波の泡のひとつひとつに重ねられる。

 また、「水なき空」で、存在しないはずの水面が、水色の空に二重にイメージさせる。


「存在しない風景を否定して、逆に強調するのは、紀貫之の得意技です。超高等テクニックですよ」


「掛詞の連続に、見立てのたたみかけ、否定強調ね……。お上手、というより、すごいお歌なのは分かるけれど」


 技巧的な歌が好きではない大姫は、紀貫之や在原業平ありわらのなりひらを、分かりやすく避けている。


「別に、こんな風に詠まなきゃいけないわけじゃありません。普通の人には、こんな高等テクは、無理ですからね。でも、たとえば、この歌をこういう風に書き換えてみたら、いかがです」


 ――吹く風に散りぬる花を水もなき 空のはたての波かとぞ見る


「意味は変わっていません。使っている単語もほぼ同じです」


「……そうね、なんだか、とっても普通で、つまらないお歌になったわね」


「いちばんの失敗は、~とぞ見る(~のように見える)、とはっきり言ってしまったことです。こういう風に見えるでしょう? と歌の中で説明してしまうと興ざめ、ということですね。紀貫之は、そこを「なごり」の見立てで詠みました。その技巧が、高く評価されているんですよ」


「はぁい。覚えておくわ」


 和歌の暗記の息抜きに、ほかのお稽古の真似事もした。

 楽器や書道に関しては、きちんと師がついているし、わたしに教えられるわけがない。

 平安貴族女性の嗜みの中で、半分遊びに近いようなものを試してみた。

 小弓、石投いしなげ、投扇、州浜すはま作り。


 小弓と石投は、文字どおりだ。

活発で運動神経もいい大姫のことだから、得意だとは思っていたけれど、


「やっぱり大姫様、いい腕なさっていますね」


「動かない石に、同じ大きさの石を当てるのよ。当たらない方がおかしいわ」


 石投は、室内で行うおはじきのようなゲームだ。

 日々庭で、ボーイズと、本物の石を投げて蛙やトカゲを捕獲している大姫にとっては、お茶の子さいさいである。


 小弓は、男児や女性用の弓だ。男児は、本物の弓を習う前の練習に使う。

 やはり室内で、的に向かって射るのだが、片手に入るほどの小さい弓に、ぼよぼよの頼りない絃だ。矢をななめ上に飛ばし、放物線を描いて落ちて、的に当たればいいのである。


「……この弓、ほとんど矢を引けませんよね。女性はともかく、男の子はこれで練習していて、本物の弓を持ったとき、却って調子が狂うんじゃないでしょうか」


「本当につまらないわよね、これ。弓の意味がないわ。そのまま矢を投げた方が、ずっと威力が出るじゃない」


 こほん、と大輔たいふの君が割って入った。


「小弓は、射るときの姿勢が大切なのです。片膝だけ立てて、ななめ上に弓を構える姿が、美しく、男性を誘うのですよ」


「え、室内競技なのに、男性が見るんですか?」


 思わず聞いてしまったら、


「男性の狩りの大会や、弓の儀式の日に、女性達は室内で小弓を行うのです。そういう日は、後に宴会がありますから、女性を誘いにみえる男性はたくさんいらっしゃいます」


 ええええ、じゃあ、小弓って、御簾みすの陰絵で、そのポーズを見せるためなの?!

 なんだろ、現代でいえば、合コンで男ウケする必殺ポーズみたいな? って、具体的にどんなのか、よく分からないけれど……。

 大輔の君のアドバイスを聞いて、大姫は、さっぱりとヤル気を失くした。


「もう小弓はいいわ。むしろ、わたくしは本物の弓を、お父様に習いたいのよね」


「なりません! 女性が弓など引けば、腕に筋肉が付きます!」


 大輔の君が慌てて止める。

 この時代の美人は、色白と髪の長さが必須条件だが、追加で、小柄で華奢な女性の方がモテるのだ。そこら辺は、現代と同じである。


 予想どおりだったが、小弓よりは投扇の方が、大姫のお気に召した。

 投扇は現代でも、お座敷遊びで人気だ。扇を投げて、台の上の的に当てる。的への扇の掛かり方で、点数が変わる。

 子どもにありがちだが、大姫も最初は、扇を力いっぱい投げていた。扇は大して飛ばず、的にも当たらずに落ちる。結果、ムキになって、熱中していた。

 この遊戯は、経験者が有利だ。大輔の君や撫子なでしこの君はさすが手練れで、美しい形で的に掛け、高得点を叩き出す。

 わたしはフリスビーの要領で扇を投げて、そこそこの腕前だった。それでも、


若狭わかさではこのような雅びな嗜みは、あまり……。都に上がる前に、少し練習したのですが」


 と言う若狭と、どっこいどっこいだ。

 大姫と撫子の君、わたしと若狭、というチーム戦で、けっこう白熱したゲームになった。巧すぎる大輔の君は、審判である。


 大姫がいちばん才能を発揮したのが、州浜作りだった。

 見守っていた女房達全員が、思わずため息を漏らしたほどの出来栄えだ。

 州浜は、要するに箱庭づくりである。

 小さな箱、塗りの盆、お重などに、石や草花、ミニチュアの建物などを配置して、ひとつの風景を作るのだ。

 基本的に、自然を写し取るものなので、建物は必要最小限、ミニチュアの完成度を競うものではない。あまり大きな建物は歓迎されず、せいぜい鳥居とか灯篭とうろう程度だ。

 大姫は、自然を身近に生活しているし、絵も上手い。それに器用だ。州浜作りが得意で、当然である。

 普段誉められない女房達からも絶賛されて、大姫はおおいに照れていた。


「皆、誉めすぎよ。遊びじゃないの」


「いいえ、大姫様。州浜は、贈答品を差し上げるときに一緒に付けることも多いです。この上に和歌を乗せて、お贈りするんですよ」


 だから州浜が得意な女主人は、面目躍如なのだ。

 もちろん、手先の器用さとか、持って生まれた美術のセンスとかがあるので、どうしても苦手な女性もいるだろう。州浜は必須技能でなくて、お付き女房か家宰のなかで、誰か得意な人がいればいいのである。

 ただ、その上に乗せる和歌は、そうはいかない。大事な相手であるほど、歌の手蹟は、女主人のものでなければ失礼だ。


「と、いうわけで、書もがんばってくださいね、大姫様。じゃあそろそろ、古今に戻りましょうか」


 そんな感じで、休憩や、大輔の君奮発のおやつを挟みつつ、大姫は100首以上の和歌を暗唱していった。

 それでも、古今和歌集全体の1割だ。

 全1,111首暗記した伝説の宣耀殿せんようでんの女御にょうごはともかく、どれくらい暗記すればいいのか。

 これで充分、という目安が分からないし、大姫は「暗記ハイ」を保っているし、最近は1首暗唱するたびに女房達がやんややんやの大喝采だし、で、やめ時がつかめない。

 だが、ハイ状態はいつか切れる。大姫は、飽きたら、投げるのも早いだろう。

 わたしは大姫の表情やしぐさなどを観察しながら、古今和歌集の暗記生活を続けていた。





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