学年一可愛い令嬢三姉妹の長女は、部屋の外の約束まで当然みたいに実行してくる
期末試験が終わって最初の日曜、俺は昼過ぎまで寝るつもりだった。
目覚ましはかけていない。
机の上に積んでいた参考書も、昨夜のうちに片づけた。
今日は何もしない。そう決めて、久しぶりに気を抜いていた。
だから、スマホの振動で目が覚めた瞬間から、嫌な予感しかしなかった。
画面を見る。
西園寺龍華
『起きろ』
『今から出るぞ』
「……は?」
寝起きの頭に、その二行はだいぶ強かった。
時間を見る。まだ朝の九時前だ。休みの日の高校生男子を叩き起こすには十分すぎる時刻である。
さらに続けて通知が来る。
『例の約束』
『忘れてないよな』
忘れていない。
期末最終日の打ち上げで、龍華が言った“部屋の外の時間が欲しい”というやつだ。
あの時はうやむやにしたつもりだったのに、こいつは本当に実行へ移す気だったらしい。
断る理由を考えているうちに、最後の一文が届いた。
『十分後に着く』
勝手すぎる。
そこから先は、ほとんど反射だった。
顔を洗って、適当なシャツを引っ張り出して、財布とスマホを掴む。朝飯を食う暇もない。そうしている間にも、俺の部屋の前にバイクの止まる音がした。
扉を開けると、龍華がいた。
今日の龍華は、黒のパンツに白いTシャツ、その上に薄手のジャケットという格好だった。派手じゃないのに妙に目を引くのは、顔立ちのせいだけじゃなく、立ち方そのものに迷いがないからだと思う。
「遅い」
「十分で来る方が悪いだろ」
「起きてたなら問題ない」
「起きてなかったんだよ」
「今起きたんだから同じだ」
「同じじゃない」
そう言い返しながらも、俺はもう出かける格好になっている。
龍華はそれを見て、少しだけ口元を上げた。
「素直だな」
「面倒なのを長引かせたくないだけだ」
「へえ」
その“へえ”は信用できない。
「で、どこ行くんだよ」
「朝飯」
「まずそこなのか」
「お前、食ってないだろ」
「……まあ」
「知ってる」
言い切るな。
でも、そこを読まれているあたりがいかにも龍華らしかった。
バイクの後ろへ乗るのも、前よりは少し慣れていた。
もちろん、慣れたくはない。けれど、前みたいに変に緊張して掴まる場所に迷うことはなくなっている。そういう自分に気づくたびに、なんとも言えない気分になった。
日曜の朝の街は平日より静かだった。
商店街もまだ開ききっていないし、信号待ちの車列も薄い。風が少しだけ涼しくて、試験期間の重さがようやく身体から抜けていく気がした。
龍華が連れてきたのは、海沿いの街にある小さな喫茶店だった。
観光地の派手な店じゃない。
地元の人間しか知らなさそうな、古い木の看板が出ている店だ。店の前には小さな鉢植えが並んでいて、窓ガラスの向こうには磨かれたカウンターが見えた。
「……なんでこんなとこ知ってるんだ」
「父様がたまに来る」
「お前の家の“たまに”は信用できない」
「でもここは本当に普通だ」
実際、店へ入ると、思っていたよりずっと落ち着く空気だった。
焼いたパンの匂いとコーヒーの香り。木の椅子。古いレコードみたいな小さな音楽。西園寺家の屋敷でも、俺のボロアパートでもない、その中間みたいな場所だった。
席に着くと、龍華はメニューも見ずにモーニングセットを二つ頼んだ。
「勝手に決めるな」
「お前、こういう店で悩むだろ」
「否定はしない」
「だから」
トースト、スクランブルエッグ、サラダ、ハム、それにコーヒー。
派手じゃない。けれど、ちゃんと朝飯として完成されている皿が出てくると、正直かなりありがたかった。
「うまいな」
一口食べてそう言うと、龍華は少しだけ得意げに笑った。
「だろ」
「なんでお前が得意げなんだよ」
「連れてきたの私だし」
まあ、それはそうだ。
海の見える窓際の席で、二人で朝飯を食べる。
状況だけ切り取れば、だいぶ変だ。だが、龍華は最初から最後までその変さを気にしない顔をしていた。
「お前さ」
食事の途中、龍華がコーヒーを持ったまま言う。
「試験終わったら、ちょっと顔変わったな」
「顔?」
「張りつめてたのが抜けた」
「そりゃ終わったしな」
「それもあるけど」
龍華はそこで一度言葉を切った。
「この前より、私らといるのが自然になってる」
その言い方が妙にまっすぐで、一瞬返事に詰まる。
「……そうか?」
「そう。前は、三人いると明らかに疲れてたし」
「そこまでか」
「そこまでだった」
ひどい評価だ。
でも、否定しづらいのが困る。
「今は」
龍華がこっちを見る。
「疲れても、ちゃんと楽しそうだ」
それを、自分で自覚し始めているのがまた嫌だった。
食べ終わったあと、龍華はそのまま店を出て、再びバイクへ乗せた。
次の行き先を聞くと、「今日は少し遠くまで」とだけ返ってくる。相変わらず説明が足りない。
連れていかれたのは、隣町にある小さな水族館だった。
「……なんで水族館」
「デートっぽいから」
「お前、最近その単語雑に使いすぎだろ」
「今日は雑じゃない」
龍華はそう言ってチケットを二枚買った。
本当に使う気で言っていたらしい。
館内は、休日の昼前らしくほどよく人がいた。
子ども連れ、カップル、友達同士。そんな中へ、俺と龍華が並んで入る。改めて考えるとだいぶおかしい。しかも、龍華は変に隠れる気もない。
