学年一可愛い令嬢三姉妹は、俺の一冊を屋敷に迎えるだけで読書会まで開こうとする
俺が西園寺家へ持っていく本を選ぶのに、丸一日かかった。
別に大げさな儀式じゃない。
ただ本棚から一冊取り出して、持っていけばいいだけだ。
そう思っていたのに、いざ選ぼうとすると妙に悩んだ。
涼花が読めないくらい難しいものは違う。
優里が上品に分析しすぎてしまうような堅いものも少し違う。
龍華が「悪くない」と言いながら一気に読み切ってしまいそうな、癖の強すぎるものも違う。
三人がそれぞれ読めて、それでいて俺がちゃんと好きだと思える本。
結局、俺が選んだのは、高校に入ってから何度も読み返しているライトノベルだった。
主人公が何か特別な才能を持っているわけではない。
ただ、出会った人たちに少しずつ引っ張られて、狭かった世界が広がっていく話だ。
派手なバトルより、会話と日常の変化が中心で、何度読んでも妙に落ち着く。
今の俺が持っていくには、たぶんこれが一番近い。
翌日、昼過ぎ。
俺はその本を鞄に入れて、西園寺家の門の前に立っていた。
相変わらず、屋敷はでかい。
門から玄関までの距離が、普通の家の感覚ではない。庭は綺麗に手入れされていて、夏の光を受けた木々の緑が妙に眩しかった。
以前よりは慣れた。
でも、気後れがなくなったわけではない。
「神谷くーん!」
門の向こうから涼花が手を振って走ってきた。
今日は白いTシャツに涼しげなスカートという、いつもより少し落ち着いた私服だった。だが、動きはいつも通り元気だ。
「ほんとに来た!」
「呼んだのお前らだろ」
「そうだけど、来てくれると嬉しいじゃん!」
涼花はそう言うと、俺の鞄をちらっと見る。
「本、持ってきた?」
「持ってきた」
「やった!」
そこまで喜ぶようなことか。
だが、涼花の顔は本当に明るかった。
俺が何かを持ってくること自体が嬉しい、という顔だった。
玄関へ向かう途中、優里が迎えに来た。
「いらっしゃいませ、神谷くん」
「……お邪魔します」
「今日は来てくださってありがとうございます」
「そんな大げさな」
「大げさではありませんよ」
優里はやわらかく笑う。
「神谷くんの大切な本を、こちらに置いてくださる日ですから」
その言い方が、もう儀式みたいだ。
奥へ進むと、龍華は廊下の壁にもたれて待っていた。
「遅い」
「時間通りだろ」
「私が待ってたから遅い」
「理屈がおかしい」
龍華はそう言いながらも、俺の鞄へ視線を落とす。
「持ってきたんだな」
「まあ」
「よし」
短く言って、少しだけ満足そうにする。
それだけで、なんだか少し照れくさくなった。
案内されたのは、前にも少し見たことがある書斎だった。
広い。
壁一面に本棚があり、古い革張りの本や分厚い資料集、海外の本まで整然と並んでいる。窓からは庭が見えて、机も椅子も、いかにも高級そうだ。
そんな場所に、俺が鞄から取り出した文庫本を置く。
場違いにもほどがあった。
「……本当にここでいいのか?」
思わず聞くと、優里が静かに頷いた。
「はい。ここがいいんです」
「俺の本、完全に浮くぞ」
「浮いてもいいんじゃない?」
涼花が笑う。
「だって、神谷くんの本だし!」
「理由になってない」
「なってるよ!」
龍華は書斎の棚を見回して、一段だけ空けてある場所を指した。
「ここ」
「空けてたのか?」
「当たり前だろ」
「当たり前じゃない」
棚の一段。
そこには、まだ何も置かれていなかった。
どう見ても、今日のために空けたスペースだ。
「……一冊置くには広すぎないか」
「最初は一冊でも、増えるかもしれませんし」
優里がにこりと笑う。
「増やす前提かよ」
「最初は、です」
最近、優里は“最初”という言葉の使い方がうまくなりすぎている。
俺は少しだけ迷ってから、本をその棚へ置いた。
背表紙がこちらを向く。
高級そうな本に囲まれた中で、その文庫本は確かに浮いていた。
でも、不思議と変ではなかった。
涼花が棚を覗き込み、嬉しそうに言う。
「おお……神谷くんの本だ」
「見れば分かるだろ」
「ここにあるの、なんかいいね」
優里も隣へ立ち、静かに背表紙を見つめる。
「神谷くんが選んでくれた一冊、という感じがします」
「まあ、悩んだしな」
「どんなところが好きなんですか?」
そう聞かれて、俺は少し考えた。
「世界が少しずつ広がっていくところ」
「世界が?」
「主人公は、最初あまり人と関わらないんだけど、いろんな人に振り回されて、気づいたら自分の居場所が増えてる」
言ってから、少しだけ自分で気まずくなる。
涼花がぱちぱちと瞬きした。
優里は何かを察したように目を細めた。
龍華は、口元だけ少し上げた。
「……今の、神谷くんみたい」
