家庭教師、エンカウントする
重苦しい空気の牛車は、ほどなく邸に戻ってきた。
門前に、八助さんがいる。
「八助さん、近衛府から戻っていたんですね!」
「んにゃぁ、たった今、ウチの牛車が見えたから、急いで走って来たんだぞぃ。こちらの隊長さんに送ってもらったんだぁ」
横に、検非違使が控えている。四条の川原で、わたしと八助さんに話しかけてきた隊長だ。
「なに、巡回のついでだ。八助には、ずいぶん捜査に協力してもらったからな」
珍しく、八助さんの顔に疲れが見える。
「だ、大丈夫ですか、八助さん。まさか徹夜で尋問とかされたんじゃ? 八助さんは、善意の発見者ですよ!」
「あ、いやいや、違うんじゃな。殿様に、叱られてしもうてのぅ……お邸にいらっしゃるかのぃ?」
「え、殿様は内裏にいらっしゃるんでしょう? というか、なんで八助さんが怒られるの?」
「最近、市とか川原とか、ふらふら出歩いとったじゃろ。門番なんじゃから、ちゃんと決められた場所で役目を果たせ、と言われてしもうた」
うーん、たしかに、八助さんのいない門前は、少し心許なかったけれど。
パパ殿も、今さらじゃないか?
当家の使用人達が、モンタージュを持ってあちこち聞き歩いて、一か月弱だ。八助さんはその陣頭指揮を執っていた。あちこち出歩いていたのは、パパ殿が許可を出したからではないか。
これを言ったら身も蓋もないけれど、当家程度のレベルで、門があること自体、身分不相応なのだ。
平安時代の貴族の邸宅は、基本型が決まっていて、身分によって、細かい違いが定められている。
門はその最たるもので、格によって、門の大きさ、形、材質、屋根の有無などが決まっているのだ。
五位程度の貴族の邸なら、門がないところも多い。生垣がちょっと開いているところが、入り口だ。なのに、この邸は、屋根こそないものの、木製の枠付き、観音扉の門だ。さすがに、牛車をそのまま通すほどの幅はない。それは皇族を迎えるような邸にだけ、許されている。
「だいたい、八助さんだって、専門の門番じゃないですよね。下男兼牧童だし。あ、そういえば、八助さん、あの両腕の跡って、分かりましたか?」
大姫を牛車から抱きおろしながら、八助さんは目に見えて、ぎくっとした。
「あー、あれなぁ。なんか、勘違いじゃったかのぅ。ひと晩経ったら、自信がなくなってきてのー」
ふい、と目を逸らす八助さんに、検非違使の隊長の前で話したくないのかと、思った。それならそれで、後回しにしてもいい。
わたしの優先順位は、まずは大姫が心配だし、なんとかして大僧正と話をする段取りをつけたい。
どちらも急を要するうえに、難易度が高い。
先師のお方には「責任をもって内裏に話す」なんて大見得切ってしまったけれど、わたしと、近衛府や大僧正とのつながりは、ぺらっぺらに薄い。
事件に関わる覚悟は決めたけれど、現実問題として、わたし自身にコネがあるわけでもないし、パパ殿に中継ぎを頼みたい。なんだかいろんな人があちこちで探している気がするが、パパ殿は今どこにいるのだろう。
八助さんは、一言もしゃべらない大姫が気になるようで、ちらちら見ている。いつもの大姫なら、八助さんを見かけたら喜び勇んで話しかけ、庭の虫や草木、パパ殿の近況など、おしゃべりのネタが尽きないのだ。
八助さんは、困ったように、四虫ボーイズに視線を移した。
「なんじゃい、おまえら。ずいぶん派手に汚しとるのぉ。んぁ~? 見かけだけか。ケガがないなら、いいかの」
――え? ケガしてないの?
