家庭教師、ロックオンする
*左大臣の二男と三男の名前を間違っていました! 訂正しました。混乱してしまわれた方、申し訳ありません。(2019.6.2)
「あの、わたしは逆に、今上が呪詛されているなんて思いもしなかったので、驚いたのですが……」
全員が、眼を見交わした。
大僧正が代表して答える。
「まあ、そういう懸念も、あるにはあった。じゃが、院が、呪詛返しをなさるので、心配ない、と仰せられてな」
院!
まさかの、ここで登場!
そういえば、今上には、出家した准母様と祖父がいると、聞いていた。
そのお祖父さんが、院政の主か!
今さらだけれど、成人前の帝の場合、摂政が就くはずだ。
内裏には薄っぺらいコネしかないわたしだが、今上の護持僧だの蔵人頭だのと会っていながら、今まで一度も、摂政が登場しなかった。
それを、疑問にも感じなかったなんて!
院政が始まっていて、出家した祖父が執政しているなら、摂政がいなくて当然である。
――大学受験の日本史も受け持ってるのに、こんな簡単なことを、思いつかなかったなんて……。
少し、自己嫌悪に陥りそうになる。家庭教師としての自信を喪失しそうだ。
……。
……お腹が減っているからだ。
うん、そうだ。だから、必要以上に、悲観的になっているんだ。
ムリヤリ自分に言い聞かせて、浮上する。
こんなところで、自己嫌悪に浸っている場合でもない。
はっと気づくと、全員から、ガン見されていた。
大僧正がにやにやしながら、
「そなたの百面相は、おもしろいのぅ」
「すっ、すみません! ちょっと、体調がまだ、すぐれないようで……」
「嘘こけ」
「へ?」
「今度は何が気になっておる?」
いやいや、単に空腹でネガティブ思考になっていただけです、とも言えない。
さっきの大僧正のセリフに、どこか、引っかかったことは確かだ。院登場には驚いたけれど、
「あ、そうか。その院の呪詛返しは、いつ頃なのですか」
「一か月以上前じゃな。今上が蜂に刺されたより、一旬(十日)程、前かのぅ」
「暗殺未遂より前なんですね。じゃあ、院は、どうやって今上が呪詛されると、お知りになったんでしょうか」
そしてわたしは、またもや、高位の貴族達を凍らせてしまった。一瞬で公卿達が固まる。
あー、前回も、こんなことあったなー。
前回と違うのは、大僧正だけがまったく変わらず、むしろ楽しそうなことだ。
「いやいや、あいかわらず、えげつない問いを、しゃらっと言ってのけてくれるわ。のう、蔵人頭」
「あ、は、はぁ……」
どんな質問にも折り目正しく答えてくれた蔵人頭が、青ざめて額の汗を拭っている。
「もちろん、院にお尋ねしたとも。護持僧である拙僧が呪詛返しをせんでどうする。――神のお告げがあったと」
「はい?」
「今上に呪詛が降りかかると、神のお告げがあったと、院が仰ったのじゃ。なんでも、院御所で祈祷をしないと霊験が現れないとかで、内裏で呪詛返しをすることを許していただけなかった。だから、呪詛返しの相手も聞いておらぬ」
はあ?!
前回、大僧正に叱られたことはよーく覚えている。
でも、これは、確実に、嘘だよね? 院こそ、「神のお告げ」を都合よく方便に使ってるんじゃないの?!
