学年一可愛い令嬢三姉妹は、一人で入り浸る順番まで静かに競い始める
翌朝、教室へ入った瞬間から、嫌な予感はしていた。
龍華が昨日、一人で俺の部屋へ来たこと。
しかも、普段の図々しさに紛れて流せないくらい、妙に距離の近いやり取りまであったこと。
それを、他の二人が察しないわけがない。
案の定、朝から涼花の視線がやたらとこっちへ飛んでくる。
いつもの「おはよー!」の勢いはある。あるのだが、そのあとに続く観察の密度が違った。俺の顔、机の上、鞄、そしてまた顔。分かりやすすぎる。
「……何見てるんだよ」
耐えきれずに言うと、涼花はびくっと肩を揺らした。
「み、見てないよ!?」
「見てるだろ」
「ちょっとだけ!」
「見てるじゃねえか」
俺がそう返すと、涼花はむぅと唇を尖らせた。
「だって、気になるし」
「何が」
「その……昨日」
「昨日?」
「龍華お姉ちゃん、どのくらいいたのかなーって」
やっぱりそこか。
聞き方は軽い。
でも、その目は全然軽くない。
何気ないふりをしているくせに、答えをかなり真面目に欲しがっている顔だ。
「普通に茶葉の缶とクロス回収して帰った」
「普通に?」
「普通に」
「ほんとに?」
「なんで疑うんだよ」
「だって龍華お姉ちゃんだよ!?」
それはそうだな、と思ってしまったのが少し悔しい。
「……お前の姉に対する信頼、どうなってるんだ」
「あるよ!? あるけど、別方向に!」
「別方向ってなんだ」
「強引な方向!」
否定しづらい。
そこへ、教室の後ろから静かな声がした。
「涼花、朝から神谷くんを困らせないの」
優里だった。
涼花が「うっ」と詰まる。
姉の一言で勢いが止まるあたり、やっぱり分かりやすい。
優里はそのまま俺の席の近くまで来ると、いつものやわらかい笑みを向けた。
「おはようございます」
「おはよう」
「昨日、龍華から茶葉の缶は回収できたと聞きました」
「……そう」
「それはよかったです」
そこで終わるかと思った。
けれど優里は、ほんの少しだけ間を置いて続けた。
「それと、母様が昨日のお礼も兼ねて、今度こそ庭でお茶をどうかと」
「……今度こそ?」
「昨日、比較するとお話ししたでしょう?」
比較。
どっちの方が落ち着くか、というあれだ。
たしかにそんな話はした。
したけど、それを本当に実行に移すのか。
「今日の放課後、お時間ありますか?」
さらっと言うな。
しかも教室で。
俺が少し黙ると、涼花がすぐに割り込んできた。
「えっ、ずるくない!?」
「ずるくないです」
優里は表情ひとつ変えずに返した。
「昨日、龍華が先でしたから」
「それ言っちゃう!?」
「事実ですから」
静かなのに強い。
しかも理屈が通っているから厄介だ。
俺が何も言えずにいると、優里は少しだけ首を傾げた。
「駄目ですか?」
その聞き方は反則だろ。
断れないのを分かっているのか、分かっていないのか。
たぶん半々だ。
「……少しだけなら」
「ありがとうございます」
優里は満足そうに微笑んだ。
その横で、涼花が明らかに納得していない顔をしている。
「神谷くん!」
「なんだよ」
「感想ちゃんと教えてね!」
「何の」
「どっちが落ち着いたか!」
「本当に比較するのかよ」
「するよ!」
お前がするのか。
※ ※ ※
放課後。
校門を出たところで、俺はまた少しだけ現実感をなくした。
黒塗りの車が、昨日と同じように静かに待っていたからだ。
ただ、昨日と違うのは、その横に立っているのが優里一人だったことだった。
制服姿ではなかった。
いったん屋敷へ戻ったのか、淡い色のワンピースに薄いカーディガンを羽織っている。派手ではない。けれど、その控えめな上品さが、この人には妙なくらいよく似合う。
学校帰りの生徒たちが、ちらちらとこっちを見ていく。
そりゃそうだ。
名門校の有名令嬢が、車の前で一人、男子生徒を待っているのだから。
「……目立つな」
思わず呟くと、優里が少しだけ困ったように笑った。
「すみません。できるだけ端に寄せてもらったんですけど」
「端に寄せる問題じゃないです」
「そうですね」
否定しないのかよ。
それでも、もうここまで来たら引き返せない。
俺は小さく息をついて、車へ乗り込んだ。
車内は静かで、涼しかった。
シートの感触ひとつ取っても、俺の知っている移動手段の格を軽く飛び越えてくる。乗るたびに思うが、やっぱりこの家の令嬢たちは住む世界が違う。
