学年一可愛い令嬢三姉妹は、一人時間の順番が回ってくると静かな令嬢ほど容赦がない
涼花が帰ったあと、しばらく俺はまともに動けなかった。
部屋の中には、食べ終わったゼリーの甘い匂いがまだ少し残っている。
ローテーブルの上には空になったガラス容器と、飲みかけの麦茶。さっきまで涼花が座っていたラグの端は、何もないはずなのに妙に気配だけが残っていた。
「……好きになるなら、本気で行かなきゃだめ、か」
声に出してみると、余計に破壊力が増す。
あいつは本当にずるい。いや、ずるいというより、真っ直ぐすぎるのかもしれない。遠回しにできないくせに、言う時はきっちり急所を狙ってくる。しかも本人は、そこまで計算していない顔をしているから余計に質が悪い。
俺は額を押さえながら、テーブルの上のスマホを見た。
龍華から『たぶんって何だよ』
優里から『涼花、帰りに連絡させてください』
涼花が帰ったあと、結局その二人にも短く返した。
『無事帰った』『暴走はしたけど元気』とだけ。
それで終わるわけがないだろうとは思っていたが、案の定、夜になってから優里から追加のメッセージが来た。
『神谷くん』
『明日、少しだけお時間いただけますか?』
短い文だった。
短いのに、妙に逃げ道がない。
しかも、続けて送られてきたもう一文がさらによくなかった。
『ちゃんと、私の番にしたいので』
……だから、そういうのを文字で残すな。
翌朝、俺は軽く寝不足だった。
教室へ入ると、涼花はいつものように元気だった。
いや、元気というより、吹っ切れていた。昨日までの探るような感じが薄れていて、むしろ妙に堂々としている。目が合えば笑うし、近くへ来れば普通に話す。ただ、その笑顔の奥に、昨日の一言がちゃんと居座っているのが分かる。
「おはよ!」
「……おはよう」
「眠そう」
「誰のせいだよ」
「えへへ」
否定しないのかよ。
そこへ、教室の後ろから優里が顔を出した。
いつも通りのやわらかい微笑み。けれど、今日はその奥にほんの少しだけ強い意志が見える気がした。
「神谷くん、おはようございます」
「おはよう」
「今日、放課後」
「……ああ」
「よろしくお願いしますね」
涼花が、そのやり取りを横で聞いていた。
ほんの少しだけ口を尖らせたあと、すぐに言う。
「優里お姉ちゃん、ちゃんとルール守ってる」
「大事なことですから」
「うー」
「お前が言い出したんだろ、そのルール」
「そうだけど!」
教室の空気が微妙にざわつく。
最近はもう、俺と西園寺三姉妹の間で何かしら約束事があることすら、周囲の連中には薄く伝わり始めている気がする。最悪だ。
午前中の授業は、思った以上に落ち着かなかった。
理由は優里だ。
涼花みたいに分かりやすく視線を飛ばしてくるわけじゃない。龍華みたいに露骨なからかいを入れてくるわけでもない。
ただ、ふとした瞬間に思い出す。
昨日のメッセージ。
“ちゃんと、私の番にしたいので”という一文。
あれを、あの静かな令嬢が送ってきたという事実。
正直、涼花よりこっちの方が危険だと思った。
放課後。
校門を出ると、今日は車ではなかった。
優里は一人で立っていた。
制服のままではなく、淡いベージュのブラウスに細いリボンのついたスカートという、学校帰りと私服の中間みたいな格好だ。気合いを入れすぎた感じはない。でも、その自然な整い方が、この人の育ちの良さを余計に際立たせていた。
「今日は車じゃないんだな」
俺がそう言うと、優里は少しだけ笑った。
「たまには、普通に歩いてみたくて」
「普通、ねえ」
「神谷くんと一緒なら、普通に近づくかなって」
その返しはずるい。
しかも、言った本人は本当にそう思っている顔をしている。
結局、俺たちは駅前の通りをそのまま歩いた。
高級車に乗るより、こっちの方が余計に落ち着かない。学校帰りの生徒や買い物帰りの主婦とすれ違うたびに、妙に現実感が強くなるからだ。
優里は歩幅をちゃんと俺に合わせていた。
会話も多すぎない。沈黙が続いても焦らず、必要な時だけ自然に口を開く。その距離感が、この人の一番厄介なところだと思う。
「今日は、うちには寄りません」
歩きながら、優里が先に言った。
「そうなのか」
