家庭教師、会談する
*左大臣の二男と三男の名前を間違っていました! 訂正しました。混乱してしまわれた方、申し訳ありません。(2019.6.2)
お方様も、決心したら、あとはいろいろ早かった。
先師の殿の文の内容を内裏に知らせることを了承してくれたし、捜査は手わけした方がいいと言って、醍醐寺を訪ねてくれることになった。もともと身内のいる寺なので、よく行くらしい。縁もゆかりもないわたしが突然訪ねるよりも、千手丸に話を聞けるチャンスは多いだろう。
表情が各段に柔らかくなったお方様が、先師の殿の弟のことを少し教えてくれた。
醍醐寺の座主(寺のトップ)の勝覚殿は、3兄弟の三男なのだそうだ。
呪詛の首謀者が、醍醐寺の千手丸、と書かれている以上、素直に考えれば、勝覚も関わっていると思う。むしろ、千手丸に呪詛を命じた張本人ではないか。
投げ文に千手丸の名前だけがあって、勝覚のことが書いていないのも、先師の殿が、弟を告発するのをためらったせいだと、解釈できる。
が、お方様は、疑問があるようだった。
「三ケ月前、訪ねていらしたのは、二男の弟君だったのです。こちらの方は、三宮院の阿闍梨で、仁覚殿とおっしゃいます。先師の殿は、仁覚殿のことを、特に苦手になさっていて……」
お互いに嫌いあっているので、わざわざ隠居場所まで訪ねてきたのが意外だった、と言う。
「三男の勝覚殿は、早くからご自分から仏道に帰依することを望まれて、とても熱心に修行なさっていたとか。けれど、二男の仁覚殿は、権力欲も我も強く、性が残酷なところがおありで、左府殿が悩まれたあげく、得度(出家)させたのです」
息子の二人くらい、宮廷で出世させる権力はあるが、二男が、長男の下位に就くことを頑として承知しなかった。とはいえ、長男の方が、能力も人格も優れていて、跡継ぎ息子は、先師の殿以外に考えられない。
左府殿は、このままでは先師の殿の邪魔になる、と考えて、二男を宗教界に入れることにした。仏教を学んで、少しは優しい気持ちを育ててほしい、という願いもあったそうだ。
しかし、そんな左府殿の気持ちは二男には通じず、仁覚は父と兄を恨んでいるという。
三宮院 阿闍梨、仁覚。
醍醐寺 座主、勝覚。
この二人のどちらか、もしくは両方が、今上呪詛どころか暗殺を謀った首謀者かもしれない。
この時代、宗教の力は強い。政教分離という考え方はカケラもない。帝は、政治的にも宗教的にも、最高権力者なのである。
いまいちピンとこないけれど、もしも宗教界の権力争いだとしたら、投げ文の件は、大僧正に相談してみたい。
少し、場が重くなってしまった。
ので、本当に余計なお世話かも、と思いつつ、わたしはお方様に、
「あの……、失礼ついでに、もう一つだけ。お方様、先師の殿の元に、お戻りになられたらいかがでしょうか」
思い切って言ってみた。
女房の一人は目を怒らせ、もう一人は何度も頷いている。撫子の君は慌てて、背後からわたしの裳を引っ張り、「斎迩の君、それはいくらなんでも……」と囁いた。
「お話を聞いていると、先師の殿は、鬱状態のように思います。だとしたら、希死念慮は、気の病から起こるもので、本人の真意ではありません。鬱状態の人は、なるべくこれまでの環境を変えない方がいいのです。気の病に理解のある人が側にいて、励ましも説教もしないで、明るく寄り添うだけでいいんです。殿の命令だからと従って、周囲から人がいなくなっていくと、どんどん気鬱の病が進みます」
「先師の殿が、またお元気になる、と……?」
「気鬱の病は難しいので、なんとも言えませんが……。でも、周囲の人を遠ざけて自分一人の世界にこもってしまったら、気鬱が進むことだけは、確実です」