ずっと固まっていた大姫も、ばっと顔を上げた。
いなご麿が気まずそうに、
「そうなんだよ、それを姫様達に早く伝えたかったんだけどさ。あの後、権大納言家の家人達に、ゲンコツ一発ずつくらった、んだけど、それだけ。殴ったように見えるようにって、手足と顔に泥、塗りつけられてさぁ。あ、腕も一発、棒で殴られたけど、すごく軽かったな」
「うん、あんなんだったら、ウチの家宰さんの方が、痛いよねぇ」
のほほんとひき麿が頷き、雨彦が、
「お方様のご命令」
重々しく付け加えた。
「みんな、ケガはないの? 痛くないの?」
初めて、大姫が口を開き、3人に駆け寄った。
「よかった……! ごめんなさい、わたくしのせいで。もう、みんなにこんな事、させないから……、本当に、ごめんなさいっ」
泣きじゃくる大姫に、3人のナイトが必死で慰める。
言葉を尽くしておチャラけるいなご麿と、大姫を自分の肩に座らせるひき麿、絹の手拭いで大姫の涙を拭く雨彦。通常運転の彼らだ。
「権大納言家の家人? お方様の命令? あんた方、どこで何して来たんじゃぃ」
八助さんが呆然と呟いた時、遠慮がちな咳払いが聞こえた。
「あー、ごほんっ。それでは、臣はこの辺で。八助、よく協力してくれた。よく休めよ」
去り時を逃して、なんとなくその場にいた検非違使の隊長である。あれ、もしかして、家に上げてお礼とかしなきゃいけなかったのだろうか。
そこに、一人の検非違使が走ってきた。
「あっ、隊長、こちらにいらしたんですね! お探ししました! 大変です! 令子内親王のお邸に、怪しい投げ文があったと!」
「なにっ、すぐ参る!」
「内親王に、投げ文?!」
隊長とわたしは、同時に叫んだ。
検非違使クンと隊長、八助さんが、怪訝な顔を向けてくる。
大姫と撫子の君は、一瞬で蒼ざめた。
懐に手を当てる。先師の殿の、投げ文の原案はここに入っている。
――誰が、投げ文を?
「そ、その投げ文にはなんて書いてあったんですか!」
わたしの剣幕に後ずさりつつも、検非違使クンは踏みとどまって、
「そ、そんなこと、お教えできませんっ」
「まさか、今上呪詛の告発ですか。犯人の名前も書いてあるとか?!」
必死で食い下がると、今度は検非違使クンの顔も、青くなった。
「ど、どうして、それを。たった今、内親王家から秘密裏に知らせが届いたばかり。まだ内裏にも、連絡は届いていないはずなのに……」
隊長が、表情と声を改めて、わたしに問いかけた。
「この段階で内容を知っているのなら、投げ文を行った張本人と思われても仕方ありませんな、女房殿。その辺りのお話を、詳しくお聞きしたい」
「望むところです。ぜひ、内裏の近衛府と、できれば大僧正にもお話ができるように、取り計らってください」
堂々と言い切ったら、隊長は鼻白んだ顔をして、少しテンションが落ち着いた。
パパ殿に頼もうと思っていたけれど、検非違使経由で内裏に話が通れば、手っ取り早い。
投げ文の犯人は、先師の殿とお方様ではない。けれど内容は酷似しているし、投げ文の宛先も同じだ。
その類似点に、なぜだか、イヤな予感がする。
わたしは大姫の目の前にひざまずいた。
「本当は、お邸に戻ったら、ゆっくり大姫様とお話しようと思っていたのです。申し訳ありませんが、わたしは急いで内裏に向かいます。お一人で、大丈夫ですか」
「大変なことになったもの。斎迩の君は急いで内裏にいらして。――わたくしなら、大丈夫……、というかね、今日は、一人でいたいの。少し、ゆっくり考えるわ」
撫子の君が、後ろで力強く頷く。
彼女から、大輔の君にも情報は伝わるだろう。
大姫が一人でゆっくり考えたい、と言ってくれて、わたしはとても安心した。
少なくとも大姫は、先師の方を逆恨みしたり、怒りで周りが見えなくなったりは、していない。
「大姫様を、よろしくお願いしますね」
わたしはその場にいる全員を見まわした。
隊長を、振り返る。
「最初にお話ししておきますけれど、わたしは投げ文の犯人ではありません。でも、その件に関して、とても重要な情報を持っています。できるだけ早く、話をする場を設けてください。お願いします!」
わたししては、内裏まで走りたいほど気が急いていたけれど、検非違使の隊長は、どっかのパパ殿と違ってそんな非常識な人ではない。
隊長に付き添われて、またもや牛車に乗り込み、内裏に向かった。
――あ。
今晩も、現代に戻れないなあ。