「はい。今日は神谷くんのお部屋の方がいいので」
「毎回それ言うな」
「本心なので」
本心だから困る。
アパートへ着いて、階段を上がって、鍵を開ける。
その一連の流れが、優里と二人だと妙に静かだった。
涼花ならここで何かしらはしゃぐし、龍華なら当たり前みたいな顔をして先に入る。優里は違う。俺が先に鍵を開けるのを待って、それから「お邪魔します」と小さく言って入る。
なのに、入ったあとの馴染み方はしっかりしている。
そのギャップが、またこの人らしい。
「今日は何を持ってきたんだよ」
俺が言うと、優里は少しだけ目を細めた。
「もう前提なんですね」
「お前らが何も持たずに来る方が珍しい」
「それはそうかもしれません」
そう言って、優里は鞄から細長い箱を取り出した。
「栞です」
「栞?」
「はい。神谷くん、本の途中で適当な紙を挟むことがあるでしょう?」
「……見てるな」
「見てます」
あっさり認めるな。
箱の中には、革の栞が二枚入っていた。
片方は深い紺色。もう片方は柔らかい灰色。余計な飾りはないが、細い金の箔押しで小さな模様が入っていて、上品だった。
「二枚あるのは?」
「使い分け用です」
「律儀だな」
「それと」
優里は少しだけ間を置いた。
「私と、もう一枚」
「……は?」
「お揃い、みたいで嫌でしたか?」
そんな言い方をするな。
嫌なわけがない。
ないけど、その発想をこの人がさらっと出してくるのが危ない。
「嫌ではない」
「よかったです」
優里はほんの少しだけ、本当に少しだけ嬉しそうに笑った。
その笑い方が静かすぎて、逆に効く。
俺たちは紅茶じゃなく、今日は冷たい麦茶を飲んだ。
夕方の気温が高かったし、優里も「今日は神谷くんのお部屋らしく」と言っていたからだ。そういうところも、妙に気遣いが細かい。
ローテーブルの上に栞を置いて、二人で向かい合う。
昨日の涼花とは違う静けさだった。
賑やかさが減ったぶん、優里の視線や声のやわらかさが、全部そのままこちらへ届く。
「昨日、涼花から聞きました」
優里が先に口を開いた。
「何を」
「試合のあと、ちゃんと褒めてもらえたって」
「……なんで共有されてるんだよ」
「嬉しかったんだと思います」
それはまあ、見れば分かる。
「でも」
優里はそこで少しだけカップを置く。
「少し羨ましかったです」
「何が」
「涼花が、あんなふうに正面から言えることが」
その一言は、思っていたより静かだった。
「私は、あそこまでまっすぐには言えないので」
「そうか?」
「そうです」
優里は微笑む。
でも、それは自嘲じゃなくて、どこか納得した笑い方だった。
「私は、考えてから言葉にする方だから」
「それは知ってる」
「だから、神谷くんがちゃんと受け取ってくれないと、届かないことが多いです」
受け取ってくれないと、届かない。
その表現が、妙に胸に残る。
「昨日の私のメッセージ、少し重かったですか?」
不意打ちだった。
「……少し」
正直に答えると、優里は目を伏せて少し笑った。
「ですよね」
「自覚あるのか」
「あります」
そこで視線を上げる。
やわらかいのに、真っ直ぐだ。
「でも、ああやって言わないと、神谷くん、私のことは後回しにしそうだったので」
「そんなこと」
「あります」
またすぐに切られた。
「神谷くん、涼花には勢いで押し切られるし、龍華には既成事実で押し切られるでしょう?」
「その言い方どうなんだ」
「事実ですから」
否定できなかった。
「だから、私はちゃんと言葉で予約したかったんです」
予約。
その単語を、この人がこんな静かな顔で使うのがいちいち危険だ。
「私の番ですって、分かるように」
「……」
「それで、今日来ました」
ちゃんと段取りを踏んで、ちゃんと番を取って、ちゃんと一人で来た。
その事実が、優里らしすぎた。
「お前はほんと……」
「なんですか?」
「静かなのに、やることは一番きっちりしてるな」
「褒められてます?」
「半分くらい」
「では、半分はいただきます」
そうやって笑う。
涼花ならここで大きく喜ぶし、龍華ならもっと踏み込んでくる。優里は違う。笑って、少しだけ間を空けて、それから次の言葉を置く。
「神谷くん」
「なんだ」
「私、焦ってるんです」
