学年一可愛い令嬢三姉妹は、部屋の外の時間を許した途端に夏休みの予定まで取り合い始める
龍華と出かけた翌日、俺は教室へ入る前から面倒な空気を感じていた。
理由は単純だ。
朝の校門をくぐった瞬間、二階の廊下から見覚えのある金髪がこちらを見下ろしていて、その少し後ろには黒髪の令嬢が立っていたからだ。
涼花と優里。
二人とも、明らかに何かを察している顔だった。
嫌な予感しかしないまま教室へ入ると、一時間目が始まる前には、案の定、涼花が席まで一直線にやって来た。
「神谷くん!」
「朝から元気だな」
「ごまかさないで!」
「何をだよ」
「昨日!」
その一言で、周囲の空気が少しだけざわつく。
やめろ。教室でそういう入り方をするな。
涼花は机に両手をついて、ぐっと身を乗り出してきた。
「龍華お姉ちゃんと、どこ行ってたの!?」
「……なんで知ってるんだよ」
「帰ってきた龍華お姉ちゃん、機嫌よかったもん!」
そこかよ。
「しかも、ちょっとだけ優しかったし」
「それはレアですね」
いつの間にか、優里まで横に来ていた。
静かな顔でそう言うな。妙に説得力がある。
「お前ら、自分の姉への評価どうなってるんだ」
「正しい評価です」
優里がやわらかく言い切る。
そこへ、廊下側から低い声が飛んできた。
「聞こえてるぞ」
龍華だった。
今日も今日とて、二年の長女は堂々と一年の教室を覗いている。
「で、どこ行ってたの?」
涼花は引かない。
きらきらした目で、でもわりと本気で答えを求めている顔だ。
「朝飯」
「朝飯?」
「あと、水族館」
そう言った瞬間、涼花が固まった。
優里もわずかに目を丸くする。
龍華は廊下の向こうで、満足そうに口元を上げていた。
「……は?」
涼花が、少し間抜けな声を出す。
「水族館?」
「そうだけど」
「ずるくない!?」
第一声がそれかよ。
教室の空気がまた揺れた。
俺は思わず額を押さえる。
「ずるいって何だよ」
「だって、部屋の外じゃん!」
「そうだな」
「しかも水族館って、かなり“そういう感じ”じゃん!」
涼花の耳が少し赤い。
興奮と焦りが混じっているのが丸分かりだった。
優里はそんな涼花の横で、静かに一つ息をついた。
「龍華」
「なんだ」
「やっぱり、思っていた以上に遠くまで行きましたね」
「遠くってほどでもない」
「水族館は十分です」
優里の言い方は穏やかなのに、妙に重い。
「神谷くん」
今度は優里がこちらを見る。
「楽しかったですか?」
その質問、好きだなこの人は。
しかも、一番答えづらい角度から来る。
「……まあ」
俺が言葉を選ぶより先に、龍華が廊下の向こうで笑った。
「楽しかったらしいぞ」
「お前が言うな!」
「事実だろ」
「龍華お姉ちゃん黙ってて!」
涼花が噛みつく。
そこへ優里が小さく言葉を重ねた。
「なるほど」
「何がなるほどなんだよ」
「部屋の外でも、ちゃんと時間になるんですね」
その言い方は、だいぶ危ない。
しかも二人とも、もう完全に次を考えている顔だった。
※ ※ ※
その日の放課後、俺は逃げるつもりだった。
まっすぐ帰らず、本屋へ寄って、少し時間を潰して、それからアパートへ戻れば、少なくとも今日は静かに終わるんじゃないか。そんな甘い期待を持っていた。
当然、無駄だった。
部屋の前には、すでに三姉妹が揃っていた。
「……お前ら、ほんとに」
「会議!」
涼花が元気よく言った。
「またかよ」
「今回は大事だよ!」
「毎回そう言ってるだろ」
優里は紙袋を持っていた。
龍華は壁にもたれたまま、すでに中へ入る気満々の顔だ。
「今日は、夏休みの予定についてです」
優里がやわらかく補足する。
「なんでそんな話になる」
「だって、期末終わったし!」
涼花が即答する。
「しかも龍華お姉ちゃんが先に水族館とか行ってるし!」
「だから比較するなって」
「比較しないと置いてかれるもん!」
そこまで堂々と言うな。
結局、いつものように押し切られて中へ入れる流れになった。
俺の部屋へ入るなり、優里は持ってきた紙袋から冷たい水出し茶を出し、涼花はコンビニで買ってきたらしいアイスを冷凍庫へ入れ、龍華は当然みたいな顔でベッド横のクッションを確保した。
「もう本当に慣れたな、お前ら」
「いいことだろ」
龍華が言う。
「俺の部屋だぞ」
「知ってる」
その返しに迷いがないのが腹立つ。
ローテーブルの上へグラスを並べていると、優里が小さな手帳を取り出した。
またそれか。
その革張りの手帳、最近よく見るな。
「今日は予約ではありません」
「じゃあ何だ」
「希望調査です」
「言い方変えただけだろ」
優里は否定しなかった。
その時点で、もうだいぶ危ない。
「夏休みに入ると、今より時間の融通が利きますよね」
「まあな」
「ですから、部屋の中の時間だけではなく、外での時間も含めて考えておこうかと」
やっぱりそう来るのか。
涼花が勢いよく手を挙げた。
「はい!」
「何だよ」
