学年一可愛い令嬢三姉妹は、一人で入り浸る口実まで上品に取り合う
昨日の帰り際、涼花が何気なく投げた「わたしだけでも来ていい?」という一言は、思った以上に尾を引いた。
翌朝、教室へ入った瞬間から、その余波はしっかり出ていた。
いつもなら俺を見つけるなり一直線に近づいてきて、「おはよー!」と教室の空気ごと明るくする涼花が、今日は妙に落ち着かない。遠くから何度もこっちを見てくるくせに、自分から来るタイミングを計っているのが丸分かりだった。
そして、ホームルーム前ぎりぎりになってようやく席の横へ来たと思ったら、いつもの勢いが少しだけ足りない。
「……おはよ」
「どうした。元気ないな」
「いや、あるよ!?」
「そうか?」
「そうだよ!」
声はいつも通り明るい。
でも、そのあとが続かない。
俺は鞄から教科書を出しながら、ちらっと涼花を見る。
耳が少し赤い。分かりやすいな、本当に。
「昨日のことなら忘れろ」
先にそう言うと、涼花はぴたりと固まった。
「な、なんで分かったの!?」
「それしかないだろ」
「うう……」
図星だったらしい。
涼花は机の端を指でとんとん叩きながら、少しだけ視線を泳がせた。
「だって、変なこと言ったかなって」
「変だったな」
「即答!?」
「でも、嘘ではないんだろ」
「……それは、まあ」
そこで素直になるなよ。
余計に困るだろ。
涼花はちらっと俺を見て、それから少しだけ小さな声で言った。
「神谷くんと、二人で話してみたいって思ったのは、本当だもん」
「……朝からそういうの言うな」
「やっぱり困ってる」
「困るだろ」
「えへへ」
急に嬉しそうになるな。
ただ、その直後、教室の後ろの扉から聞き慣れた落ち着いた声がした。
「涼花、少しいい?」
優里だった。
その一声で、涼花の背筋がぴしっと伸びる。
妙なところで姉の言葉に弱いんだよな、こいつは。
「う、うん。じゃあまたあとで!」
「おう」
涼花は去り際、俺の方を見て「忘れないでね!?」と意味不明な確認だけして走っていった。
忘れないでね、じゃない。
忘れたいのはこっちだ。
けれど、その日の西園寺家は、涼花だけじゃ終わらなかった。
昼休み、購買から戻る途中で優里に呼び止められた。
二年の廊下の窓際。
相変わらず、声のかけ方が静かで、それでいて断りづらい位置取りをしている。
「神谷くん、少しだけ」
「はい」
優里は周囲に人がいることを一度だけ確認してから、小さな声で言った。
「昨日、お部屋に茶葉の缶を置いてきてしまって」
「……ああ」
たしかに、昨日のお茶会のあと、ローテーブルの端に銀色の小さな缶が置かれたままだった気がする。
「もしよければ、今日の放課後に取りに伺ってもいいですか?」
言い方は丁寧だった。
丁寧なんだけど、内容が内容だ。
「いや、別に……取りに来るくらいは」
「ありがとうございます」
優里はそれだけで少しやわらかく笑った。
だが、そのやり取りをどこで見ていたのか、昼休みの終わり際に龍華が教室の前へ現れた。
「おい、神谷」
「なんだよ」
「優里、今日ちょっと委員会が長引くらしい」
「へえ」
「だから、茶葉の缶は私が回収しに行く」
「なんでそうなる」
「ついでに、昨日のクロスも置いてきただろ」
言われて思い出す。
白い刺繍入りのクロス。たしかに昨日、畳んで返しそびれていた。
「それもあるし、どうせ今日は涼花も部活ある。なら私が行くのが一番早い」
理屈としては通っている。
通っているのが厄介だった。
「……お前ら、口実作るのうまくなってないか?」
「失礼だな。全部本当だ」
「本当だから困るんだよ」
龍華はそこで、ほんの少しだけ口元を上げた。
「じゃあ、放課後」
それだけ言って去っていく。
なんなんだよ、本当に。
放課後、俺がアパートへ帰ると、予想通り、部屋の前には龍華が一人で立っていた。
三姉妹の誰かがいる光景自体には慣れ始めているはずなのに、一人だけ、となると話が変わる。
しかも今日の龍華は制服ではなかった。いったん家に戻ったのか、黒の細身のパンツに、ゆるく羽織ったシャツというラフな格好だ。肩まで流れる銀髪と相まって、そこだけ雑誌の一ページみたいな空気になっている。
ボロいアパートの廊下でやるな、そういうの。
「遅かったな」
「お前が早いんだよ」
「回収物があるからな」
「それ、絶対半分くらい建前だろ」
「半分で済むならいい方だ」
開き直るな。
鍵を開けて中へ入ると、今日はさすがに静かだった。
涼花の明るい声も、優里のやわらかい補足もない。龍華一人の気配だけが部屋へ落ちると、六畳一間の広さが妙に際立つ。
龍華は部屋へ入るなり、まずローテーブルの上の茶葉の缶と、畳んであったクロスを確認した。
「ほんとにその二つだけ回収しに来たのか?」
「それは本当」
「“それは”?」
「細かいな」
言いながら、龍華はクロスを手に取って、軽く畳み直す。
その仕草は妙に自然で、やっぱりこういうところは令嬢なんだなと思わせられる。雑に見えるくせに、所作が雑じゃない。
「で、もう帰るのか?」
俺がなんとなく聞くと、龍華はクロスを持ったままこっちを見た。
「帰ってほしいのか?」
「そういう聞き方ずるいな」
「答えろ」
「……別に、追い出すほどじゃない」
「なら座る」
龍華は当然みたいにラグの端へ座り込んだ。
もう本当に自然だな。
自分の部屋か?
