学年一可愛い令嬢三姉妹は、海のあとに残った写真一枚でまた静かに火花を散らす
海へ行った翌日、俺は自分の机の上に置かれたスマホを見て、朝から小さくため息をついた。
昨夜のうちに、花火大会の時と同じように、涼花が「昨日の写真きたよ!」とグループチャットへ海の写真を何枚か投げ込んでいたのだ。
四人で並んだやつ。
砂浜で座っているやつ。
涼花が変なポーズをして、優里が困ったように笑っていて、龍華が半分呆れているやつ。
そして最後に、例の集合写真。
俺を挟むように三姉妹が並んでいる一枚だ。
「……情報量が多すぎるだろ」
思わず呟く。
しかも、その一枚について、朝からすでにやり取りが始まっていた。
涼花
『これ、めっちゃ夏っぽくない!?』
『神谷くんの顔ちょっと困ってるのもいい!』
龍華
『お前がくっつきすぎ』
優里
『でも、皆さん楽しそうでよかったです』
涼花
『優里お姉ちゃんもかなり近いよ!?』
龍華
『お前が言うな』
朝から元気すぎる。
そのまま画面を閉じようとした時、優里から個別にメッセージが届いた。
『神谷くん』
『今週、美術館の方はいかがですか?』
仕事が早い。
海の翌日に次の約束を取りにくるな。
だが、その文章の続きが、この人らしかった。
『昨日と違って、静かな時間になると思います』
「……」
昨日と違って。
そういう言い方をするのが、優里は本当にうまい。
海は涼花が中心になるイベントだった。
騒がしくて、明るくて、体ごと夏に飛び込むような時間。
それと対になるものとして、美術館を出してくる。
優里はちゃんと、自分の土俵へ引き戻そうとしているのだ。
そして、そういう意図が見えてしまうから困る。
結局、その日の午後には、俺は優里と美術館へ行くことになっていた。
※ ※ ※
待ち合わせ場所の駅前に着くと、優里はもう来ていた。
夏の日差しの下でも暑苦しく見えないのは、やっぱり優里が優里だからだろう。淡い色のワンピースに、細いベルト、髪は半分だけまとめていて、きちんとしているのに気張りすぎていない。
海の翌日だというのに、日焼けの気配すら上品に見えるのがずるい。
「こんにちは」
優里がやわらかく笑う。
「早いですね」
「お前もだろ」
「少し楽しみだったので」
その言い方も危ない。
電車に乗って美術館へ向かう道は、海の時とはまるで違った。
昨日は涼花が騒いで、龍華が仕切って、優里がまとめていた。今日は、ただ優里と二人で並んで座っているだけだ。
会話も自然と少なくなる。
少ないのに、気まずくはない。
優里はそれを分かっているのか、無理に喋らない。ただ、ときどき視線を向けて、俺が外を見ている時には静かに微笑んでいる。
「何だよ」
電車の窓に映る優里の表情が気になって、そう言うと、優里は少しだけ首を傾げた。
「いえ」
「その“いえ”は何かある時のやつだろ」
「神谷くん、最近そういうの分かるようになりましたね」
「お前らのせいだよ」
「でしたら、少しは成長ですね」
その返しに、思わず小さく息が漏れた。
美術館は、優里が言っていた通り落ち着いた場所だった。
白い壁、静かな空調、足音まで吸い込まれるみたいな空気。海のあとに来ると、余計に世界が切り替わる。
展示は近代絵画中心で、色の強い作品もあれば、静かな構図のものもある。
優里は一枚一枚を急がずに見ていた。
説明文もちゃんと読み、気になった絵の前では少し長く立ち止まる。
その横顔を見ながら、俺は思う。
海の優里は、こっちに寄り添って安心したい人だった。
でも、美術館の優里は違う。
自分の好きなものをちゃんと持っていて、その世界へ俺を静かに引き入れてくる。
「こっち、好きなんです」
優里が一枚の絵の前で言った。
淡い色で描かれた夏の庭の絵だった。
強い印象ではない。けれど、近くで見ると光の置き方が綺麗で、柔らかい空気がそのまま閉じ込められているみたいだった。
「お前っぽいな」
俺がそう言うと、優里が少しだけ驚いた顔をした。
「私っぽいですか?」
「うん。ぱっと見は静かだけど、ちゃんと見てると色々ある感じ」
「……それ、褒めてます?」
「だいぶ」
優里はほんの少しだけ頬をやわらかくして、絵から俺の方へ視線を移した。
