学年一可愛い令嬢三姉妹は、ついに俺の部屋専用の私物を持ち込み始める
その日、俺は本屋のバイトから帰ってきた時点で、すでに少し疲れていた。
夏休みの夕方。
外はまだ明るいのに、湿気だけはしっかり残っている。制服ではなくバイト用のシャツだったが、背中にじっとり汗が張りついて気持ち悪い。
アパートの階段を上がりながら、今日は誰もいないことを少しだけ期待していた。
……期待していたのだが。
「おかえりー!」
俺の部屋の前で、涼花が元気よく手を振っていた。
「……いると思った」
「えへへ」
「褒めてない」
涼花の横には優里。
そのさらに後ろ、壁にもたれた龍華。
三人とも当然みたいな顔でそこにいる。
「今日は何だよ」
俺が聞くと、涼花が待ってましたと言わんばかりに、足元の大きな紙袋を持ち上げた。
「持ち込みの日!」
「何その不穏な日」
「私物です」
優里が静かに補足する。
「昨日、少し話していたでしょう?」
「話しただけだろ。実行するとは言ってない」
「でも、神谷くんは“このくらいなら”と言っていました」
「それはカレンダーとか写真立ての話だ」
「延長線上です」
優里がやわらかく言う。
やわらかいのに、逃げ道がない。
龍華は片手に小さなバッグを持ったまま、短く言った。
「今日は少なめだ」
「“今日は”って何だ」
「一回で全部持ってくるとお前がうるさい」
「今でも十分うるさくなる案件だろ」
すでに嫌な予感しかしない。
だが、外廊下でこのやり取りを続けると、隣のおばさんに見つかる可能性が高い。
仕方なく鍵を開けると、三姉妹はそれぞれの荷物を抱えて中へ入っていった。
※ ※ ※
部屋へ入るなり、涼花がまず紙袋の中身を広げた。
出てきたのは、小さめのクッションだった。
明るい水色で、手触りのいい生地。大きすぎず、確かにこの部屋に置いても邪魔にはならなそうなサイズだ。
「わたし用!」
「言い切るな」
「だって前に言ったじゃん! 部屋用クッション置きたいって!」
「俺は置くなって言ったはずだが」
「でも、ほら、ちょうどいいサイズでしょ?」
涼花はラグの上へクッションを置き、そこへぽすんと座った。
「ほら! ぴったり!」
「ぴったりなのが腹立つな」
正直、見た目は悪くない。
涼花の明るい雰囲気にも合っているし、ラグの端に置かれると、最初からそこにあったように見えなくもない。
それが余計にまずい。
「次は私ですね」
優里が紙袋から取り出したのは、小さな缶だった。
紅茶の茶葉が入っているらしい。以前持ってきたものより少し小ぶりで、蓋には上品な模様が入っている。
「……茶葉か」
「はい。神谷くんのお部屋用です」
「お部屋用って言うな」
「ここに来た時に、毎回持ってくるより便利ですから」
「来る前提が強いんだよ」
「でも、来ますので」
真顔で言い切られた。
優里は台所の小さな棚を見て、邪魔にならなさそうな場所を探す。
そして、俺が普段使っているインスタントコーヒーの横に、そっと茶葉の缶を置いた。
安いコーヒーの横に、どう考えても高級そうな紅茶の缶。
格差がすごい。
「すごい場違い感だな」
「そのうち馴染みます」
「馴染ませる気か」
「はい」
はい、じゃない。
最後に龍華がバッグを開けた。
中から出てきたのは、黒っぽい薄手のパーカーだった。
「……」
「……」
しばらく俺は、無言でそれを見た。
「お前」
「何だ」
「部屋着置くのは駄目だって言ったよな」
「これは部屋着じゃない」
「じゃあ何だ」
「羽織り」
「言い換えても駄目なやつだろ」
龍華は平然としている。
「冷房強い時あるだろ」
「調整する」
「夜、外から来た時にも使える」
「持って帰れ」
「却下」
「こっちの台詞だ」
涼花がクッションを抱えながら、にやにやと笑っている。
「龍華お姉ちゃん、強い」
「強すぎます」
優里も静かに言う。
「でも、実用性はありますね」
「優里まで乗るな」
「だって、体を冷やすのはよくないですから」
「俺の部屋で誰が体を冷やす前提なんだ」
三人とも視線を逸らした。
逸らすな。
結局、龍華のパーカーはひとまずクローゼット横のフックに掛けられた。
掛けられた、というか、勝手に掛けられた。
俺の部屋に、涼花のクッション。
優里の紅茶。
龍華のパーカー。
これはもう、完全に侵食である。
「……お前ら、本当に置いたな」
俺が言うと、涼花が嬉しそうに頷いた。
「うん!」
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「だって、ここに来た時の自分の場所ができた感じするもん」
その言い方に、少しだけ返事が止まる。
優里も静かに続けた。
「神谷くんのお部屋に、私たちのものが少しあるだけで、次に来る理由が増えたような気がします」
「理由なら毎回勝手に作ってるだろ」
「それでも、です」
