学年一可愛い令嬢三姉妹は、俺の冷蔵庫を見ると当然みたいに夕飯まで管理し始める
流れが決まってしまう時というのは、大抵、誰かが強く押したからではなく、気づいたらもうそうなっていた、という形で始まる。
その日もそうだった。
三姉妹が俺の部屋へ来ること自体は、もう珍しくない。
珍しくないという現実に対して、いまだに納得しきれていないのも事実だが、少なくとも鍵を開けた瞬間に三人が自然な顔で上がり込んでくること自体は、だいぶ見慣れた光景になっていた。
問題は、そのあとだった。
「……少なくないか?」
冷蔵庫を開けた龍華が、最初にそう言った。
何が、とは聞かなかった。
聞かなくても分かる。
俺の冷蔵庫の中身だ。
麦茶、卵、使いかけの豆腐、ハム、チーズ、適当に買った野菜、昨日の残りのカレー。そこに調味料が少し。高校生男子の一人暮らし未満としては、まあ普通だと思う。少なくとも、自分ではそう思っていた。
「普通だろ」
「普通じゃないよ」
即座に反応したのは涼花だった。
俺の後ろからひょいと覗き込んで、冷蔵庫の中身を上から下まで見たあと、納得いかない顔をする。
「もっとこう、色々ないの?」
「色々とは」
「なんか、ちゃんとしたやつ!」
「その語彙で責められても困る」
優里はローテーブルへ紙袋を置いてから、ゆっくり冷蔵庫の方へ歩いてきた。
龍華と涼花が両側を塞いでいるせいで、狭い台所がさらに狭くなる。頼むから集中して立つな。俺の生活動線が完全に消える。
「でも、たしかに少し偏ってますね」
優里が中を見て、静かに言う。
「野菜はありますけど、作り置きが少ないです」
「作り置きなんてそんな毎回しないだろ」
「するだろ」
龍華が当然みたいに返した。
「しないよ」
「する」
「お前、自分で作ってるわけでもないだろ」
「私は見て学ぶタイプだ」
「便利な言い方だな」
すると、優里が小さく笑った。
「でも、神谷くんはちゃんと作る方ですよ」
「それはまあ」
「ただ、疲れてる日は雑になりますよね」
「……否定はしない」
バイトの日なんかは特にそうだ。
簡単に済ませる日も多いし、最悪、コンビニで終わることもある。そこを突かれると弱い。
涼花は冷蔵庫の扉に手をかけたまま、むぅと考え込んでいたが、やがて何か思いついたように顔を上げた。
「よし、今日はみんなで作ろ!」
「なんでそうなる」
「だってこの流れならそうでしょ!」
「そうじゃない」
「そうだよ!」
涼花の中ではそうらしい。
だが、残念ながら一人が騒いだところでどうにかなる相手じゃない。問題は、そのあとに続く二人だ。
「たしかに、今日はそれがいいかもしれませんね」
優里が、ごく自然な顔で言った。
ほら来た。
「冷蔵庫の中身で作れそうなものもありますし、足りないものだけ買えば十分です」
「しかもコスパいいな」
龍華まで乗った。
「いやいやいや」
俺は台所の入口で両手を広げる。
「なんでお前らの中で、俺の部屋で夕飯を共同制作する流れになってるんだよ」
「共同制作って言い方すると文化祭みたいでいいね!」
「涼花、お前は楽しそうだな」
「楽しいもん!」
楽しいの基準が軽すぎる。
でも、優里は完全にやる気の目だったし、龍華もすでに冷蔵庫の中身から献立を逆算し始めている顔をしていた。こうなると、もう止めるのが面倒だ。
「……何作る気だよ」
「カレーの残りあるなら、ドリアっぽくできる」
龍華が即答した。
「卵とチーズもあるし、米炊けばどうにかなるだろ」
「急に実践的だな」
「私は無駄なことしない主義だからな」
「その主義、今日だけで三回くらい聞いた」
優里は野菜室を軽く見てから、冷蔵庫を閉めた。
「サラダか、簡単なスープもあるといいですね」
「わたし、混ぜるのやる!」
涼花が元気よく手を挙げる。
「一番不安な担当が一番最初に決まったな」
「ひどくない!?」
「事実だろ」
「神谷くんまで!」
そこで龍華が、涼花の方を見もせずに言った。
「お前は混ぜる前に、切るな」
「なんで!?」
「この前、玉ねぎを必要以上に粉砕したから」
「それは頑張った結果だもん!」
「努力の方向が違う」
こうして、結局その日は四人で夕飯を作ることになった。
