学年一可愛い令嬢三姉妹は、最後に順番が回ってくる長女がいちばん厄介でいちばん近い
優里が帰ったあと、部屋の中にはしばらく静かな余韻だけが残っていた。
ローテーブルの上には、紺色の栞。
俺の袖をつまんだ、あの細い指先の感触が、妙に消えない。
涼花はまっすぐで、
優里は静かで、
龍華は遠慮がない。
この前、自分でそう言ったくせに、こうして一人ずつ相手にしていると、その違いが思っていた以上に大きいことを実感する。
しかも厄介なことに、三人ともちゃんと“自分のやり方”でこっちへ来る。誰かの真似をするんじゃなくて、それぞれが自分の武器で距離を詰めてくるから、対処が雑にはできない。
そして。
その残る一人が、たぶんいちばん面倒だ。
翌朝、俺は半分確信しながら教室へ入った。
案の定、休み時間になる前から廊下の向こうに銀髪が見えた。
龍華だ。
教室の外、窓際にもたれるみたいに立っていて、こっちを見つけると軽く顎をしゃくる。
来い、の合図だった。
もう慣れてきた自分が嫌だ。
廊下へ出ると、龍華はいつものように前置きなく言った。
「今日、空けとけ」
「嫌な命令形だな」
「命令だからな」
「開き直るな」
龍華はふっと笑った。
「優里の次が私なの、分かってるだろ」
「順番制を本当に採用するな」
「お前が決めたわけじゃないけど、流れはそうだ」
否定しづらかった。
涼花が勢いで取り、
優里が静かに取った。
なら次は龍華だと、この長女が考えるのは自然なのかもしれない。
自然なのかもしれないが、納得したくはない。
「今日は何だよ」
「私服で来る」
「聞いてない」
「今言った」
「そういう意味じゃない」
「あと、お前の部屋」
「また当然みたいに言うな」
「いいだろ。私が一番慣れてる」
そこを誇るのをやめろ。
龍華はそれだけ言うと、授業開始のチャイムが鳴る前にさっさと二年の教室へ戻っていった。
後ろ姿まで迷いがない。
あいつ本当に、自分の番だと思ってるんだな。
その日の授業は、内容よりも放課後のことが頭の片隅に居座っていた。
涼花や優里と違って、龍華は来る前から距離が近い。言葉も、目も、踏み込み方も、いつだって一歩深い。
そこへ“一人の時間”なんてものが加わったら、ろくなことにならない予感しかしなかった。
放課後、寄り道せずに帰ったのは、逃げても無駄だと思ったからだ。
そしてその判断は正しかった。
アパートの前には、見慣れないバイクが停まっていた。
黒くて、無駄のないフォルムの少し大きめのバイク。
俺は一瞬、自分の住んでいる場所を間違えたかと思った。
「……誰のだよ」
「うちの」
上から声が降ってきた。
見上げると、共用廊下の手すりに肘を乗せた龍華がいた。
私服姿だった。
黒のロングスカートに、薄いグレーのトップス、その上に短めのジャケット。動きやすいのに洒落ていて、しかも気取って見えない。育ちのいい女が、わざと少しラフにしている感じがあって、余計に目を引く。
「……お前、何してるんだ」
「迎え」
「部屋は?」
「あとで行く」
あとで行く前提なのかよ。
階段を上がると、龍華はバイクのキーを指でくるっと回した。
「乗るぞ」
「は?」
「その顔いいな。想定してなかっただろ」
「当たり前だろ。なんでいきなりバイクなんだよ」
「私が乗りたいから」
「理由が最低限すぎる」
「あと、お前と二人で出かけるなら、車よりこっちの方が隠れやすい」
その言い方で、少しだけ言葉が止まる。
「……隠す必要あるのか」
「あるだろ。お前、学校でも街でも目立つの嫌いだし」
そこでそういう気遣いを混ぜてくるのがずるい。
結局、俺は押し切られた。
ヘルメットを渡され、バイクの後ろへ乗る。
令嬢の長女にバイクで連れ出される高校生男子、という絵面がもう意味不明だ。しかも龍華の運転は、見た目に反してかなり安定していた。無駄に飛ばしたりもしない。必要以上に怖がらせない程度に、でもちゃんと速い。
