家庭教師、手助けする
五日が過ぎた。
パパ殿は、慌ただしく内裏と屋敷を往復しているようで、その後の情報がまったく入ってこない。
大姫は、どんどん元気がなくなっている。
昆虫採集もしないし、ヤゴ、玉虫、蛾、毛虫もほったらかしだ。四虫ボーイズが世話しているが、彼らもおろおろしている。
初めは喜んでいた女房達も、心配し始めた。
当たり前だ。
わたしとしても、話の流れだったとはいえ、11歳の少女にキツイ話を聞かせてしまったと、反省している。
が、大姫は賢い。
行動力もある。
こういう子どもに、中途半端に情報を与えて、大人の都合で、途中からシャットアウトするのは、逆効果だ。
大姫の安全は図りつつ、だけど、ある程度関わらせて、最終的に大姫本人が咀嚼できるようにするしかない。
わたしは大姫の目の前で、扇をぱちんと閉じた。
「大丈夫ですよ、大姫様。殿様が蔵人頭にお話しされれば、むやみに疑われるようなことはありません。わたし達はその間に、少しでも殿様のお手伝いをいたしませんか」
「斎迩の君は、なにか、わたくしにできる事があると言うの? それならわたくし、何でもするわ!」
「何でも、は、だめです。約束してください、大姫様。まず大姫様ご本人の安全をお考えになる、と。いくらお父上のためであっても」
パパ殿はなんだかんだ言って、ベテランの蔵人、武芸の専門家だ。
そして、八助ともども、蜂に刺されてもまったく影響のない、珍しい体質をしている。
荒事と、蜂の毒。
どちらにも対応できない大姫やわたしが、予定外に手を出すと、かえって足手まといになりかねない。
「そのとおりね。では、わたくし達は何をするの?」
「八助に詳しく話を聞いてみましょう。盗人のひとりを捕まえたのなら、逃げた者の顔も、見ているかもしれません。大姫様、八助の話を聞きながら、その盗人の顔の姿絵を描けると思われますか」
「ああ、そうね! わたくし、人の絵を描くのも得意なのよ。話だけで想像して描くのは難しそうだけれど、やってみるわ」
明るい顔になった大姫は、女房達に命じて、用意をさせた。
大輔の君は、わたしに物問いたげだ。大姫が元気になって喜んでいいやら、わたしに怒りたいやら、複雑な気分なのだろう。大輔の君には、話せる範囲を考えて、できるだけ早く打ち明け、協力してもらいたい。
大姫は、階ぎりぎりに身を乗り出して、扇すら手にせず、待ち構えていた。
庭先に呼び出された八助は、へどもどしていたが、盗人の話になってからは、俄然、張り切りだした。
身振り手振りも派手に、顔立ちや体つき、服装などを説明する。大姫は、細い線を何本も描き、細かく八助の印象を聞いては、修正していく。
小筆の毛筆で、よくあんなに細かい人物画が描けるものだ。予想よりもずっと本格的なモンタージュ作成に、ほけほけ、感心して見ていた。
が、呑気なのはわたしだけで、女房達は動揺しまくっていた。
お互いの顔が近づかんばかりに、大姫と八助が、一枚の紙を挟んで、話しているのである。八助も興奮していて、「ああ、姫様、なんか、どっかが違うんじゃな」などと、言葉遣いもかなりテキトーだ。
女房達が怒りのあまり八助を叩き出す前に、わたしは、大輔の君を味方に引き入れることにした。
目配せして、ふたりで近くの露台に行く。
三方が池に張り出している月見の露台は、密談にぴったりだ。この時代、障子・板戸・几帳と、部屋には、人が隠れる場所が盛りだくさんなので、ナイショ話は、吹き抜けの屋外がオススメなのである。
もちろん、帝暗殺計画のことは言わず、「内裏で事件があった」とぼかしておいた。
山科の料地に泥棒が入った事件とに関係があるかもしれないので、パパ殿が活躍するチャンスなのだ、と。
意外にも、大輔の君は、積極的に大賛成だった。
「それは、ようございます! お殿様が内裏の何やらを解決なされば、ご出世の道も開けるかもしれません。そうすれば、大姫様も、より良いお家の公達とお知り合いになれますわ!」
大輔の君、ブレない人である。
でも、いつでも大姫をいちばんに考える姿勢は、素直に尊敬する。
わたしは、しょせん家庭教師だ。いつだか分からないが、大姫が婚約でもすれば、ここを去る人間である。
今は大姫が心配なので、夕方近くまで局にいるが、一緒にいられるのは、一日せいぜい5時間程度だ。大輔の君が事情を知って、大姫を見守ってくれるのは、心強い。
――元気になったら、またいろいろやらかしそうだしね、あの姫君は。