「嬉しいです」
その一言が、小さいのに妙に響いた。
展示を見終えたあと、併設のカフェへ入った。
優里が前に言っていた通り、近くの席も落ち着いていて、窓際のテーブルからは街路樹の緑が見える。
優里は冷たい紅茶、俺はアイスコーヒーを頼んだ。
ケーキも一つずつ。
「神谷くん」
飲み物が運ばれてきたあとで、優里が静かに言う。
「昨日の海、どうでしたか?」
「今さら聞くのか」
「ちゃんと二人で聞きたかったので」
そう言って、カップへ指を添える。
こういう時の優里は、本当に順番を大事にする。
「……楽しかったよ」
俺が言うと、優里は静かに頷いた。
「そうですよね」
「何だその分かったような言い方」
「神谷くん、途中から顔がやわらかかったので」
「お前ら、本当に人の顔見てるな」
「見てますから」
やっぱり、さらっと言う。
「でも」
優里はそこで少しだけ視線を落とした。
「少しだけ、羨ましくもありました」
「何が」
「海は、涼花が一番似合う場所でしたから」
その言い方に、少しだけ言葉を選ぶ。
たしかに、昨日の海は涼花の空気だった。
あいつが一番自然で、一番眩しかった。
だからこそ、優里はそこを正面から奪いには行かなかったんだろう。
「でも、今日の方が私らしいです」
優里はそう続ける。
「静かで、ちゃんと見てもらえるので」
その言葉は、涼花みたいに勢いはない。
龍華みたいに強く押すわけでもない。
でも、その分だけ深く入ってくる。
「神谷くん」
「なんだ」
「今日の私、どうですか?」
海の時の“似合う”とは違う聞き方だった。
服でも髪でもない。
時間そのものについて聞いている。
「……落ち着く」
そう答えると、優里は一瞬だけ息を止めたみたいな顔をした。
それから、すごくやわらかく笑う。
「よかった」
「そんなにか」
「はい。かなり」
優里はそこで、鞄から一枚の写真を取り出した。
昨日の集合写真だった。家で印刷したのか、小さめの光沢紙に綺麗に出ている。
「お前、それ持ち歩いてるのか」
「今日、渡そうと思って」
写真には、砂浜で並ぶ四人が写っている。
俺の右に涼花、左に優里、少し後ろに龍華。見れば見るほど、妙な写真だ。
「これ」
優里が指先で、写真の左側――自分の位置を軽く示す。
「私、少しだけ嬉しかったんです」
「何が」
「ちゃんと、神谷くんの隣にいるって形で残ったこと」
さらっと言うな。
写真一枚にそんな意味を持たせるな。
「……お前、静かな顔で本当にそういうの言うよな」
「はい」
優里は否定しない。
「でも、そういうのを大事にしたいので」
それが、優里のやり方なんだろう。
目立たないものを、静かに拾って、自分だけの意味にする。
「神谷くん、これ持っててください」
写真を差し出される。
「なんで」
「私が嬉しかった日の証拠なので」
「証拠って何だよ」
「残るでしょう?」
そう言って微笑む。
ああ、本当にずるいなと思う。
結局、その写真は俺の財布に入ることになった。
帰り道は、行きより少しだけ距離が近かった。
優里は人混みで自然に袖をつまむし、信号待ちでは少しだけ肩が近い。なのに、全部が“そうするのが当たり前”みたいな顔をしているから、こちらだけが変に意識させられる。
「今日は、ありがとうございました」
アパートの前まで送ってもらって、優里がそう言った。
「またそれか」
「何度でも言います」
やっぱりそう返す。
「今日は、私の時間だった感じがしたので」
その一言に、少しだけ言葉が詰まる。
たしかに今日は、海の翌日なのに、海の余韻より優里の空気の方が強く残っていた。
それが、この人の怖いところだと思う。
「……そうかもな」
そう返すと、優里は静かに目を細めた。
「なら、よかったです」
その笑顔が、またやわらかくて困る。
部屋へ戻って、財布の中へしまった写真を確認する。
海の光、三姉妹の笑顔、そして真ん中で少しだけ困った顔の俺。
どうやら令嬢三姉妹の次女は、静かな時間の中に残るものを、一番うまく持っていくらしい。
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