夕方の風が、ヘルメットの隙間から入り込む。
街の熱が少しずつ薄れて、車の列や信号の光が流れていく。
行き先は、海沿いの高台にある展望公園だった。
市内が少し見下ろせる場所で、夕方から夜に変わる時間帯は景色がいい。たしかに、学生同士が来るような場所ではあるが、平日のこの時間なら人は少ない。
バイクを降りると、龍華はヘルメットを外して軽く髪をかき上げた。
銀色の髪が夕焼けに少しだけ赤みを帯びる。
その姿が妙に絵になって、少し腹が立った。
「どうだ」
「何が」
「デートっぽいだろ」
「は?」
いきなり爆弾を投げるな。
龍華はその反応を見て、喉の奥で笑った。
「冗談だ」
「顔が冗談じゃないんだよ」
「そうか?」
とぼけるな。
公園のベンチへ座ると、街の灯りが少しずつ増えていくのが見えた。
海の方はもう暗くなり始めていて、風が昼間よりも涼しい。
「で」
俺は隣に座る龍華へ言う。
「何のつもりだよ」
「何が」
「一人時間だの、迎えだの、デートっぽいだの」
「全部そのままの意味だろ」
龍華は正面を見たまま言う。
「お前、最近、涼花と優里にはちゃんと時間使ってる」
「お前とも使ってるだろ」
「三人一緒の時は別だ」
「……」
「一人で欲しい」
その言い方は、思っていたより静かだった。
「私はそういうの、ちゃんと言う方が得意じゃないからな」
「十分言えてると思うけど」
「お前にだけは言われたくない」
龍華はそこでようやくこっちを見た。
強い目だ。
でも、いつものような挑発だけじゃなくて、少しだけ本気が見える。
「優里は丁寧に入ってくるし、涼花は真正面から来る」
「うん」
「じゃあ私は、奪いに来るしかないだろ」
言い切りやがった。
「その発想、ほんと怖いな」
「でも、嫌ならお前は乗らない」
さっきのバイクのことだろう。
「それは……」
「だから、乗った時点で私の勝ち」
龍華は少しだけ満足そうに笑う。
そういう理屈の組み立て方、本当にこの長女らしい。
「勝ち負けで考えるなよ」
「恋愛ってそういうとこあるだろ」
さらっと恋愛って言うな。
でも、龍華はもう隠す気がないらしい。
三姉妹の中で、たぶん一番そこを曖昧にしていないのはこの人かもしれない。
「お前、俺のことどう思ってるんだ」
気づけば、そんなことを聞いていた。
自分でも少し驚く。
龍華は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに口元を上げた。
「今さら聞く?」
「今さらでも」
「好きだよ」
即答だった。
息をするみたいな速さで、迷いもなく。
「そういう意味で」
そこで追い打ちまで入れてくる。
逃げ道を残さないのが龍華だ。
「……」
「なんだ、そこで黙るのか」
「黙るだろ」
「私は黙らない主義だ」
「便利な主義持ちすぎだな」
「お前相手だと、黙ってると取られる」
それは、優里と涼花のことも含んでいるんだろう。
三姉妹の中で、誰がどのくらい本気か。最近はもう、そこを隠していない。
「じゃあ、お前は」
龍華は、ほんの少しだけ前へ身を乗り出した。
「私のこと、どう思ってる」
またそれだ。
しかも龍華のこの距離感で聞かれると、逃げ場がない。
「答えろよ」
「急かすな」
「急かす。今日ここに来た理由の一つだし」
ほんとに容赦がないな。
「……お前は、強い」
「知ってる」
「最後まで聞け」
「悪い」
悪い顔してないだろ、それ。
「強いし、近いし、遠慮がない」
「褒めてる?」
「半分くらい」
「また半分か」
「でも」
俺は少しだけ息をつく。
「一番、俺を普通に扱う」
龍華の表情が少し変わった。
得意げでも、からかうでもなく、まっすぐこっちを見る顔になる。
「屋敷とか、西園寺家とか、そういうの抜きで、お前が自分でここに来て、自分でくつろいで、自分で笑ってる感じがする」
「……」
「たぶん、そのへんが一番お前っぽい」