鬱病の研究が進んだのは、ほんの最近だ。
先師の殿が本物の鬱なら、ドーパミンその他のホルモン分泌が不足しているせいなので、人為的に外から足りないホルモンを補充しなければならない。それが抗うつ剤だ。この時代にそんな治療は望めないので、完治は難しいかもしれない。
でも先師の殿は、本当に困ったとき、離縁したお方様を頼った。嫌いになって別れたわけでもなさそうだし、少なくとも、お方様が側に居る方が、症状が進むのを抑えられるのではないだろうか。
お方様も、まだ気持ちがあるようだし。
「あ、先師の殿のお側に戻られるなら、にっこり笑ってらっしゃると、いいですよ! お方様は美人ですから、笑うと、その場の空気まで明るくなりますよね。病人には、なによりの薬です」
そう言うと、お方様は、みるみる真っ赤になった。
扇を当てていても、隠しきれていない。耳まで赤い。
うわ、かわいー。
この人、こんな完璧な貴婦人なのに、誉められ慣れていないのか。
こんな美人でかわいい妻に惚れられていて、自分だって頼りにしているくせに、なぜ先師の殿は、離縁なんて結論を出したんだろう。
「ご自分が儚くなった後、お方様が出家せずに済むように離縁なさった、と聞きましたけど。なぁにをムダな意地張ってるんだか、って感じですよね。要するに、死ななきゃいいんです。それがいちばん簡単な解決法ですよ! お方様だって、実家でやきもきするより、先師の殿と一緒に闘った方が、よくないですか?」
先師の殿は、天下の碩学とかいう秀才らしいが、きっと、勉強のできるおバカさん、なんだな。
そういう人、いるよね。
つい力説してしまったら、お方様はなんだか大変なことになっていた。突っ伏して震えている。やっぱり、耳まで真っ赤のままだ。泣いているのか笑っているのか、判別できないが、大丈夫だろうか。
「あの、斎迩の君、もう、そこまで、でっ……」
お方様から息切れまじりに言われ、言い過ぎたかなと思う。
と思ったら、女房2人も真っ赤になってもじもじしていた。うしろで撫子の君が、「きゃー、斎迩の君ったら、そんな、きゃ~きゃ~」と、くねくねしている。
どうも、みんな、照れているらしい。
え、崇高な夫婦愛について語ったつもりだったんだけど、デレる要素、あったっけ?
わたし一人が釈然としない中、全員が身もだえから立ち直るのに、けっこうな時間がかかった。
連絡方法などの細かい打ち合わせを済ませて、権大納言家を辞去した。
本殿で、大姫を引き渡される。あれだけこっぴどく蹴られたのに、家宰さんは打ちひしがれた大姫を気遣って、おろおろしていた。
門前では、いなご麿、ひき麿、雨彦が並んで待っていた。ずいぶん派手に顔や手足に、泥や殴られた跡が付いているけれど、懸念していたよりは、元気そうだ。むしろ彼らの方が、大姫を心配していた。
ボーイズを見ても口も開かず死んだような目をしている大姫に、走り寄ろうとする3人を、目で留まらせる。
ボーイズの心配も分かるし、大姫のショックも気にはなるけれど、下男と家庭教師と姫君が親しく口を交わすのは、世間一般では非常識とされることだ。これ以上、他家で醜態をさらすわけにはいかない。
牛車に乗った帰り道も、大姫はずっと無言だった。
拗ねて口をきかないとかお方様に怒り爆発とかなら、分かりやすいのだけれど、ただただ呆然としていて人形のようだ。撫子の君もおろおろして、大姫の髪をなでたり声をかけたりしているけれど、されるがままで、なんの反応もない。
帰ったら大姫に、お方様の苦言の真意を説明しようと思っていたのだけれど、こんな状態の大姫に、どんな言葉であれ、届くだろうか。
わたしは、大姫のショックの度合いを測りかねていた。