暗い通路を進み、大きな水槽の前で止まる。
青い光が、龍華の横顔に落ちる。その光景が妙にきれいで、少しだけ視線の置き場に困った。
「何見てる」
「別に」
「嘘つけ」
でも、それ以上は追及してこない。
代わりに龍華は、泳いでいく魚へ視線を向けた。
「こういうとこ来るの、久しぶりだな」
「お前、もっと派手なとこ行きそうだけどな」
「偏見だな」
「令嬢だし」
「令嬢でも水槽は見る」
たしかに。
少し歩くと、クラゲの水槽があった。
薄暗い空間で、白く透けたクラゲがゆっくり漂っている。幻想的ではあるが、正直、龍華みたいなタイプに似合うイメージではなかった。
そう思っていたら、隣で龍華がぽつりと言った。
「これ、好きなんだよな」
「クラゲが?」
「見てると無になるだろ」
「意外だな」
「失礼だな」
龍華はそう言いながらも、水槽の前からしばらく動かなかった。
こういう時、この長女は思っていたよりずっと静かになる。強くて、図々しくて、近いくせに、ふとした瞬間にだけ、年相応というより少しだけ幼い顔を見せる。
その横顔を見ていると、俺は改めて思った。
三姉妹は、全員違う。
それはもう何度も感じていることだ。
でも、龍華はその中でもいちばん“ギャップ”が大きいのかもしれない。
「神谷」
「なんだ」
「今日、連れてきたの嫌だったか?」
不意に聞かれて、少しだけ目を瞬いた。
「……嫌じゃない」
「ほんとか」
「ほんと」
「ならいい」
それだけ言って、龍華は少しだけ笑った。
ほんの少しだけ、安心したみたいな笑い方だった。
館内を一周したあと、水族館の外にあるベンチへ座る。
海風が少し強くなっていて、日差しのわりに涼しかった。
「で」
俺は言う。
「今日の目的は何なんだ」
「何が」
「朝飯食って、水族館来て、それで終わりか?」
「それじゃ駄目か」
「駄目じゃないけど、お前がそれだけで満足するとは思えない」
龍華は少し黙ってから、視線を海の方へ向けた。
「……確認だよ」
「何を」
「私が、お前と部屋の外で一緒にいても、ちゃんと馴染むか」
その答えは、思っていたよりずっと真面目だった。
「部屋の中だと、もう私らは強いだろ」
「自覚あるのかよ」
「ある。涼花も優里も、そこではちゃんと自分の場所持ってるし」
「お前もな」
「だろ。でも、外は違う」
龍華はそこで俺を見る。
「外でも、お前の隣にいて違和感ないか、知りたかった」
その言い方が、静かに響いた。
「結果は?」
俺が聞くと、龍華は少しだけ目を細める。
「思ったより、よかった」
「そうか」
「お前、変に背伸びしないし、屋敷みたいなとこじゃなくても普通にしてるし」
「褒めてるのか?」
「かなり」
そこで、龍華は少しだけ口元を上げた。
「だから、次はもう少し遠くでもいい」
「気が早いな」
「早い方が勝てるだろ」
「またそれか」
「恋愛なんだから当然だ」
さらっと言うな。
でも、この長女は本当に、そういうところだけはぶれない。
帰り道、結局また俺の部屋へ寄る流れになった。
理由は龍華曰く「締めはそこがいい」かららしい。もうその理屈には慣れてきた自分が嫌だ。
部屋へ戻ると、龍華はクッションを抱えて壁にもたれ、俺は冷蔵庫から麦茶を出す。
そこまで含めて、今日は一連の流れだったのかもしれない。
「なあ、神谷」
「なんだ」
「今日の私、どうだった」
またその質問だ。
「何が」
「一緒にいて」
龍華は真っすぐこっちを見る。
こういう時のこの人は、本当に強い。
「……普通に楽だった」
結局、出てきたのはそれだった。
「変に気を使う感じもなかったし、外でもお前はお前だった」
「へえ」
「でも」
そこで少しだけ間を置く。
「部屋の中より、少しだけちゃんとしてたな」
そう言うと、龍華は笑った。
「そりゃそうだろ。外だし」
「でも、たまにはそういうお前も新鮮だった」
龍華がぴたりと止まる。
数秒遅れて、少しだけ視線を逸らした。
「……お前、そういうの急に言うよな」
「お前にだけは言われたくない」
「それもそうか」
珍しく、龍華が少しだけ照れていた。
その時、スマホが震えた。
涼花
『今日どうしてるのー!?』
優里
『龍華、帰りは遅くなりますか?』
「……」
「……」
龍華が画面を見て、肩をすくめた。
「ほんと勘いいな、あいつら」
「姉妹だからな」
「便利な言葉だ」
「お前もよく言うだろ」
すると、龍華は立ち上がってジャケットを整えた。
「今日は帰る」
「早いな」
「これ以上いると、優里が静かに来るし、涼花は騒がしく来る」
「その分析は正確だな」
「だろ」
玄関まで見送ると、龍華は靴を履いてから振り返った。
「次、また出るぞ」
「もう次か」
「部屋の外、悪くなかったし」
「……まあ、俺もそう思った」
そこまで言うと、龍華は少しだけ目を細めた。
「じゃあ決まりだな」
「勝手に決めるな」
「今さらだろ」
そう言って、龍華は満足そうに帰っていった。
どうやら令嬢三姉妹の長女は、部屋の中だけじゃなく、外の時間まで自然に自分のものへしていくらしい。
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