家庭教師、説諭する
「ね、寝ていたの……ね……」
中から、がっくりした声が聞こえた。
言い訳のしようもない。
いくらこの2~3日ハードだったはいえ。床に茣蓙敷いただけの寝床で熟睡できなかったとはいえ。食事が少なくてツラかったとはいえ。
って、めちゃくちゃ言い訳してるな、わたし。
が、大姫は、気がラクになったようだ。一気に力が抜けた声で、笑い出した。
「全然答えないから、怒って、どこかに行ってしまったかと思ったわ」
「わたしが大姫様に怒ることなんて、ないですよ。そう感じたのなら、大姫様が、何か怒られるようなことをしたと、思っていらっしゃるのでは?」
大姫は、空気を読みすぎる。
そういうところは、現代のお子さまと似ている。
妙に部分的に、社会性が発達している。他の社会性との成長が、アンバランスなのだ。
わたしの容赦のないツッコミに、根が素直な大姫は、律儀に答えを返した。
「だ、だって、わたくし、お方様のお邸で、行儀の悪い態度だったから……」
「その場で、お方様に叱られていたじゃありませんか。あれ以上、付け加えることなんてないですよ。というか、大姫様、お方様に叱られた内容については、納得なさっているんですね?」
今の大姫の発言は、そういうことになる。
「……ええ。お方様は、正しいことを仰ったと思うわ」
「じゃあ、どこが、納得いっていないのですか?」
そうでなければ、寝間に籠って出てこない、という行動にはならないだろう。
「……よく、分からないの」
なるほど。
お方様に叱られたことについて、理屈では理解したけれど、感情では納得がいかない、というところだろう。
大姫は、賢いけれど、自分の気持ちや考えを説明する訓練をしていない。今の自分の感情を持て余しているのだ。
「大姫様、少しだけ、板戸を開けてください。わたしは入りません。お渡ししたい物があるだけです」
用心深く、板戸が細く開いた。
栗の甘蔓煮を差し入れる。喉が渇いているだろうから、竹筒にお白湯も詰めてもらった。
「夕餉のご馳走ですよ。お方様からの贈り物です。こういうお気遣いもできる方なんですよね」
まだ混乱している大姫に、わたしはニュートラルであるべきだ。
お方様を貶しても、誉めても、いけない。
でも、この栗の甘蔓煮をくれたのが誰か、ということは話しておくべきだろう。
「わたくし、栗の甘蔓煮は大好きよ。作るのに3日はかかるのよ。神無月に入ってすぐに、作っておられたのね」
そんな手間のかかるスイーツだったのか。
「今日のお礼のために急いで作ったわけではなくて、こういう物を、用意させておく方だということですね」
そういえば、そもそも権大納言家に呼びつけられたのも、用意周到な脅しのせいだった。見た目どおり、なんでも準備万端、きちんとした人なのだろう。
「わたくしも、局の主人として、こういう物を用意しておかなければならないのかしら」
「そこら辺りは、まだ焦らなくてもいいのではないですか。そのために、大輔の君が、東の対屋の執事なのですし。まあ、興味があれば、おいおい教わってもいいと思いますよ。覚えておいて損はないでしょう」
大姫が来年、裳着の儀式を行えば、外との贈り物のやり取りも、自分でするようになる。
本来、この時代の女性は、外に出ない代わりに、文と物のやり取りは頻繁なのだ。贈り物のセンスは、必須だろう。現代で流行っている「一流秘書の贈り物辞典」みたいな虎の巻だって、あるだろうし。
しばらく、沈黙が続いた。
大姫が、ちまちま栗の甘蔓煮を食べている音がする。竹筒の白湯も飲んでいる。
「分かるのだけど……、でも、納得がいかないの。どうしてあんなに、悪しざまに言われなければならないのかしら。確かに、衵で外を出歩いたのは、良くなかったと思うわ。お父様も、参内する時は袍を召されるし」
ぼそぼそ、話し始めた。
いい傾向だ。
「でも、眉とかお歯黒とか、髪の毛を耳にかけてはだめとか、全部、貴族だけの仕来りよね。くだらないわ、誰が決めたのかしら。ウチの下女だって、都大路を行く人だって、けら男の妹だって、してないのに。いいじゃないの、そんなので、人の価値が変わる方が、おかしいと思わない?」
――やっぱり、そこら辺だったか。
正直、眉を剃り落して、真っ黒な歯の顔は、現代人の美的感覚からすると、どうにも気持ち悪い。
けれど、まさにそれと鏡合わせで同じことを、平安人も、大姫に感じているのだ。
『虫愛ずる姫君』にも載っていた。お歯黒をしていない姫君に、右馬介という男がちょっかいを出すのだが、最初のセリフが、
「うわ、歯が真っ白なんて、不気味~。顔は可愛いのに、もったいない」
というものなのだ。
お歯黒の歴史は長い。天平時代以前から始まって、貴族から、どんどん庶民にまで下りていった。江戸時代には既婚婦人は全員、するのが常識だった。
