家庭教師、覚悟する
反論しようと顔を上げかけた大姫は、その断固とした調子に、びくっとした。
「貴女は貴族の子女として、最低限の姿もマナーもなっていません。そもそも招かれていない家に押しかけること自体が言語道断ですが、3歳児のような扮装をして、マジメに話し合いができると、相手が信じると思っているのですか。当家は、大道芸人には用はありません」
一刀両断である。
「話を聞いてほしければ、対等に話ができる程度の人間だと分かる格好をしていらっしゃい。貴女の見目では、大人の言葉が通じるとは、とても思えません。そもそも、人の言うことを聞いていないから、そのような格好を平気でできるのでしょう」
「わ、わたくしは、いつもこの格好なのです。動きやすい服が好みなのです」
「なお悪いです。貴女は大事な話し合いの席に、家の普段着でも構わないと押しかけてきたのですね」
大姫が、ぐっと詰まった。
パパ殿も、家では着崩した直衣だが、出仕する際は青の袍を着る。わたしもこの邸に来るために、大輔の君の一張羅を借りたのだ。
それが大人、ということだ。社会性ともいえる。
パパ殿はたしかに変人貴族だが、貴族としての社会性は保っている。そのうえでの、「変な趣味がある人」、なのだ。
「そもそも、自分の好みの服ならば、相手への印象はどうでもよい、という考えは、子どものものです。まっとうな大人として、私が貴女と話をする意義を認められません」
それと、と、お方様は続けた。
「下男達を庇って、なにやら美談のようになっていますが、順序が違うでしょう。そこまで下男達のことを理解し、心配しているのなら、主人としての貴女が為すべきことは、彼らが罰せられたりひどい目に遭ったりしないように振る舞うことです。良からぬことと知りながら、やらせたのは貴女ですよ。彼らは悪くない、など、分かっていますとも。ですが、こういう時、従者どもが罰せられるのが、世の習いというものです」
女房と家宰が顔を見合わせている。
家宰が、「お、お方様、もうそのくらいで……」と声をかけたが、お方様はキレイにスルーした。
「対屋の主人としても、貴女に言っておきます。白昼堂々、貴族の邸に侵入した者どもが、何も罰せられなかったと分かったら、その後、その家はどれほど軽んじられるでしょうね? 貴族の間では面目をなくすでしょうし、盗賊の標的になってもおかしくありません。貴女の泣き落としにほだされて侵入者を罰しなければ、権大納言家は、あっという間に都じゅうの物笑いのタネになるでしょう。私は出戻りの身。私の客人のせいで、実家の評判を落とすのは、本意ではありません」
一刀どころか、メッタ切りである。
さすがのわたしも、少し大姫がかわいそうになったが、でも、お方様、よく言ってくださった!
今、お方様が並べたことは、大姫よりも格上の貴族から言われてこそ、身に沁みて応える内容だ。
でも普通、赤の他人がここまで言ってはくれない。
当たり障りのないように、できるだけ無視して、最低限接して、陰で嗤うだけだ。
お邸に帰ったら、そこのところを大姫に言い聞かせよう。それがわたしの役目である。
わたしは、感謝の視線を、お方様に向けた。
お方様は、わたしの視線に気づいた。初めてこちらを向き、扇の隙から微笑む。
ああ、やっぱり、分かったうえで、言ってくださったんだ。
大姫の足りないところ、使用人ではカバーできないところを、お方様は引き受けてくれたのだ。
普段会わないからこそ、あえて厳しく、憎まれ役を買ってくれたのだろう。
「大姫様。私のお話、お分かりいただけましたか。私はこれから、斎迩の君と大切な相談がございます。その後、全員をお邸までお送りしましょう。別室でお待ちくださいませ」
静かに告げられた大姫は、じっと項垂れていた。家宰が立ち上がらせると、今度はおとなしく、連れて行かれた。
期せずして、2人の女房と撫子の君が、息を吐いた。
お方様は、居住まいを正すと、
「少し、風が吹きましたこと」
この一言で、場は、完全に元に戻った。少なくとも、先師の方サイドは。女房は冷めた白湯を入れ直し、乱れた御座を整え直す。
すごい復旧力である。この何分間かの珍事は、なかったことにされたようだ。
唯一の違いは、お方様の前に、御簾も几帳もないということだ。扇で顔を隠してはいるが、だんだん表情も見えてきている。
さてこうなると、わたしが謝るべきか、悩ましいところである。ちら、と、撫子の君を窺うと、小さく首を振っていた。やはり、なかったことにして、謝らない方がいいらしい。
それでも、お礼は言っておきたい。
「これからは風も、下界を見て、花を避けて吹くようになるでしょう。――お方様には、今の姫様にいちばん必要なものをいただき、まことにありがとうございました」
丁寧に平伏する。
ふいに、お方様の表情が崩れた。
「本当は私、なんて素直な姫君かと、感心しておりましたの。やはり、速足の蔵人殿のお子ですわ、裏表がなくて真っ直ぐで、仲間を大切にする……、でも、もう、私は、嫌われてしまいましたわね」
完璧な貴婦人の仮面が外れて、眉が歪んだ。