その告白は、さすがに予想外だった。
「焦ってる?」
「はい」
「何に」
優里は少しだけ視線を落としてから、ゆっくりこっちを見た。
「涼花はまっすぐですし、龍華は強いので」
「お前も十分強いと思うけど」
「そう見えるようにしているだけです」
そう言った優里の顔は、少しだけ大人びていて、少しだけ年相応だった。
完璧に整った令嬢じゃなくて、ちゃんと恋をしている女の子の顔に見えた。
「私は、二人みたいに勢いで行けないから」
「……」
「でも、だからといって見ているだけなのも嫌なんです」
優里はそこで、そっと手を伸ばした。
驚くほど自然に、俺のシャツの袖をつまむ。
ほんの少し。
引っ張るわけでもなく、そこに触れているだけの力。
それなのに、心臓が変な音を立てる。
「だから、ちゃんと近づきたいです」
その声は小さい。
でも、一番近い場所で言われると逃げ場がなかった。
「神谷くんの中で、優里ってちゃんと残りますか?」
自分の名前を自分で呼ぶ時の、この人の丁寧さがずるい。
「残るよ」
答えは、意外なほどすぐに出た。
「お前は、静かだけど強いし、言葉選んでるようでちゃんと踏み込んでくるし」
「それ、褒めてますか?」
「半分くらい」
「また半分ですね」
「でも」
俺は少しだけ息をついた。
「忘れられるタイプじゃない」
優里が、ぴたりと動きを止めた。
それから、目を細める。
すごく静かな、でもすごく嬉しそうな笑い方だった。
「……それ、かなりうれしいです」
「そうかよ」
「はい」
袖をつまんだまま、優里は少しだけ近づいた。
距離としては大したことはない。
でも、この人の場合、その“少しだけ”が一番危ない。
「じゃあ、もう少しだけ残ることをしてもいいですか?」
「何する気だ」
「まだ決めてません」
「決めてから聞けよ」
「今、考えてます」
笑い方が柔らかいのに、内容はかなり攻めている。
「……お前も十分ずるいな」
「よく言われます」
「誰にだよ」
「今、神谷くんに」
そこで会話が止まる。
優里の指先はまだ俺の袖をつまんだままだった。
静かだった。
涼花といる時みたいな明るい熱じゃない。
龍華といる時みたいな張りつめた緊張でもない。
やわらかいのに、じわじわ逃げ場をなくす感じ。
それが優里の一人時間なんだと、ようやく分かった。
その時、テーブルの上のスマホが震えた。
「……」
「……」
タイミングが悪すぎる。
画面を見る。
龍華から『優里、まだいるか』
涼花から『優里お姉ちゃん、帰ってないよね!?』
「勘良すぎないか、あいつら」
思わず呟くと、優里が小さく笑った。
「姉妹ですから」
「便利な言葉だな」
「便利です」
そこで、優里はようやく俺の袖を離した。
だが、その代わりみたいに、ローテーブルの上の紺色の栞を軽く押してこちらへ寄せる。
「これは、ちゃんと使ってくださいね」
「使うよ」
「私のこと、思い出すので」
さらっと言うな。
最後の最後でそんな一言を置いていくな。
「……お前、本当に静かな顔でえぐいこと言うよな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「そういうところだ」
優里は立ち上がって、スカートの裾を整えた。
その所作がやっぱり綺麗で、ここが俺の六畳一間だということを一瞬忘れそうになる。
「今日は帰ります」
「帰るのか」
「はい。あまり長いと、涼花が本当に押しかけてきそうなので」
それはありえる。
龍華まで一緒に来たら目も当てられない。
「神谷くん」
玄関へ向かう前に、優里が振り返る。
「次は、予約じゃなくても来ていいですか?」
「ルール壊すの早いな」
「だって、予約だと少し味気ないので」
「味気ないってなんだ」
「会いたい時に会いたい、ということです」
それを、そんな静かな顔で言うな。
優里はそれ以上は何も言わず、ただやわらかく笑って部屋を出ていった。
扉が閉まってから、俺はしばらくその場で動けなかった。
どうやら令嬢三姉妹の次女は、一人時間になると一番静かに、でも一番深く残る言葉を置いていくらしい。
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