家庭教師、指南する
今日の授業は、わたしにとっては、ちょっとした賭けだ。
「古今がなぜこれほど女性の教養に不可欠とされたか、ご存じですか」
どきどき。
さあ、大姫はなんと答えるか。
「あら……、どなたか先生がお説教していたような気がするけれど。村上帝がお褒めになったから、だったかしら」
よっしゃぁ! I got it !!
村上天皇は10世紀前半の帝だ。その治世は、天暦の治と称えられ、後世の理想とされた。平安どころか、室町時代にさえ、村上帝の治世が懐かしい、と歌に詠まれたほどである。
『源氏物語』は西暦1000年頃に書かれたが、紫式部も、当初は、村上帝の御世を参考にしたと言われている。
だが、わたしにとってのポイントは、そこではない。
大姫は、「村上帝」と言った。
天皇を名前で呼べるのは、その人がかなり昔の、すでに歴史上の人物になっているからだ。
源氏物語も存在しているのだから、少なくとも、「今」は、11世紀中旬以降、だと分かった。
これで、だいたい100年間に絞れたなあ。
ともかく、これで安心して、「村上帝」って口に出せるよ。
「やはり大姫様は、よくご存知ですね。それでは村上帝は、本当は何を褒められたのでしょうね?」
「あら? 古今のお歌がすばらしい、ということではないの?」
「では、本日は、そのお話をいたしますね」
村上帝には、ご寵愛ときめく女御(帝の妻)がいた。
藤原芳子、宣輝殿女御として有名である。
この女性は、まあ、当然のように才色兼備、しかもデキる女にありがちな、つんけんしたところがなく、可愛らしい性格の、文句の付けどころのない人だった。
この女御が、古今和歌集をすべて覚えているという噂が立った。
当時の古今和歌集は、女性の必須教養科目ではない。和歌は素養のひとつだが、各自が好きな和歌集を選んで、覚えていたのだ。
古今和歌集は、とびぬけて和歌の数が多い。
村上帝は、噂を確かめようと、ふらっと宣輝殿を訪れ、女御をテストした。
帝の出すお題を、すべて完璧に暗唱してみせる女御。
次第に周囲が騒然としてくる中で、帝は意地悪をする。
古今和歌集の中の、「よみ人知らず」の歌をテストしたのだ。
「よみ人知らず」とは、歌を詠んだ人の名前が載っていないもの。いろいろな事情があるものの、題名と読み手の名前が付いた歌より、一段低く扱われる。
けれど、宣輝殿女御は、「よみ人知らず」の暗唱も、すべてパスしたのだ。
帝もこれには驚かれ、試して悪かったと謝られて、
「当代一の女性である」
と、女御を褒め称えられた。
「――と、まぁ、そういうわけで、すばらしい公達に愛されるためには、古今を暗唱しなければ! という風潮になったのです」
それが、現在大姫が苦労している、花嫁修業のおおもとである。
「ちょっと待って。それでは、村上帝が褒められたのは、古今でなくて、宣輝殿女御ではないの」
「大正~解~」
「ええええ~、そんなことって、ないわーーー」
床に突っ伏す大姫。
「村上帝の御世は、伝説になっていますからね。村上帝と宣輝殿女御という、世に並びのない美男美女は、愛のお言葉までも、古今和歌集を挟んで、雅びできらびやかで才溢れていらっしゃる、と、世の中の女性の憧れになったんですよ」
要するに、古今和歌集は、セレブカップルの、いちゃいちゃアイテムだったのだ。セレブが持っていると、それだけでみんな、真似したがるもんね。
「わたくしは、全然、憧れないわ! とっても迷惑!」
大姫には気の毒だが、それからすでに1~2世紀経った。もはや古今和歌集の暗記は、「女性の常識」なのだ。
「大姫様、問題はそこではありません。――どうして、そんな噂が立ったのでしょうね?」
「え?」
きょとんとする大姫。
まあ、確かに、ここまで裏情報を教えることもないのかも?
でも大姫は、11歳の少女ではあるが、成人式1年前と考えれば、現代の19歳である。
さらに言えば、あと1、2年で結婚しろ、とプレッシャーをかけられている年齢でもある。それって、現代人だといくつだろ? わたしは28歳だけど、親からそこまでの圧力は、まだ、ない。いや、諦められているだけかもしれないけれど。
大姫には、恋愛の駆け引き事情も講義しないといけないのだ。
「後宮において噂は、情報であり武器です。ほかの殿舎の女御の情報を探り、自分達の情報は漏れないよう、管理します。古今和歌集を全首暗記した、なんていう具体的な噂が広まること自体、不自然なんですよ」
女御方もそのお付きの女房達も、噂の扱いには細心の注意を払って、強力なタッグを組む。
「村上帝には、別に中宮(正妻)がおられました。女御も他にも大勢いる。今はご寵愛が深いけれども、内裏のご寵愛争いはシビアです。全員が選りすぐりの美人で、字も和歌も漢学も楽器も、上手くて当たり前。それなら、もうひとつ、セールスポイントが必要です。帝が、この女御は他の人とは違う、と思われるような何かが」
ライバル女御が、宣輝殿をコケにするために流したとは、考えにくい。まず、「古今和歌集」というチョイスが出てこない。難しそうな物ならなんでもよかったかもしれないが、才色兼備と噂の宣輝殿が、本当にそこそこ暗記していて、帝が満足してしまったら、逆効果である。
海千山千の女御達は、結果を運に任せるような、危ない駆け引きはしない。
そもそも、「古今を全首暗記した」と聞いたら、たいていの人は、すごい! と感心するよりも、それホントか? と疑う反応の方が自然だ。
一見、この噂は、宣輝殿女御には不利だ。
だからこそ、おそらく、宣輝殿本人が、仕掛け人だと思う。
絶対の自信があったからこそ。
「あ。ああ、そういうこと!」
やっと理解した大姫は、やっぱり妙な顔をしている。そこまでする意味が分からないのだろう。
だよね。
ショージキ、わたしにもよく分からない。
「恋愛の勝者になるために、それだけの努力をしたということですね」
「だから、わたくしも努力しろってこと? 斎迩の君にしたら、普通のお説教ね」
つん、と扇で顔を隠す大姫に、笑ってしまう。
「まあ、そう言ってしまえば、そうなんですけど……。この暗記テストのとき、宣輝殿女御にしてみたら、ついに来た! という気持ちだったと思うのですよ。一世一代の大勝負の日ですよね」
彼女にとって、人生の最大の目標が、帝の寵愛である。それを確かにするために、努力し、一発勝負の時が来た。
ものすごいプレッシャーと緊張だったろう。
そして、彼女は、勝ったのだ。
「大姫様も、人生を賭けた勝負をする日が来るかもしれません。その時に悔いのないように、やれることはやっておいた方がいい、と思うだけです」
別に、恋愛に限りません、と付け加える。
人生の要所で、武器となる何かを、少しでも付け足してあげたい。
家庭教師なんて、そのためだけに存在しているのだから。