「院は得度(出家)なされて、毎日、仏道に励んでおられる。そのようなお方が言われたお告げを、誰が、疑ったり、反論したり、できるであろうの」
ものすごくイヤミたっぷりな口調で、大僧正が続けた。
「う、疑って、ますよね……?」
おそるおそる聞いたら、宮廷人全員が、さっと目を逸らした。蔵人頭に至っては俯いた途端、汗が落ちて、床に染みを作っている。
大僧正が、にぃっと笑った。
「いやいや、ほんにそなたはおもしろい。ここが春興殿でなければ、拙僧は大笑いしたところじゃて」
「……お楽しみいただけて、なによりです」
わたしがぶすっと答えると、大僧正はすっと表情を硬くし、声を落とした。
「今上を見舞ったとき、そなたは、『出家した方のほうが化生のモノを方便に使う』と申して、周囲を仰天させたじゃろ。ほんの少し前に、そういう経緯があったんじゃ。誰でも警戒するわ」
わたしが大僧正を非難したと受け取られて、それで叱られたと思っていたけれど、そういう事情があったのか。
「でも、そうすると、みなさん、院のことを多少は疑っているのですか?」
「もし、院が呪詛のことを事前にご存じだとして、それでなんとする?」
「え? それは、だって……」
「真か嘘かはともかく、院は、院御所で、大々的に呪詛返しの技を何日も行われた。実際問題、そのころ今上には、なんのご不快も表れなかった。さて、そなたは申したな。今上を害そうとするは、帝位を狙う者だと。実質的に政治を司っておられる院が、実のお孫君でもある今上を害してまで、何を得る?」
つまり、動機がない。
わたしだって、心情的に、実の祖父が孫を呪詛するとは思いたくないし、実際、呪詛返しは成功したわけだし。
いや、呪詛があるというのも嘘で、呪詛返しも、ただのパフォーマンスだとしたら?
いやいや、なにそれ、目的が分からなさすぎる。
日本の帝は、地位だけ、名誉だけ、という立場だったことも、歴史上何度もあるけれど、院政時の院は、まさに最高権力者であり、絶対的な独裁者だ。
地位も名誉も当然として、カネも実際の権力も、並ぶ者のない存在なのだ。
ぶっちゃけ、院が気に入らなければ、孫の今上など、さっさと退位させればいい。それだけの実権を持っているのが、院だ。
策を弄して呪詛やら暗殺やらを計画する意味がないし、呪詛返しを行ったフリをする必要もない。
ーーそれにしても、またか。
蜂を使った暗殺未遂のときも、容疑者の動機が弱くて、絞り込めなかった。院も、呪詛云々の行動は怪しいけれど、動機らしいものが思い当たらない。
「そなたの言う、動機が、間違っとるのじゃろ」
心の中を言い当てられて、ぎょっとする。
「なんじゃ、そこまで分かったから、わざわざ拙僧に会いに来たのじゃろ」
単純に、関係者に僧侶が多いから、大僧正に意見を聞きたいと思っただけなのだけれど。
「仏教界は、僧階が同じなら、平等じゃ。建前上はな。そのうえでムリヤリ、最高の権威者と考えると、今上の護持僧じゃかのぅ。つまり、拙僧じゃな」
まるで他人事のように、大僧正が言う。
「左府の二男、三宮院阿闍梨の仁覚は、輔仁親王の護持僧じゃよ」
輔仁親王。
今上の祖父、つまり院の、義弟。今上が死んだら、次の帝に担ぎ出される可能性の高い、人物。
その護持僧は、権力欲も我も強い、という、仁覚。
宮中で、兄の下位に就くことを潔しとしなかった弟。宗教界に入れられて、父と兄を恨んでいる人。
そんな人が、仏教界で最高の権力を望むなら、目的は、帝の護持僧になることだ。簡単だ。輔仁親王を帝位に就けさえすればいいのだから。
輔仁親王本人にも左府殿にもなかった「帝位への動機」が、仁覚にはある。
「実は昨日、今上に蜂を仕掛けた実行犯と目をつけていた者が、亡くなりまして」
やっと気を取り直した蔵人頭が、話に加わる。
「え、それって、左大弁とかいう方ですか」
「そうです。あなたの提案されたあぶり出しは、見事に効を奏しましたよ」
にっこり微笑まれた。右近衛府長官が、
「おや、こちらの方のご提案だったのですか。あからさまな結果が、あまりにすぐに表れたので、初めは信じられなかったほどでしたよ」
「左大弁が阿呆なだけじゃ」
「こほん。とにかく、左大弁に監視をつけていたところ、三宮院の仁覚殿に文を送り、その後は醍醐寺に押しかけていましたよ」
人物評だけで決めつけるのは危険かもしれないが、これだけ状況証拠があれば、とりあえず、照準を合わせてみてもいいんじゃないだろうか。
今上呪詛、及び暗殺未遂の黒幕は、左府の二男、三宮院阿闍梨の仁覚。
醍醐寺座主、勝覚も、それに加担していたか。
そのつもりで、調べてみよう。
醍醐寺の千手丸の自白で、もっと詳しいことが分かるはずだ。