「お茶でも飲むか」
「昨日の残りあるか?」
「ある」
「じゃあそれ」
「注文みたいに言うな」
キッチンに立って湯を沸かしながら、俺は妙な緊張を覚えていた。
三姉妹が揃っている時は、視線も会話も散るから、多少距離が近くても誤魔化せる。けれど、一人だとそうはいかない。部屋の中にある気配が、一方向からしか来ないぶん、妙に濃い。
「神谷」
龍華が、背後から俺を呼ぶ。
「なんだ」
「今日、静かだな」
「お前が一人だからだろ」
「それ、いつもはうるさいって言ってるようなもんだぞ」
「事実だろ」
「否定はしない」
あっさり認めるな。
紅茶を二つ淹れて戻ると、龍華はもうクッションを抱えて壁へもたれていた。
くつろぎ方が板についている。
「はいよ」
「ありがと」
龍華がカップを受け取る。
こういう時に礼をちゃんと言うのが、ずるい。
「優里の淹れ方の方がうまいな」
「一口目から辛口だな」
「事実だ」
「二回目だぞ、その言い方」
それでも、龍華はちゃんと飲んでいた。
部屋の中には、紅茶の匂いと、窓の外の夕方の光と、たまに遠くを通る車の音だけがある。
三姉妹が揃っている時とは全然違う静けさだった。
「で」
龍華がカップを持ったまま、こちらを見た。
「昨日の続きだけど」
「何の」
「誰が一番入り浸ってるかの話」
「まだやるのか」
「重要だろ」
「どこがだよ」
龍華は少しだけ目を細めた。
「少なくとも、私は一番最初からここにいた」
「それはそうだな」
「しかも、一人で来る回数も多い」
「そこを誇るな」
「事実確認だ」
そう言いながら、龍華はゆっくりカップを置いた。
「涼花は分かりやすいし、優里は丁寧に距離詰めてくる」
「お前、分析始めるなよ」
「でも、お前が一番油断してるのは私相手だろ」
その一言に、少しだけ言葉が止まる。
「……何を根拠に」
「こうして二人でも、普通に部屋に入れてる」
「それはお前が勝手に入ってくるからだろ」
「でも、本気で嫌なら鍵開けない」
反論できなかった。
龍華は、そこで少しだけ笑う。
「図星か」
「……お前、本当にそういう時だけ鋭いな」
「お前のことなら、結構分かる」
さらっと言うな。
そういうのに慣れてないんだよ、こっちは。
「逆に聞くけど」
俺はごまかすように言った。
「お前はなんなんだよ」
「何が」
「なんでそんなにここ来るんだ」
龍華は、珍しくすぐには答えなかった。
窓の外へ少しだけ視線を向けて、それから低く言う。
「楽だから」
「それだけか?」
「それだけじゃない」
あっさりと続けられて、今度はこっちが黙る番だった。
「ここだと、私が西園寺龍華じゃなくていい時がある」
その言い方は、思っていたより静かだった。
「家だと、長女とか、娘とか、そういうのが先に来る。学校でも、結局“西園寺家の姉”って目で見られるだろ」
「……まあ」
「でもここだと、お前が一番最初に見てくるの、そういうとこじゃないから」
そこで龍華は、こっちを見る。
「むかつくくらい普通に扱うし」
「褒めてるのか、それ」
「半分」
「じゃあ半分は貶してるな」
「そうかもな」
けれど、その口調は少しだけやわらかかった。
「だから、ここにいると楽だ」
それはたぶん、龍華の本音だった。
豪邸に住んで、使用人もいて、車もあって、不自由なんか何もないように見える。
でも、そういう肩書きの外側で息をつける場所が欲しいなら、その気持ちは少しだけ分かる気がした。
俺だって、この部屋では誰に見せるわけでもない自分でいられる。
それを今、龍華も同じように言っている。
「……そっか」
結局、それしか言えなかった。
すると龍華は、ほんの少しだけ目を細めた。