「私と先師の殿の間は、お子に恵まれなくて……、でも、私のような堅苦しい女の元に生まれたら、お子は窮屈な思いばかりしたでしょうから……、仕方ないのですけれど」
「そんなこと! 親の愛情ってのは、べたべた甘けりゃいいわけじゃありません! そのときは分からなくても、成長してから感謝する親の苦言も、たくさんあります!」
自分も、お方様のことを融通が利かない、と思ったことを棚に上げて、わたしは叫んだ。
お方様は、自分が嫌われると覚悟のうえで、あえて大姫に厳しく接してくれたのだ。
大姫に必要だと、思ったから。
やり方は、やっぱり融通が利かないというか、不器用だと思うけれど、愛情豊かな人なのである。
「大姫様も、必ずお方様のお心が分かります。いえ、わたしが分からせます、家庭教師として」
お方様は、少し目を瞠って、それからにっこり笑った。
笑うと、一気に雰囲気が変わった。端正だけれど少し不幸そうな美人だった印象が、ぱっと明るく華やぐ。もともとの美貌が正統派で整っているので、表情の影響を受けやすいのだろう。
「大姫様の、お父様の役に立ちたいというお気持ち、私も、よく分かりますわ。私も先師の殿のお役に立ちたいと思って過ごしておりましたが、結局なんの救けにもなれず、離縁されてしまいました」
やはり、お方様のいちばんの関心事は、先師の殿なのだ。
彼の身の潔白が保証されれば、お方様は、呪詛の投げ文を近衛府に届け出ることを了承してくれるだろう。
「いろいろ失礼でしたが、大姫様は、ひとつ、いいことを仰いました。左府殿が黒幕ではない、という証を立てるためにも、醍醐寺の千手丸とかいう寺男の話を、できるだけ早く聞いた方がいいと思うのです。一介の寺男が、今上を呪詛する気になるはずがありません。彼に命じた人間がいるはず。早くしなければ、千手丸の口をふさがれれば、命じた人間は分からなくなります。それこそ、無実の人々に、連座が及びかねません」
わたしはここを先途と、言葉を継いだ。
「だから、先師の殿が、どこで呪詛の件を知ったのか、教えていただきたいのです。いろいろな角度からの証言が多いほど、無実の証は立てやすくなります」
「でも……、本当に今上に呪詛が行われているのならば、悠長に醍醐寺に行ったり、先師の殿にお便りを出したりしていて、いいものでしょうか。先ほど斎迩の君が仰ったように、一刻を争う事態では? やはり、今から投げ文を……」
「投げ文は、しません。投げ文をするだけで、こちらに疚しいことがあるように思われます」
お方様も言ったように、都は噂が早い。当家だろうと権大納言家だろうと、家人を使って投げ文をさせれば、必ずバレる。
かといって、市などで誰かに小金をやって文を投げ入れさせても、後に噂になったとき、雇われた人間が名乗りを上げるだろう。だいたい今、市は検非違使でうようよしている。そんな胡乱な行動はしたくない。
「でも、時間が惜しいのも本当です。だからできるだけ並行して調査しましょう。お方様は、先師の殿から、なにかヒントになるようなことを聞いていらっしゃいませんか。お方様がお許しくだされば、この後まっすぐ、近衛府に参ります。そこでお方様の証言と、先師の殿の文を、お届けします」
お方様は、ほんの一瞬迷ったが、
「私の想像ですが、先師の殿は、おそらく、弟君から何か聞かれたのではないかと、思うのです。三ケ月ほど前に訪ねていらして、その後、殿のお気が塞ぐようになられましたから……。その直後、私を離縁なされたのです」
左府殿には3人の息子がいるそうだ。
長男が先師の殿。跡継ぎなので、一応まだ、宮廷人である。
二男と三男は出家して、僧侶になっている。今をときめく左大臣の息子だから、当然、高位の寺の高僧である。
兄弟で密談していたと取られたら、結局、左府殿への疑いは晴れない。だからこそ、お方様も言いにくかったのだろう。
次の言葉を口に出すのは、勇気がいった。
でもお方様は、嫌われるのを覚悟で、大姫に大切な忠告をしてくれた。先師の殿のために、何か役立ちたいと願っている。
そしてわたしだって、身に覚えのない連座で有罪になるパパ殿や大姫を見るのは、ごめんだ。
「分かりました。それなら、わたしが責任を持って、内裏の大僧正に、直接お話をしてきます。先師の殿は事件に無関係だと、主張してきます。醍醐寺の千手丸とやらにも、話を聞きに行きます。その証言も、併せて近衛府に上げます」
こんな事件に巻き込まれて、ずっと不本意だった。
わたしはただの家庭教師で、別に捜査のプロでも、変死体を見慣れているわけでもない。
最悪、パパ殿や大姫が連座で有罪になれば、わたしは失職するだけだ。たぶん、時空の扉は閉じて、この世界とわたしは縁が切れるだろう。
でも、ここまで巻き込まれたら、腹を括るしかない。
パパ殿や大姫が、変わらず生活していけるように。
先師の殿とお方様が、元気にまた一緒に暮らせるように。
そしてなにより、殺されかかった今上の、今後の安全のために。
わたしは、自分から事件に突っ込む覚悟を決めた。