なのに、そういう人間が、今は俺の隣で穏やかな顔をしている。
「緊張してますか?」
優里が聞いた。
「少し」
「正直ですね」
「嘘ついてもどうせ分かるだろ」
「たぶん」
やっぱりか。
車窓の外を流れる街並みは、駅前から少し離れるにつれて落ち着いた住宅街へ変わっていく。
やがて高い塀と手入れされた植え込みが見えてきて、西園寺家の門がゆっくり開いた。
何度見ても、家というより施設だと思う。
広い庭。長いアプローチ。奥に見える本邸。どこを切り取っても、俺の暮らしとは距離がありすぎる。
優里はそんな景色の中でも、肩肘張る様子はなかった。
ここが自分の家であることを、自然に知っている人間の動きだ。
屋敷へ入るかと思ったら、今日はそのまま庭の奥へ案内された。
バラのアーチを抜け、小道を進み、噴水のある小さなテラスへ出る。
白いテーブルセットが用意されていて、その上にはすでにティーセットと菓子皿が整えられていた。
……本当にやるのか。
比較のためのお茶会を。
「母様が張り切ってしまって」
優里が少しだけ苦笑する。
「張り切る規模がでかいな」
「神谷くんをお招きするなら、ちゃんとしなさいって言われました」
「令嬢の家の“ちゃんと”は重い」
「ふふ」
優里が椅子を引いてくれる。
そこまでされると、もう腹を括るしかない。
座ると、庭の空気が思っていたより静かだった。
鳥の声と、噴水の水音と、少しだけ風に揺れる葉の音。屋敷の中よりもずっと柔らかい。手入れされすぎているはずなのに、不思議と息苦しさはなかった。
「どうですか?」
優里が紅茶を淹れながら聞いてくる。
「きれいだな」
「はい。私もここは好きです」
細い指先でカップを持つ仕草が、昨日以上に令嬢らしい。
家の外で見る優里とも、俺の部屋で見る優里とも少し違う。こっちが、この人の本来の空気なんだろう。
紅茶が注がれる。
今日は昨日より少し軽めの香りだった。焼き菓子も、小ぶりで食べやすいものが並んでいる。
「今日のは、昨日よりあっさりめです」
「比較仕様か」
「そういうことです」
優里は微笑みながら、自分のカップにも紅茶を注いだ。
しばらくは、本当に静かな時間だった。
昨日みたいに涼花が騒ぐわけでもなく、龍華が横から茶々を入れるわけでもない。優里は必要以上に喋らないし、俺も無理に何か言う方じゃないから、庭の音だけが自然に二人の間を埋めていく。
その沈黙が、不思議と苦じゃなかった。
「神谷くん」
やがて優里が、カップを置きながら言った。
「昨日、龍華と二人だったんですよね」
「……なんで知ってる」
「龍華、隠す気あまりなかったので」
あいつめ。
「それで、少し思ったんです」
「何を」
「私も、一度ちゃんと二人で話したいなって」
視線が合う。
優里の目は、やわらかいのに逃げ道がなかった。
「三人で一緒だと、どうしても賑やかでしょう?」
「まあ」
「それはそれで楽しいです。でも、神谷くんが本当に何を考えているのか、ゆっくり見えるのは一対一の時だと思ったので」
そんなふうに言われると、こっちまで変に意識してしまう。
「……見てどうするんだよ」
「どうもしません」
「即答だな」
「ただ、知りたいだけです」
知りたい。
その言葉が、妙に胸に残った。
「神谷くん、最近は前よりちゃんと笑うようになりました」
優里が続ける。
「龍華に意地悪を言われた時とか、涼花に振り回された時とか、前は本気で嫌そうな顔だけでしたけど、今はそこに少しだけ楽しそうなのが混じる」
「細かいな」
「見てますから」
さらっと言われた。
「それと」
優里は少しだけ視線を伏せた。
「私たちのことで面倒なことが起きた時、神谷くんはちゃんと怒ってくれる」
黒瀬のことだろう。
「怒ってるつもりはあんまりないけど」
「それでもです」
優里は静かに首を振る。
「私、あの時うれしかったんです」
「……何が」
「私たちのためというより、神谷くん自身の線を守ってくれたことが」
それは、少し意外な言い方だった。
俺はただ、勝手に名前を使われたのが気に食わなかった。
でも優里は、そこに別の意味を見ていたらしい。
「神谷くん、優しいですけど、自分のことは後回しにするでしょう?」
「そんなことない」
「あります」
静かに断言された。
「だから、自分のためにちゃんと怒ってくれて、少し安心しました」
その言い方は、ずるかった。
