家庭教師、食事する
大僧正のお使いがクーラーボックス、改め葛籠を持ってきたのを潮に、わたし達は内裏を退出した。
さすがのパパ殿も疲れていたようで、邸まで走るとは言わなかった。雨彦がこっそり、安堵のため息をつく。
それでも、牛車に乗るのには最後まで抵抗していた。
「女車じゃないか! なんで僕がこんなのに乗らなきゃいけないんだ。絶対にイヤだね!」
「殿様を歩かせて、わたしだけ乗るわけにもいかないじゃないですか。いくらわたしだって、裳付きの正装で都大路を歩けませんよ。大事なお話があるんです……大姫様のことで」
大姫のことになると、パパ殿は甘い、というか弱い。
諦めて、女車に乗り込んできた。ものすごくパパ殿の方に車が傾いて、重たそうだけれど、そこは下男の方々に心の中で謝っておく。あと、車を引く牛さんにも。
先師殿の奥様の実家で、大姫が引き起こした騒ぎを話した。
「そういうわけで、大姫様は今、たいへんな衝撃を受けていらっしゃるんです。最後にお邸の門前でお別れしたときは、茫然自失、といった風情でした」
心配です、と付け加えると、パパ殿は見るも無残におろおろした。
「斎迩の君でもどうしようもないなら、僕なんて、何もできる事などないよ。ど、どうしようか。どうしたらいいと思うかい?」
「とにかく一度、大姫様とお話してみようと思っています。殿様が動揺してどうするんですか。もっと、どーんと構えていらしてください」
「どーんって、具体的にどうするのさ。ああ、もう、先師殿とお方様は、似た者夫婦でさ、2人とも、正論で真っ正直にぶつかる派なんだよね。僕も何度、お方様に手厳しく叱られたか……。大姫、かわいそうに、怖かっただろうなあ。でも、そういうこと言ってくれる貴婦人が大姫の周りにいないのも、事実だし……」
ぐちゃぐちゃグチっているパパ殿を一括する。
「起きちゃったことをかわいそがってても、仕方ないでしょう。今は大姫の精神状態を落ち着かせることが優先です。殿様も協力してくださいね!」
「きょ、協力って、何すればいいのさ?」
ちょうど邸に着いたので、情けない声を出すパパ殿は放置した。
「お帰りなさいまし、斎迩の君。大姫様のことでご相談が……、おお、旦那様もお戻りでしたか! お勤め、お疲れさまでございました」
家宰さんや八助さんが出迎えてくれる。
雨彦に手伝ってもらって先に牛車を降りても、後ろから「斎迩の君!」と声がすがってきた。
「じっくりお話を聞いてあげる。抱っこしてあげる。あとは、殿様お得意の笛でも吹いたらいかがですか?」
めんどくさくなって適当に答えたわたしは、さっさと東の対屋に向かう。
背後で、八助さんがパパ殿にもごもご謝っているのが聞こえた。
東の対屋は、お通夜のようだった。
いつも賑やかすぎるくらいに明るいので、暗さが際立つ。
大輔の君、撫子の君、若狭の3人が駆け寄ってきて、取るものもとりあえず、居間に引っ張られた。
「できれば、着替えたいんですけど……」
「あとで構いません。もともと私の着物です」
「あのぉ、申し訳ないんですが、何か食べ物を……」
「ただいま用意させます」
撫子の君がひじょうに詳しく説明したようで、2人とも事情は呑み込んでいた。
そのうえで、大姫が寝間から出てこない、と真っ青になっている。
「? 泣きわめいたり、物を壊したりしていらっしゃるんですか?」
「いいえ。何の物音もしません。静かなものです」
「話しかけてみました?」
「ええ。入れ替わり立ち代わり。お菓子をオススメしてもお夕食にお呼びしても、あげくには、けら男が新しい昆虫を捕まえてきたと申し上げても、『放っておいて』と」
「はあ。それなら、しばらく放っておけばいいのでは」
「「「そんな! なんて冷たい! 斎迩の君がそんな薄情な方だったなんて!」」」
一瞬、くらっときた。
断じて、空腹のせいだけではない。
パパ殿が大姫に弱いとは思っていたけれど、お付き女房達がここまで大甘だったとは。
いや、「主人に仕える」とは、こういうことなのだろう。主人の思惑を先回りして叶えるのが女房達の仕事だ。その主人の、思惑が把握できない事態になって、対屋全体が混乱している。
大姫はいろいろ困ったことをしでかすお子ではあるが、基本的に明るい。喜怒哀楽もはっきりしていて、あけっぴろげに表現する。内に閉じこもられたことがないので、女房達も対処できないのだ。
本人が「今日はひとりでゆっくり考えたい」と、今は「放っといて」と言っているのだ。あの姫の性格からいって、本当に考えているのだと思う。
そういう時間は、子どもを成長させる。大切な時間だ。
とはいえ、ひとりでぐるぐる考えていると、だんだん思考がマイナス方向に行ったり、混乱して妙な結論に行きついたりすることも多い。誰か大人が、ほんのちょっと、軌道修正したほうがいい時もある。