明治維新で、欧米人が歯の白さを誇るのを、急きょ真似するようになり、お歯黒は廃れていく。それでも、頑固なご婦人はお歯黒を続けていた。華族の奥方のなかには、昭和初期でも、お歯黒をしていた人がいたほどだ。
わたしは、どうしても現代人の感覚で、大姫の顔を、健康的でかわいい、と、良しとしてしまう。
今日、先師の方が、「大道芸人に用はない」と言い放ったとき、初めて、平安時代人には、それほど突飛に見えているのだと、理解した。
先師の方特有の、キツイ物言いはあっただろう。それでも、あれがこの時代の人の「目」だということだ。
「大姫様。人って、見た目が9割、という意見もあるんですよ」
「え」
「9割は言いすぎとしても、初対面のとき、人は、相手の外見で4割、声と口調で3割、印象を決めてしまうものだそうです」
話の内容、中身が吟味されるのは、残り3割という説だ。
人間は、見た目じゃない。
わたしもそう思う。
そして、ある意味では、見た目だ、とも思う。
仮に、ある人が、ものすごく知識のある外交員だとしても。
靴下に穴が開いていてズボンが裂けていて、髪の毛が脂ぎってボサボサで全体的に不潔で、上目づかいでぼそぼそしゃべる人から、何か買おうと思えるだろうか。
人からまともに扱ってほしいのなら、自分も、社会でまともと思われている人のように、ふるまわなくてはならないのだ。
現代は、まだ自由度が高い。服装も思想も、かなりの振れ幅が許されている。
身分制度でガチガチの平安時代の貴族だからこそ、仕来りだらけで、それを守ることが金科玉条なのだ。
「大姫様にとっては、無意味で納得のいかない決まりごとが多いでしょうけれど。涼しいお顔でこなしてから、文句を言ってやったらいかがですか? 今のままでは、できないからやりたくない、と駄々をこねているようにしか、見えません」
カタン、と板戸が開いた。
わざと、そちらを見ずに、続ける。
「わたしは、大姫様の考えをお聞きするの、好きですよ。最初に見た目だけで判断されて、話も聞いてもらえないなんて、悔しいじゃないですか。外見を整えて、ばっちり中身で勝負して、ふふんって言ってやりましょうよ」
大姫は、わたしの横に座った。
「できるかしら、わたくしに。お母様もいらっしゃらないのに」
「できますよ。わたしも……まぁ、微力ながら協力しますし、大輔の君なんて、泣いて喜ぶでしょうね。それに、いざとなったら、先師の方に教えを請えばいいんです。あの方は、意外と情にもろそうですから」
本心では、大姫のことを素直な姫だと言っていた。自分はもう嫌われてしまった、と、寂しそうだった。
大姫がちょっとしおらしくお願いすれば、メロメロになるのではないかと、わたしは踏んでいる。
「とりあえず全般、極めてみて、どうしても気に入らなかったら、家の中では好きな格好すればいいんですよ。東の対屋の主人は、大姫様なんですから。お客様があるときとか、外に出るときだけ、完璧に取り繕えば、大きな問題はありません」
家庭教師が言うことじゃないですけどね、と付け加えると、大姫は、楽しそうに笑った。
「いまさらだわ、斎迩の君」
今日初めて見る、屈託のない笑顔だった。
ほっとしていると、渡殿(渡り廊下)の辺りが騒がしくなった。
「あー、大姫は、もう寝たのかな」
パパ殿だ。
大姫の様子を見に来たのだろう。
「え、え? お父様? こんな時間に?」
大姫の動揺を、更にあおる。
「ここしばらく、秘密のお仕事で、ずっとお帰りになれなかったそうですよ。先ほど、内裏でお会いしたので、大姫様のことをお話しておきました」
「えっ、お方様のお邸でのお話をしたの?! ひどいわ、お父様が心配なさるじゃない!」
「そりゃそうです。いいんですよ、心配かけて」
大姫は、涙目になった。
「だめよ、お父様は、わたくしのこと、お嫌いになっちゃうわ」
「大丈夫です。そんなこと、あり得ません。むしろ、お殿様も、お方様のことは怖いみたいですよ?」
混乱の極みにいる大姫と、緊張しまくったパパ殿が、濡れ縁で相対した。
わたしは、いたずら心を出して、ちょいっと大姫の背中を押す。
前にたたらを踏んだ大姫を、パパ殿が慌てて抱き止めた。
「うぉっ、大丈夫か、大姫。ケガはないか? いや、それより、お方様にヒドイことを言われて泣いていたのではないか? 悪いお方ではないが、とにかく言葉がキツくて、父も何度も叱られて……」
真っ赤にうろたえるパパ殿に、わたしはジェスチャーで、そのまま抱っこして、と示した。
大姫を抱きかかえたパパ殿に、寝間を指差す。
パパ殿と大姫が寝間に入って行った後、わたしと女房達で板戸を開け放した。
周りに几帳を立てまわす。
わたしと女房達が全員、居間まで引き、しばらく経って、パパ殿の笛の音が流れてきた。
夜も更けて、空には三日月がかかっている。
眉月とも、初月とも呼ばれる月だ。
パパ殿、どーんとして抱っこして、笛を吹いて、成功したね!