俺が見せたものを、そのまま肯定するんじゃなくて、俺の内側まで少しだけ救う言い方だったからだ。
「……お前は」
気づいたら、そう口にしていた。
「たまに反則みたいなこと言うな」
「反則ですか?」
「そういうの、慣れてない」
「では、少しずつ慣れてください」
優里はやわらかく笑った。
その笑顔が綺麗すぎて、少しだけ視線を逸らす。
すると、優里が小さく息をついて、少しだけ声を落とした。
「昨日、涼花が言っていたでしょう」
「何を」
「一人で行ってもいいか、って」
「ああ……」
思い出しただけで少し落ち着かなくなる。
「私も、同じことを思ってました」
「……」
「神谷くんのお部屋に、一人で行ってみたいって」
真正面から言うな。
庭の静けさも相まって、余計に破壊力が高い。
「理由は、昨日言った通りです」
優里はカップの縁へ指先を添える。
「神谷くんの場所で、神谷くんをもっとちゃんと知りたい」
心臓に悪い。
「それって、かなり危ない発言だって自覚あるか?」
「あります」
「あるのかよ」
「でも、誤解されたくないわけじゃないです」
その一言で、呼吸が少し止まった。
優里はそこでようやく、ほんの少しだけ頬を染めた。
それまでずっと余裕のある顔をしていたのに、そこでだけ令嬢の仮面が薄くなる。
「……だめですか?」
やっぱり最後はそれだ。
その聞き方は、ずるいし、強い。
「駄目、ではないけど」
「では?」
「心臓に悪い」
正直に言ってしまった。
すると優里は一瞬目を丸くして、次の瞬間、すごく小さく笑った。
「よかった」
「何がだよ」
「私だけじゃなかったので」
その返しまで綺麗かよ。
もう駄目だ。
この人、本気で距離を詰める時は、涼花みたいに勢いで来るんじゃなくて、逃げられない言葉を静かに積んでくる。
しかも、今日は場所まで完璧だった。
西園寺家の庭。令嬢の紅茶。穏やかな風。そんな中で、優里が一人だけでこっちを見ている。
意識するなという方が無理だろ。
そのまましばらく、二人で静かにお茶をした。
さっきまでより会話は少しだけ増えたが、騒がしさは戻らない。むしろ、少しだけ親密さが増した静けさに変わった。
日が傾き始めた頃、優里は車で俺をアパートまで送ってくれた。
そして、ここで終わるならよかった。
でも終わらないのが、西園寺三姉妹だ。
アパートの前に着くと、そこには見覚えのある金髪が立っていた。
「……」
「……」
車を降りた瞬間、涼花と目が合う。
なんでいる。
という問いは、口に出さなくても顔に出ていたらしい。
「ち、違うよ!?」
涼花が先に慌てた。
「待ち伏せとかじゃなくて! たまたま通りかかったっていうか、ちょっと気になっただけで!」
「それを世間では待ち伏せって言うんじゃないか?」
車の窓が下がって、龍華の声までした。
いつの間に乗ってたんだよ。
「龍華お姉ちゃん、黙って!」
「お前までいたのかよ!」
「優里が一人で行くなら、気になるだろ」
「そこを隠さないのか」
「隠す気もない」
すると助手席側から、優里が少しだけ困ったように笑った。
「すみません。途中で合流されました」
「“されました”じゃないよ!」
涼花が抗議する。
「優里お姉ちゃんだけずるいもん!」
「だから、お前らその発想をまずやめろ」
けれど、涼花の頬は少し膨れていて、優里は優里でどこか余裕があり、龍華は龍華で面白そうに目を細めている。
……ああ、そうか。
今日は優里の番で、昨日は龍華の番だった。
そして今、涼花がそれに対して一番分かりやすく張り合っている。
俺の部屋に入り浸る順番。
一人で来る口実。
誰がどれだけ俺の時間を取るか。
そんなことで、令嬢三姉妹が本気で競い始めている。
「神谷くん!」
涼花が、少しだけ真剣な顔で言った。
「今度はわたしの番だからね!」
「何のだよ」
「一人でゆっくり話す番!」
「順番制にするな!」
「でも公平でしょ!」
「公平の意味、辞書で引いてこい!」
すると、優里が車の窓越しにやわらかく微笑んだ。
「神谷くん」
「なんだ」
「今日は楽しかったです」
その一言が、涼花の頬をさらに膨らませる。
龍華はもう隠す気もなく笑っていた。
……どうやら、優里まで静かに煽る側へ回り始めたらしい。
令嬢三姉妹は、入り浸るだけじゃ飽き足らず、とうとう一人の時間まで取り合い始めていた。
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