「分かりました。わたしが寝間に伺ってみます。……お夕食をいただいた後で」
表情を明るくさせた3人と、同時に運ばれてきた夕食のお膳を見て、わたしは断固として、宣言した。
不満そうな3人だが、これだけは譲れない。今日は、ウィダーイ○ゼリー2パック以外、何も口にしていないのだ。大げさでなく、お腹が空いて、体に力が入らない。手なんか震えている。
「あれ、これ」
お膳は、白米と粟のお粥に、干魚を蒸したものだったが、横にデザートが付いていた。特別な日でもないのに、えらくゴージャスな夕餉である。
「栗の甘蔓煮です。先師の方から、本日のお礼に、と届けられました」
午前中の話し合いにプラス、内裏に向かう途中、牛車の中で書いた文への礼だろう。
あれがなかったら、明日にでもお方様は、醍醐寺に足を運んでいたはずだ。下手したら、千手丸を逮捕に来た近衛士と鉢合わせしてもおかしくなかった。
それにしても、こういうところが、お方様は一流の貴婦人だ。
先日、神無月に入った。たしか今日は、3日くらいのはず。
陰暦の10月は、現代では11月中旬だ。
栗は取れたてだろう。対して、甘蔓は基本的には春から夏の植物。汁を絞って使うので、乾燥して保存はできない。
甘蔓自体が手に入れにくい貴重な物というだけでなく、秋が旬の栗と合わせて煮詰めたお菓子は、気遣いとおカネと手間がみっちり込められ、なおかつ、風雅でセレブな逸品なのだ。
味は、とっても薄い和風のマロングラッセだ。甘蔓は、砂糖やハチミツほど甘くない。でも栗の滋味が感じられて、現代人のわたしにも、美味しいと思える。
猛スピードでお粥と蒸し魚をかっこんで、栗の甘蔓煮を堪能した後、必死で頼んで、着替えさせてもらう。
汗をかいたとか、大輔の君の一張羅を汚したかもとかいう、心配もある。けれど、正直なところは、十二単の正装の重さにこれ以上、耐えられない。
十二単は、本当に12枚も着物を重ねるわけではない。そうはいっても、4~7枚は重ね着する。帯も現代のものよりはきつくないが、その分解けやすい。とにかく、動きにくいのだ。
昨日借りた小部屋で、自分のスーツに着替える。抗菌シートが、残り少ない。節約しつつ、体じゅうを拭いて、すっきりした。
スーツでも、この時代の女房の袿姿には見えるはずだ。
あまりのラクさに、長く息を吐いた。
肩をぐるぐる回す。
大輔の君に用意してもらった、栗の甘蔓煮を持って、大姫の寝間を訪ねた。ほとほと、と、板戸を叩く。
「大姫様。わたしです。戻りました」
沈黙が返ってきた。
別にかまわない。すぐ返事が来るとも思っていない。
もし大姫が、先師の方に怒っているのなら、あの状況を黙って見ていたわたしのことも、恨んでいるはずだから。
「夕餉を召し上がられなかったそうですね。今日はものすごいご馳走があったのに、食べ損ねちゃいましたね」
部屋の中で、かすかに物音がした。
少し、笑ってしまう。
空腹には勝てない。子どもなら、尚更だろう。大姫も、今日は朝食以降、何も口にしていないのだ。
「大姫様、わたしや先師の方様が、許せませんか? 怒っていらっしゃいます?」
単刀直入に切り込んだ。
本当に大姫が怒り狂っているとは、思っていない。
自分は悪くない、ひどい目に遭った、と怒っているのなら、もっと八つ当たりの声や物音が聞こえてくるはずだ。
だからこそ、大姫が今どういう思考に陥っているか、正確に知っておきたい。
「……怒ってるわけじゃないわ」
「一人で考えたいと仰いましたね。まとまりましたか?」
また、板戸の向こうは静かになった。
「よろしかったら、わたしと話してみませんか。ひとりで考えていると、ぐるぐる同じところを回ってしまいがちです。誰かと話すと、考えが整理されますよ」
言いながら、濡れ縁に座った。板戸に寄りかかる。
秋の風が吹き抜けていく。もう、涼しいというより、寒い。
日暮れも早い。月が出るには、まだ早い。
――いつの間にか、すっかり秋なんだなぁ。
大姫に出会ったのは、夏だった。わたしが雇われたのは、大型台風の日だったのだ。大姫はトンボの羽化を見たがっていた。
最初の頃も、大姫はわたしと話すのを拒否していたものだ。
野良猫を慣らすような気持ちだった。
今は、さしずめ、天岩戸を開ける巫女の気分だ。疲れてるから、踊ったりしないけどね~。
「……のきみっ、斎迩の君?! 大丈夫なの?」
背中が揺れている。大姫が中から、板戸を叩いているのだ。
――わたし、寝落ちしていたらしい。
「す、すみません、大姫様。ちょっと、寝てました」
誰も見ていないのをいいことに、ティッシュでよだれを拭いた。