龍華は壁にもたれながら言った。
「ここに置いとけば、戻ってくる感じがするしな」
「戻るって言うな。ここはお前の家じゃない」
「でも、帰ってくる感じはある」
その一言が、思っていたより重かった。
屋敷がある。
広くて、整っていて、何でも揃っている場所がある。
それなのに、この三人は俺の六畳一間へ“戻る”なんて言葉を使う。
嬉しいと認めるには重い。
でも、嫌だと切り捨てるには、もう遅すぎた。
「……置くなら、邪魔にならない場所だけにしろ」
俺がそう言うと、三人の顔が一気に明るくなった。
「いいの!?」
涼花が立ち上がる。
「今の、許可ですよね?」
優里が静かに確認する。
「録音しとけばよかったな」
龍華が冗談みたいに言う。
「調子に乗るな。増やしすぎたら捨てる」
「捨てないでしょ」
涼花が即答した。
「なんで言い切る」
「神谷くん、そういうの捨てられないもん」
否定できないのが腹立たしい。
そのあと、三人は当然みたいに持ち込んだ私物の場所を調整し始めた。
涼花のクッションはラグの右端。
優里の茶葉は台所棚の左奥。
龍華のパーカーはフック。
ついでに、写真立てとカレンダーの位置も微調整された。
「いや、だからなんでついでに机までいじるんだ」
「全体のバランス!」
涼花が言う。
「整えた方が気持ちいいですから」
優里が言う。
「お前、放っとくと散らかすし」
龍華が言う。
「三方向から生活指導するな」
それでも、終わってみると部屋は確かに少し整っていた。
しかも、どこか三姉妹の色が薄く散らばったような感じがする。
涼花の明るさ。
優里の丁寧さ。
龍華の実用性。
どれも、俺の生活には本来なかったものだ。
しばらくして、涼花が自分のクッションに座りながら、ぽつりと言った。
「ねえ、神谷くん」
「なんだ」
「わたし、この部屋に自分の物あるの、すごい嬉しい」
「そうかよ」
「うん。なんか、ちょっと特別な感じ」
優里も紅茶の缶を眺めながら頷く。
「私もです」
「置きすぎるなよ」
「はい。少しずつにします」
「少しずつ増やす前提にするな」
龍華はフックに掛かったパーカーを見て、満足そうに言った。
「まあ、最初はこのくらいでいい」
「“最初”って言ったな」
「言ったな」
「隠す気ないのか」
「ない」
この三姉妹は本当に、隠す気がどんどんなくなっている。
そこへ、涼花が突然、こちらを見た。
「ねえ、神谷くん」
「今度は何だ」
「神谷くんも、うちに何か置く?」
「は?」
部屋が一瞬静かになった。
優里が目を丸くし、龍華が少しだけ口元を上げる。
「涼花、それは……」
優里が珍しく言葉を選ぶ。
「かなり踏み込みますね」
「え、そう?」
「そうだろ」
俺は額を押さえた。
「俺が西園寺家に私物置くって、意味分からんだろ」
「でも、わたしたちは置いたよ?」
「ここは俺の部屋だからな」
「じゃあ、神谷くんもわたしたちの家に置いたら公平じゃん!」
「公平の意味がおかしい」
龍華が笑う。
「でも、悪くないな」
「乗るな」
「うちの部屋にお前の本とか置いておけば?」
「何の部屋だよ」
「私の」
「一番駄目だろ!」
優里が静かに続ける。
「でしたら、屋敷の書斎に神谷くん用の棚を一段……」
「お前まで具体的にするな」
「神谷くんのおすすめ本を置けますし」
「目的がそれなら悪くないのがまた嫌だ」
涼花は手を叩く。
「わたしの部屋にはスポドリ置いとく!」
「俺の私物ですらないだろ、それ」
「じゃあ漫画!」
「お前が読む気だろ」
「バレた!」
本当にもう、どこまで行く気なんだ。
でも、三人が楽しそうにしているのを見ていると、強く否定する気も少しずつ削られていく。
俺の部屋に三姉妹のものがある。
三姉妹の屋敷に、俺の何かがある。
そんな距離感が現実になりかけていることに、以前の俺なら耐えられなかったはずだ。
今は、少しだけ想像してしまう。
「……考えとく」
そう言った瞬間、三人がぴたりと止まった。
「え」
涼花が瞬きする。
「今、否定しませんでしたね」
優里が静かに言う。
「言質取った」
龍華が短く笑う。
「取るな」
「でも考えるんだろ?」
「考えるだけだ」
「十分だよ!」
涼花が嬉しそうに笑う。
「神谷くんの物、うちに置く日が来るかもってことだよね!」
「先走るな」
「でも、嬉しいです」
優里がやわらかく言った。
「神谷くんが、少しだけこちら側にも来てくれるようで」
その言い方は、妙に胸に残った。
こっちの部屋に三姉妹が来るだけじゃない。
俺の方からも、三姉妹の世界へ少し踏み込む。
それが、夏休みの間に少しずつ現実味を持ち始めている。
どうやら令嬢三姉妹は、俺の部屋に私物を置くだけでは飽き足らず、次は俺の何かまで自分たちの世界へ持ち帰るつもりらしい。
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