龍華は少しだけ黙った。
風が髪を揺らす。
「……それ、かなり効くな」
やがて、小さくそう言った。
「そうかよ」
「うん。うれしい」
照れたように視線を逸らすのが珍しい。
この長女でも、そういう顔をするんだなと思った。
「神谷」
「なんだ」
「私、三人の中で一番お前の部屋に馴染んでる自信ある」
「その自信は知ってる」
「だから、部屋だけじゃ足りなくなってる」
その言葉が、思っていたより重かった。
「お前の外側の時間も欲しい」
バイクで迎えに来て、こうして連れ出して。
それがつまり、そういうことなんだろう。
「……それは、かなり本気だな」
「今さら気づいたのか?」
「気づいてたけど、認めたくなかった」
「正直でよろしい」
龍華は笑ったあと、ふっと立ち上がった。
「行くぞ」
「どこへ」
「お前の部屋」
「結局戻るのかよ」
「当たり前だろ。最終地点はそこだ」
この人にとって、俺の部屋はもう完全に“帰る場所”の一つらしい。
その認識がだいぶ危険だと思う。
部屋へ戻ると、龍華は本当にいつも通りの顔で上がり込んだ。
さっきまであんな会話をしていたくせに、ラグへ座る仕草も、クッションを抱える動きも自然すぎる。だから余計に、さっきの言葉だけが強く残る。
「なんか飲むか」
「冷たいの」
「了解」
冷蔵庫を開けて麦茶を出す。
コップを二つ置く。
そういう何でもない動作の一つ一つが、妙に意識される。
龍華はコップを受け取ると、しばらく黙って飲んでいた。
それから、不意に俺のキーホルダーについたライトを見つける。
「ちゃんと使ってるな」
「この前も言われた」
「言う」
龍華は少しだけ目を細める。
「私が渡したもんが、お前の生活に入ってるの、結構好きだし」
涼花とは違う。
優里とも違う。
龍華の言葉は、全部自分の印を残していく感じがする。
「お前ら、三人ともそういうこと言うんだな」
「一緒にするな」
「そこは嫌なんだ」
「当たり前だろ」
即答。
しかも、少しだけ真剣だった。
「私は、私の分だけ残りたい」
その一言に、息が少し詰まる。
「お前」
「なんだ」
「今日、だいぶ危ないな」
「知ってる」
知ってるのかよ。
しかも自覚ありか。
龍華は立ち上がって、俺のすぐ近くまで来た。
前に来られるだけで、この部屋の距離はすぐなくなる。
「神谷」
「……なんだよ」
「一番じゃなくていい」
「は?」
「でも、ちゃんと特別にはなりたい」
そう言って、龍華は俺の胸元を指先で軽くつついた。
力はない。けれど、逃げるには近すぎる。
「覚えとけ」
その目が、妙にまっすぐだった。
「私は、お前のことかなり本気で取りに来てる」
言い切ってから、龍華はふっと笑う。
逃げるための笑いじゃなくて、ちゃんと伝えたあとの笑い方だった。
その時、スマホが震えた。
またかよ、と思う。
画面を見る。
涼花から『今日は誰の番!?』
優里から『龍華、あまりいじめすぎないでください』
「……」
「……」
龍華が画面を見て、鼻で笑った。
「勘いいな、ほんと」
「お前らの姉妹感応どうなってるんだよ」
「便利だろ」
「よくない」
龍華はこっちの反応を見て満足したのか、少しだけ肩の力を抜いた。
「今日は帰る」
「珍しいな」
「帰らないと、あいつら本当に来る」
それはありえる。
どころか、かなり高確率だ。
玄関まで見送ると、龍華は靴を履いたあとで振り返った。
「次は予約なしで来るかも」
「ルール守れ」
「お前が止めたら考える」
「止められると思ってるのか」
「そこはお前次第だな」
最後までずるいことを言って帰っていった。
扉が閉まってから、俺はしばらく玄関に立ったままだった。
どうやら令嬢三姉妹の長女は、一人時間の順番が回ってくると、一番最初に本気を言葉へしてくるタイプらしい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!