「その返しはずるいな」
「何が」
「今の、ちゃんと受け取った時の顔してた」
「知らん」
「私が言ったこと、嬉しかっただろ」
「なんでそうなる」
「分かる」
分かる、じゃない。
本当に、この長女はこっちの内側へずかずか入ってくる。
しかも、今日は一人だから誤魔化しがきかない。
「……お前、近い」
気づいた時には、龍華が少しだけ距離を詰めていた。
ラグの上、手を伸ばせば触れそうなくらい。
「そうか?」
「そうだよ」
「でも、逃げてない」
「逃げるとこまで詰めるな」
「へえ」
楽しそうに笑うな。
龍華はそのまま、俺のキーホルダーについた小さなライトへ視線を落とした。
「ちゃんとつけてるじゃん」
「まあ」
「使ったか?」
「昨日、鍵穴見えなくて助かった」
「ならよかった」
ほんの少しだけ得意げになるのが、またずるい。
俺の生活に入り込んで、それがちゃんと役に立ってると分かると、こういう顔をするのか。
「なあ、神谷」
「今度はなんだよ」
「次、優里か涼花が一人で来るって言ったら、入れるのか?」
「……質問が雑すぎる」
「答えろ」
「内容による」
「私は?」
「お前はもう入ってるだろ」
言った瞬間、龍華が声を立てずに笑った。
「それ、結構うれしい」
「なんでだよ」
「特別感あるから」
「どこにだ」
「私だけ、もう当たり前みたいにここにいる」
その言い方は、反則だった。
当たり前みたいにいる。
たしかにそうだ。
龍華は最初から一番図々しくて、一番自然に俺の部屋へ入り込んできて、気づけば俺もそれを受け入れている。
その事実を、本人がこうやって口にするのは卑怯だと思う。
「……調子乗るなよ」
やっとそれだけ返すと、龍華はさらに少しだけ近づいた。
「じゃあ、もっと特別にしてみるか?」
「は?」
「冗談だ」
「顔が冗談じゃないんだよ」
「そうか?」
そういう時だけ、とぼけるな。
心臓の音が少しだけうるさい。
三姉妹の誰といても振り回されるが、龍華の厄介なところは、こういう場面で一番逃げ道を塞ぐ言葉を選ぶことだと思う。
そして、そこへタイミングよく――いや、悪く、スマホが震えた。
画面には涼花の名前。
続いて、優里からも通知が来る。
「……」
「……」
龍華が、俺の手元の画面を見る。
「来たな」
「来たな、じゃない」
涼花からは『やっぱり気になるんだけど、龍華お姉ちゃんまだいる?』
優里からは『茶葉の缶、ちゃんと回収できましたか?』
絶対、ただの確認じゃない。
龍華はスマホ画面を見て、少しだけ鼻で笑った。
「勘いいな、あいつら」
「お前が長居しすぎなんだよ」
「もう少しいてもいいか?」
「よくない」
「即答か」
「当然だ」
そう言いながらも、俺は少しだけ安堵していた。
この空気のまま、あと十分もいたら、たぶん俺の方が先に負ける。
龍華は立ち上がって、クロスと茶葉の缶をまとめる。
なのに、その動作は妙にゆっくりだった。
「じゃあ今日は帰る」
「今日は、な」
「次もあるって認めてるな」
「揚げ足取るな」
玄関まで見送ると、龍華は靴を履いてから一度だけ振り返った。
「神谷」
「なんだ」
「私は、お前の部屋、かなり好きだぞ」
「……知ってる」
「あと」
龍華はほんの少しだけ目を細める。
「お前の反応も、かなり好きだ」
「帰れ」
「帰るよ」
そう言って、本当に帰っていった。
扉が閉まってから、俺はようやく息を吐く。
心臓が、少しだけ落ち着かない。
どうやら三姉妹のうち、一番入り浸り慣れている長女は、一人になった時がいちばん危ないらしい。
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