涼花が真っ直ぐに言った。
「言うな」
「でも、そうじゃん!」
「そこは私も少し思いました」
優里まで静かに続ける。
「神谷くんがこの本を選んだ理由、少し分かる気がします」
龍華は棚に肩を預けながら言った。
「要するに、私らに振り回されてる今の自分と重なったんだろ」
「言い方」
「でも外してないだろ」
「……外してないのが腹立つ」
三人が笑った。
その笑い声が、広い書斎にふわっと広がる。
西園寺家の立派な書斎に、俺の本が一冊置かれて、三姉妹がそれを囲んで笑っている。
変な光景だった。
でも、悪くない光景だった。
「じゃあ、読書会ですね!」
涼花が急に言った。
「急だな」
「だって置いただけじゃもったいないじゃん!」
「お前、本読む気あるのか?」
「あるよ! たぶん!」
「たぶんって言ったな」
優里はすぐに頷いた。
「私も読みたいです。せっかく神谷くんが選んでくれましたし」
「私は今日読む」
龍華があっさり言った。
「早すぎる」
「気になるだろ」
「まあ、それはありがたいけど」
「じゃあ、今日少しだけ皆で読みませんか?」
優里が提案する。
「せっかくですし、お茶も用意してあります」
「やっぱりそうなるんだな」
「なるよ!」
涼花が笑う。
「神谷くんの本を、神谷くんと一緒に読む日だよ!」
その言い方は、なんだか少しだけ照れくさい。
結局、書斎の隣にある小さな応接室で、読書会のようなものが始まった。
広い部屋に、落ち着いたソファ。
テーブルの上には紅茶と焼き菓子。
そこへ、俺が持ってきた一冊のライトノベルが置かれている。
令嬢の屋敷でライトノベル読書会。
字面だけなら意味不明だ。
だが、三姉妹は本気だった。
涼花は最初の数ページを読みながら、「この主人公、ちょっと神谷くんっぽくない?」とすぐ言ってくる。
優里は会話のテンポや地の文の雰囲気まで丁寧に見て、「読みやすいですね」と感心している。
龍華は無言でページをめくる速度が速い。読み始めたら止まらないタイプらしい。
「お前ら、本当に読むんだな」
俺が言うと、涼花が本から顔を上げる。
「読むよ! 神谷くんの好きな本だし!」
「それが理由なのか」
「うん!」
即答された。
優里も静かに言う。
「好きなものを知るのは、その人を知ることに近いですから」
「重いな」
「でも、本当だと思います」
龍華はページをめくりながら、こちらを見ずに言った。
「この本、悪くないな」
「まだ序盤だろ」
「序盤で悪くなかったら、だいたい読める」
「お前らしい評価だな」
読書会は、想像していたより穏やかだった。
三姉妹がそれぞれ違う反応をするのを見ているだけで、俺も少し楽しい。
自分の好きなものが、別の人の中に少しずつ入っていく感覚。
それは、思った以上にくすぐったかった。
途中で涼花が本を閉じて、俺の方を見る。
「ねえ、神谷くん」
「なんだ」
「この本、読み終わったら感想言っていい?」
「もちろん」
「じゃあ、ちゃんと最後まで読む」
その目は真剣だった。
優里も微笑む。
「私も、読み終えたら神谷くんと話したいです」
「感想会までセットか」
「はい」
龍華は淡々と言った。
「私は今日中に読むかもな」
「借りて帰る気か?」
「いや、ここで読む」
「お前、屋敷の住人だったな」
「忘れるな」
そのあたりが、俺の部屋とは違う。
ここは三姉妹の家だ。
でも、そこに俺の本がある。
その事実が、妙に不思議だった。
夕方になって、そろそろ帰るかと立ち上がると、涼花が少しだけ名残惜しそうに本棚を見た。
「神谷くんの本、ほんとに置いてある」
「さっきから何回言うんだよ」
「だって嬉しいんだもん」
優里は棚の前で軽く手を添えた。
「大切にします」
「そこまでかしこまるな」
「大切なものですから」
龍華は最後に本の背表紙を軽く叩いた。
「これで、お前の場所が一つ増えたな」
「……」
「うちに」
その言い方は、少しだけずるかった。
俺の部屋に三姉妹のものがある。
そして、三姉妹の屋敷に俺の本がある。
ただそれだけなのに、距離が少しだけ変わった気がした。
「また来てくださいね」
優里が玄関まで見送ってくれる。
「本の様子を見るために!」
涼花が笑う。
「その理由はおかしいだろ」
「おかしくないよ!」
龍華は腕を組んで、短く言った。
「次は二冊目だな」
「早い」
「でも、考えとけ」
「……まあ、そのうち」
そう答えると、三人はまた嬉しそうな顔をした。
どうやら令嬢三姉妹は、俺の大事な一冊を屋敷に迎え入れるだけで、俺の居場所まで少しずつ増やしていくつもりらしい。
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