「私、斎迩の君には、本当に感謝しているのです」
え。
いや、今のところ、大姫の花嫁修業的家庭教師は、まったく進んでいないのだけれど。大輔の君は、いろいろ不満だろうなあ、と申し訳なく思っているのだ。
「大姫様には、少しずつ、女主人としてのご自覚ができてきているようです。斎迩の君が、公平な態度の方だからですわ」
大姫が周囲の大人の小言を聞かないのは、彼らも大姫の言葉を聞かないからだ。
自分の好きな物を、「世間の常識と違う、変だ」という一言で切って捨てる。誰も、理解しようとしない。
大輔の君自身は、大姫が、少し変わった趣味があるだけのいい子だと、理解している。が、いざ世間に出た時に爪はじきにされるかも、という心配のほうが先に立ってしまって、つい口うるさくなってしまう。大姫の趣味に付き合う余裕がなかった。
「それは、母親の心境ですよ。世の中の母親は、いつもそうやって子どもの将来の心配をしていますものね」
「ええ、ですが、私は執事です。使用人は、姫様を、本当の意味で叱ることはできません」
さらに悪いことに、大姫を本心から心配して叱るような女房が、ほとんどいないと言う。
「お恥ずかしいことですが、やはり、女房の質も下がる一方なのです」
女房達にも、ランクがある。最高は、もちろん、宮中で帝や皇后に仕えることだが、それには身分が必要だ。個人の家に仕えている女房は、主家のランクが、そのまま自分達のランクになるのである。
この邸も、藤原氏の家系ということで、それなりに女房の応募はあるらしい。が、殿様が17年間も五位のまま、出世コースから外れていることが分かると、あからさまにやる気がなくなる者も多い、と言う。
「そういう女房は、大姫様を見て、まずバカにします。そして、姫様の集めてきた虫などを見て、半分揶揄を込めて、騒ぎ立てます。あれは、気晴らしをしているのですね。そして、辞めていくのです」
いくら賢いとはいえ、大姫はまだ子どもだ。他の大人と、本当に自分を心配してくれている大輔の君との違いが分からず、ただ反抗するという悪循環になった。
女房達は、基本的には住み込みだが、挨拶もなくいなくなったり、通いの者も来なくなったり、とにかくメンバーの入れ替わりが激しいのだそうだ。
「私から見て、見込みのある女房というと、若狭でしょうか。長く勤めてくれていますし、名前のとおり、若狭(福井)の受領(県知事のような役職)の娘で、虫には慣れているようで」
たぶん、何度もめげずに、大姫に扇を渡していた女房だろう。わたしの記憶の中でも、あの女房は、虫を見て大騒ぎしたことがない。
「あとは、撫子の君ですね。大姫様に直々に謝られたことに感激したようです。
撫子の君は、当家よりもずっと栄えている貴族の北の方(正妻)に仕えていたので、当初は、怒るやら呆れるやら嘆くやらで、とても続かないと思っていたのですが、最近、態度が変わってきました。斎迩の君のおかげですわ」
「いえ、大輔の君がいらっしゃればこそ、ですよ」
これは本心だ。
同じ雇われ人とはいえ、わたしは、女房達とは立場が違う。教師として、大姫を、導き諭すのが仕事だ。大姫の方にも、「師」に対する遠慮の気持ちもある。
大輔の君は、大姫を心配した故であっても、厳しく叱りはできない。大姫が駄々をこねたら、強制はできず、結局は、大姫の希望を叶えるしかない。執事なのだから。
大姫にとっては、ガンとして大姫の駄々を聞かないわたしの存在は、カルチャーショックだったことだろう。
「叱るのは、わたしの領分。心配して見守ってお世話してさしあげるのが、大輔の君のお仕事です」
これからは、タッグを組みましょう!
そう言うと、「斎迩の君……っ」、大輔の君はうるうるし出した。
うう、分かりあえたのはよかったけれど、女子の涙は苦手だぁ。
大輔の君のこれまでの苦労が報われるように、レベルの高い女房達が居着いてくれるように、パパ殿には、ぜひ手柄を立ててほしいものである。
「お殿様がご出世なされて、私と斎迩の君とで大姫様のご信用を得て、花嫁教育が進めば、来年には御裳着の儀式、再来年にはご結婚の運びも、夢ではありませんわね」
すっかり気を取り直した大輔の君は、
「まだひと月経っていないのですもの。これからの斎迩の君のお手並みに、期待しておりますわ」
にっこり、釘を刺されてしまった。
おぉうふ……。
やっぱり、大輔の君はブレない人です。