「わたし、海行きたい!」
「急だな」
「だって夏だし!」
「お前、泳ぐ前提だろ」
「当たり前じゃん!」
確かに、涼花には似合う。
太陽みたいなやつが、夏の海で騒いでいる絵は容易に想像できた。
「神谷くん、泳げる?」
「人並みには」
「じゃあ決まり!」
「決まってない」
即座に否定しても、涼花はまるでへこたれない。
こういうところが強い。
「私は美術館がいいですね」
優里が静かに言った。
「夏休み中、特別展示がいくつかあるので」
「急に文化度が上がったな」
「神谷くん、意外とそういうの嫌いではないでしょう?」
「……まあ、嫌いではない」
「ほら」
優里は少しだけ嬉しそうに微笑む。
その“ほら”が静かなのに強い。
「龍華お姉ちゃんは?」
涼花が聞くと、龍華は少しだけ考えた。
「遠出」
「雑だな」
「でも、長く一緒にいられるだろ」
その言い方は本当にやめてほしい。
さらっと言うな。しかも、本人はこれが一番効くと分かって言っている顔をしている。
「……お前ら、もうちょっと隠せよ」
思わずそう言うと、涼花が首を傾げた。
「何を?」
「好意」
口にしてから、自分で少しだけしまったと思った。
だが、遅い。
三人とも一瞬だけ黙ったあと、反応が綺麗に割れた。
涼花は耳まで赤くなり、
優里は目を細めて少しだけ視線を逸らし、
龍華は口元を上げた。
「今さらだろ」
龍華が言う。
「お前だって気づいてるくせに」
「そりゃ気づくよ。ここまで来れば」
「じゃあ、もう遠慮する必要ないじゃん!」
涼花が勢いで言う。
その理屈はだいぶ雑だ。
「必要あるだろ」
「でも、夏休みだよ!?」
「夏休みを何だと思ってるんだ」
「恋愛イベント多発期間!」
「言い切るな!」
優里がくすっと笑った。
「涼花、それはさすがに言いすぎです」
「でも半分くらい合ってるでしょ?」
「半分どころか、かなり本音だろ」
龍華が茶々を入れる。
その会話の流れで、優里が静かに手帳を開いた。
「では、行きたい場所を整理しましょう」
「だからなんで本当に記録するんだよ」
「大事ですから」
もうそこは譲らないらしい。
涼花は海の話をし始めた。
浮き輪だの、冷たい飲み物だの、砂浜でアイスだの、完全にデートの気分である。しかも本人に自覚があるのかないのか、微妙に危ない単語を混ぜてくるから困る。
優里は美術館の展示情報をスマホで見せながら、「この日は比較的人が少ないそうです」とか「近くに評判のカフェもあるようで」とか、静かな顔で着実に外堀を埋めてくる。
龍華は龍華で、「一日使えるなら隣県まで行ける」とか「山でも海でも街でもいい」とか、選択肢を広く出してくるぶん、余計に想像の余地が大きい。
聞いているだけで疲れる。
「神谷くん」
優里がふいに聞いた。
「夏休み、少しは私たちと過ごしたいですか?」
その質問は、思っていたより真ん中に来た。
涼花も龍華も黙る。
三人とも、今度は本当に答えを待っていた。
俺は少しだけ視線を落として、ローテーブルの上のグラスを見た。
ここ最近、部屋の中でも外でも、三姉妹に振り回されている。
騒がしくて、面倒で、落ち着かなくて、でも確かに毎日が変わった。
その変化を、もう嫌だとは思えないところまで来ている。
「……過ごしたくないなら、ここまで許してない」
結局、そう答えた。
涼花がぱっと顔を明るくする。
優里は目を細めて、やわらかく笑う。
龍華は、少しだけ満足そうに口元を上げた。
「じゃあ決まりだね!」
涼花が即座に言う。
「いや、何も決まってない」
「決まったよ! 夏休み、いっぱい会える!」
「その解釈が早いんだよ」
「でも、間違ってはいませんね」
優里が静かに乗る。
「そこは乗るな」
「本当のことなので」
龍華はクッションへ肘を乗せたまま、こっちを見た。
「まあ、お前がそう言うなら、あとは取りに行くだけだな」
「その言い方、ほんと物騒だな」
「恋愛だし」
最近この長女、その単語を便利に使いすぎている。
そのあとも、三姉妹はああでもないこうでもないと夏休みの話を続けた。
海、展示会、遠出、部屋で映画、屋敷の庭、夜景、花火、読書会。
令嬢らしい予定と高校生らしい予定が、俺の六畳一間でぐちゃぐちゃに混ざっていく。
でも、その全部の中心に、当然みたいに俺が入っていた。
「神谷くん、海なら何色の浮き輪がいい?」
「選ぶ前提で聞くな」
「美術館のあと、お茶もしたいですね」
「自然にデートコースへするな」
「遠出なら朝から連れ出す」
「それだけは予告するんだな」
気づけば、さっきまでの呆れは少し薄れていた。
代わりにあるのは、たぶん、夏休みが少しだけ楽しみだと思ってしまう自分への困惑だった。
どうやら令嬢三姉妹は、部屋に入り浸るだけでは満足せず、次は季節ごと俺の時間を取りに来るつもりらしい。
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