家庭教師、授業する 1
「す……ごい、わ、この蜻蛉、……」
大姫が、絶句している。
そうだろう、そうだろう。
ふふふ、子ども用昆虫図鑑の「秋の虫」をカラーコピーしてきたのだ。虫一匹につき、拡大一枚。
予想どおり、牛車に乗っている間に、コピー用紙は和紙に、写真は彩色された毛筆画に変わった。
あまりに精巧すぎる絵は持ち込みたくなかったので、わざと荒い印刷にしてある。
なんの拍子に、怪しまれるか分からないし。
先の時代にうっかり発掘されて、「オーパーツだ!」とか騒ぎになっても困るので、基本的にタイムリープ先には、消耗品しか持ち込まないようにしている。
それでも、この時代には珍しい、精緻な絵のはずだ。まあ、もともと、まだ写実画という概念がないし。様式に則って描かれる形式美が、「素晴らしい絵」なのだ。現代とは、評価が違う。
「これは先日の、螻蛄が羽化した蜻蛉ね。斎迩の君は、見なくても、こんなに細かく描けるのね」
「あ、わたしが描いたわけではありませんよ。絵は苦手です。これは絵の上手な人から、いただいてきたのです」
「上手……? でもこの方、絵師としては働けないでしょう。こんな絵、誰も欲しがらないわ」
「美術品としては、売れないでしょうね。でも、こういう絵がいい人も、必要な人もいるんですよ」
例えば、薬師の教科書だ。薬草の細密画は、寺の庫裏などから、たくさん見つかっている。
深く納得している大姫に、わたしは交換条件を持ち出した。
「この蜻蛉の絵一枚と、古今のお歌二首を暗記、でいかがですか」
大姫とはスムーズに会話できるようになった。それなりに、信頼感も育っているように思う。
そろそろ、授業を始めてもいいだろう。そういうわけで、今日は、交換勉強の初日だった。
「斎迩の君でも、そういうこと、言うのね」
「当たり前です。もともと、大姫様に古今をお教えするために雇われているんですから。わたしはお勉強する気がない生徒さんには、慣れているんです。やる気になってもらえるなら、どんな手も使いますよ」
大姫は少し怯えた顔をしたが、蜻蛉の絵はしっかり握ったままだった。交換は成立したらしい。
「月並みですけれど、長月ですし、秋の巻から始めましょうか。大姫様は、やはり虫の出てくる歌がお好きですか? マツムシの歌は、たくさんありますよ」
「秋のお歌の虫は、みんなマツムシじゃない。あんなの、変よ」
おっと、そのとおり。この時代、秋の鳴く虫は、全てひっくるめて「マツムシ」扱いだったのだ。虫の音や花鳥風月に敏感な平安貴族のわりに、乱暴である。
「みんな、ではないわ。『源氏』では、松虫と鈴虫は分けて書いてあるのよ。どちらが哀れか、論じてるの」
えっ、そうなのか。知らなかった。帰ったら調べなければ。
「まあ、不勉強で、存じませんでした。でもそれなら、なぜ他の物語でもお歌でも、マツムシしか登場しないんでしょう」
「知らないわ。というか、以前の先生にお聞きしたら、そういうものだから、気にせず覚えなさいって」
うーむ。大姫は、気になったこと、引っかかったことを置いといて、先に進むのができないタイプのお子らしい。まあ、細かい観察を好む人は、そういう性格が多いよね。
とはいえ、実は、その先生の言ったことは正解なのである。
古今和歌集は、その「形式美」を完成させたことで、至高の和歌集となったのだから。
「鈴虫だって、かわいいと思わない? 鳴き声はむしろ、マツムシより趣があると思うの。どうして鈴虫はだめなのかしら」
大姫は熱くなっている。わたしは用意してきた「秋の巻」の虫の歌を、そっと却下した。
「そうすると、雑歌の物名でしょうか。軽いですし」
「あんなの、下手くそなダジャレじゃない。待つと松とか、住吉と住み良しとか、難波と名にはとか、誰でもできると思うの」
仰るとおり。
まあそれを古文用語では、掛詞とか縁語とか言うんだけど。そういうテクが、「巧い歌」と褒められるのだけどね。
「古今の中で最も多いというと、やはり恋の歌ですけれど……、いくつか読んでみますか。興味が持てるお歌があるかもしれません」
「だいたいは、読んだわ。なにが嫌って、幸せな恋のお歌が、ひとつもないことなの。苦しい、寂しい、辛い、涙に濡れて待っている、ばっかり! こんなの読んで、恋に憧れる気持ちが分からないわ」
おおう。大姫、古今和歌集の研究者になれちゃうよ。
わたしは、今さらながら、平安貴族女性の教養の叩き込まれ方に驚嘆した。文字が読めるようになったら古今、という英才教育は、伊達じゃない。
そうなのだ。古今和歌集には、「恋愛中で、ハッピー」という歌は、ただの一首もないのである。
恋の絶頂期ですら、仄かな不安、待つ苦しさ、会っていてももうすぐ別れの時間が来る悲しさ、を詠むのである。
確かに、幼少期からこれらの「恋の巻」を、理想の恋だと教え込まれて、少女達は、よく恋愛が嫌にならないものだ。
ああ、だから、物語が大ブームになったのかも。
古今とは違う、恋愛の姿を見せてくれるもの。素敵な公達、幸せな時間、トキメキや憧れを教えてくれるもの。
娯楽が少ない時代だから、少女達にとっての恋愛観は、和歌と物語と周囲の大人の女性の話で、決定してしまう。
「万葉集には、恋の喜びの歌がたくさんあるじゃない。どうして、そういうお歌がないのかしら」
「大姫様、万葉集も読まれたのですね」
「少しだけ。でも先生に、万葉集は時代遅れだから、読む必要がないと言われたの。わたくし、万葉集の方が、まだ好みなのだけれど」
生命と恋愛の賛歌に溢れている万葉集の方が、元気少女の大姫には向いているかもしれない。
それにしても、
「大姫様、ずいぶん、古今を読み込んでいらっしゃるのですね」
「わたくし、お勉強は嫌いじゃないわ。古今が、だいっ嫌いなの。そんなのを覚えるなんて、頭の無駄遣いよ。ほかに覚えたいことがたくさんあるのに」
な、なるほど~。
不覚にも、納得してしまった。
ほとんど言い負かされたも同然だが、わたしは生徒さんとの、こういう会話が好きだ。
真剣勝負みたいで、やる気が出る。




