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家庭教師、授業する 2


「分かりました、大姫様。それでは今日は、お歌の暗記はなさらなくて結構です。代わりに、先ほどの、どうして秋の虫はマツムシばかりなのか、というお話をいたしましょう」


「あら、覚えなくてもよいの? いいわ、マツムシも気になるし」


「秋の虫がマツムシばかりなのも、恋が辛い歌ばかりなのも、わざとです。古今を作った方々は、ただ和歌集を編むのではなく、和歌に約束事を作ろうとしたのです」


「約束事?」


「そうです。春といえば桜、梅には鶯、夏は時鳥、秋は哀しいもの、と決めたのです。そして、そういうお歌ばかりを厳選したのです」


「そんな、勝手な」


 勝手といえば勝手かもしれない。

 でも、編者の紀貫之きのつらゆきたちは、そうやって、日本の美意識の「型」を作ろうとしたのだ。


「大姫様は、朝起きられて、まず何をされますか」


「え、なぁに、急に。お手水ちょうずで顔を洗って、一日の占いを聞くけれど」


 この時代は、行動のすべてが占いで決まる。行ってはいけない方角、場所、食べてはならない物、話してはならない相手、演奏してはいけない楽器、とにかく細かく縛られる。

 朝の占いで、自宅から内裏が凶兆の方角だと出たら、出仕しなくてよかったのである。今でいう、有給休暇だ。

 通い婚も同様で、訪れる約束をしていても、恋人の家が凶兆の方角なら、ドタキャンОK。それを利用して、飽きた女性の家に行かなくなる男性の話は、物語にいっぱい出てくる。


「そういう決まりは、ラクだと思いませんか。朝起きたら、お手水、占い、そして朝食。たまに順番がズレると、落ち着かない気持ちになりますよね」


「順番がズレるなんて、あり得ないわ。でも、時々お手水が遅いと、そわそわするけれど」


「そういうことです。紀貫之殿は、和歌の決まりごとをたくさん作って、みんながラクに和歌を理解できるように、そして共通の言葉で話せるようにしたのです」


 ある意味、バイト先の隠語のようなものだ。

 知っている者通しだけで通じる、ラクな会話。その単語を知らない人に、一から説明するのは、面倒である。


「秋は哀しいもの、秋といえば鹿、と、古今が決めました。そうしたら、和歌に鹿が出てくれば、もうそれは、牡鹿が女鹿を呼んで鳴いている物悲しい情景、そういう心を詠んだもの、と、誰にでも分かるようにしたのです」

 

 このお約束を知らない人には、鹿が出てくるだけでは、その歌の気分までは、読み取れない。それでは、話が膨らまない。

 だから彼らは、まず「世界観」から決めてしまったのだ。


「そうなの。じゃあ、マツムシも……」


「ええ。わざとだと思いますよ。源氏で論じられているくらいなら、松虫も鈴虫も、鳴き声の趣深さは変わらないでしょう。でもとにかく、「秋の虫はマツムシ」、と決めたのです」


「それくらい、いいじゃないの……」


 大姫は、呆れたように呟いた。

 ここから先は、いわゆる大人の事情的裏ネタなのだが、生徒さんは、けっこう、そういう話が好きなのである。


「古今の編者を、ご存知ですか」


醍醐だいご帝の勅命によって、大内規だいないき紀友則きのとものり御書所おかきどころ紀貫之、前甲斐さきのかいの小目こもく凡河内躬恒おおこうしのみつね右衛門府うえもんふ壬生忠岑みぶのただみねよね」


 おお、職業まで覚えているのか。


「そう、この方達は、和歌の名人と名高かったけれど、決してご出世なされていたわけではありません」


 もちろん和歌の上手というのは、それだけで尊敬を集める時代だが、尊敬と、身分や豊かさは違う。

 朝廷の政治世界で出世が期待できない面々が、和歌という自分達のフィールドで、プライドをかけて、大きな世界を作ったのだ。

 和歌だけが上手くても出世できない。けれども、和歌は貴族にとって重要な出世スキルだ。どれほど高位の公卿であっても、自分達が作った和歌の世界の約束事を守らなければ、この後、和歌の上手にはなれない。

 それはたぶん、中下流貴族の意地だ。


「だから徹底的に、約束事を絞ったのですよ。恋の巻は上下二巻ありますが、恋の始まりから、文のやり取り、成就、飽き始め、恋の終わりまで、ちゃんと恋愛の順番どおりに並べてあります」


「すごいのね」


「男達の意地とプライドと世界を賭けた、作品ですからね」


 『古今和歌集』のいちばんの凄さは、その「日本的美意識」が、現代でも続いていることだ。「春は桜」なんて、日本の常識である。もはや、観光アイテムになっている。

 これほど巨大かつ強力な世界観を、無意識レベルにまで定着させた。

 紀貫之達の執念ももちろんだけれど、季節、自然、言葉に対するセンスが本物だった、ということだろう。すげぇよ、古今。


「わたくし、古今が選んだ歌は好きになれないけれど、そこまでして選んだ気持ちは、少し分かるわ。――自分の大切なものには、こだわってしまうわよね」


 自分もこだわりのある大姫は、にっこり笑った。


「では、最後にひとつ、わたしが気に入った歌をご紹介して、本日は終わりにしましょうか」


「なぁに。恋とか秋のお歌は、いやよ」


「いえ、大姫様にお教えすることになって、読み返して見つけたのですが、面白かったので」


「雑歌下巻」

990 飛鳥川ふちにもあらぬ我が宿も せに変わりゆくものにぞありける


 「ふち」は、「淵」と「扶持」、「せに」は「瀬に」と「銭」を掛けている。

 伊勢の君が、家を売った時に詠んだ歌である。

 意味としては、川の淵にはない、お金のない私の家も、売ったら銭に変わるものなのね、世の中って無常ね~、という感じだ。


「これは、伊勢の君が宮中の出仕を引退されて、お金がなくて、家を売った時の歌なのです。伊勢の君といえば、恋多き美女として有名な歌人ですのに、参内しなくなるとそんなにお金に困っていたんだなあ、と。こうやって歌に詠んでしまうなんて、きっと明るい方だったんでしょうね」


「まあ、物名もののなでも、こんなおもしろい歌もあったのね」


「わたしも家を持っていますから、身につまされます」


 なんせ、35年ローンを組んでいるのだ。


「あら、斎迩の君は、お邸をお持ちなのね。お家は大事よ。わたくしだって、お父様にこの東の対屋をいただいたこと、とっても感謝しているわ」


 大姫は、幼くとも、この東の対屋の主なのだ。


「今日の斎迩の君のご指導で、わたくし、少しだけ古今に対する気持ちが変わったわ」


 そう言ってもらえたら、教師冥利に尽きるのだった。


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