駅前のコンビニじゃなくて、少し離れたスーパーまで歩いて、足りないものを買うところから始まる。米はあるから、追加は牛乳とマッシュルーム、それからベーコンと葉物くらいでいい。涼花は買い物かごを持つ係をやりたがり、優里は値札を見ながら無駄なく選び、龍華は「そっちよりこっちの方が安い」と妙に生活感のある比較をしていた。
大富豪の令嬢三姉妹が、庶民派スーパーで特売コーナーの値段を見比べている光景は、どう考えても情報量がおかしい。
でも、本人たちは案外普通だった。
いや、普通というには目立ちすぎるんだが、やっていること自体は驚くほど地に足がついている。
帰り道、袋を持つ役割で軽く揉めた。
俺が持つと言えば、優里が「神谷くんの部屋のものを買ったんですから」と引かず、龍華は「運ぶくらい私でもできる」と言い、涼花は「わたしだって力あるし!」と張り合う。
最終的に、重いものは俺と龍華、軽いものは優里、涼花はパンを抱える係に落ち着いた。
パンだけやけに大事そうに胸へ抱えている涼花を見て、こいつは本当に役割が一つあるだけで機嫌がよくなるんだな、と妙なことに感心した。
部屋へ戻ると、六畳一間はすぐに戦場みたいな慌ただしさになった。
炊飯器をセットして、残りカレーを温め直し、耐熱皿を引っ張り出して、サラダ用の野菜を洗う。普段なら一人で黙々とやる作業なのに、今日はそこへ三人分の気配と声が混ざるせいで、同じ動きでも全然違うものに見えた。
優里は、やっぱり台所仕事が丁寧だった。
包丁の持ち方も危なっかしくないし、葉物をちぎる手つきも無駄がない。何より、言われたことだけやるんじゃなくて、その一歩先を読んで動く。俺が皿を探していると、もうその横へ並べてある、みたいなことが自然に起きる。
「……慣れてるな」
思わず言うと、優里は少しだけ目を丸くした。
「そう見えますか?」
「見える」
「うれしいです」
その返しがいちいち柔らかい。
「家ではあまりやる機会ないんですけど、見るのは好きなんです」
「見るだけでそこまで動けるもんか?」
「たまに、こっそりやらせてもらいます」
「こっそり、って言い方が令嬢っぽくないな」
「そうでしょうか」
「たぶん」
龍華はというと、鍋とオーブン周りを完全に掌握していた。
火加減を見るのがうまい。大雑把そうに見えて、こういう熱の扱いには妙に強いらしい。たまに「それ焦げるぞ」と俺より早く言うのが腹立つ。
「お前、ほんとに普段何見て生きてるんだよ」
「必要なもの」
「その答え、便利すぎるな」
「便利だから使ってる」
ドリア用のソースを調整しながら言うあたりが、妙に説得力を持ってしまうのが悔しい。
そして涼花は、案の定、一番騒がしかった。
「これ混ぜていい!?」
「まだ」
「じゃあこっちは!?」
「それはあと」
「今のわたし、何したらいい!?」
「動くな」
「ひどい!」
だが、完全に役立たずというわけでもない。
言われた通りにやる時はちゃんとできるし、何より手元のスピードがある。サラダを和えるとか、皿を運ぶとか、最後の配膳みたいな工程ではちゃんと戦力になる。
ただし、勝手にアレンジを始めなければ、だ。
「ねえ、このサラダにチーズ入れたらおいしくない?」
「やめろ」
「まだ言っただけだよ!?」
「お前のその“言っただけ”は三秒後に実行へ移るだろ」
「バレてる!」
もうバレてる、じゃないんだよな。
そうして何とかドリアとサラダとスープが形になった頃には、部屋の中に完全に夕飯の匂いが広がっていた。
テーブル代わりのスペースに皿を並べるだけでも一仕事だ。狭い部屋なのに、こういう時だけ妙に人数がいることを実感する。
それでも、四人分の湯気が一緒に立ち上ると、なんというか、見た目だけはちゃんと食卓っぽかった。
「いただきます!」
涼花の声が一番大きいのは、もう言うまでもない。
一口食べて、まず反応したのも涼花だった。
「おいしい!」
「大げさだな」
「大げさじゃないよ! めっちゃちゃんとしてる!」
「元が昨日のカレーだからな」
「それでもだよ!」
優里は少しずつ味わうように食べていたが、やがて小さく頷いた。
「本当においしいです」
「まあ、龍華が火加減見てたしな」
「お前もちゃんと味見しただろ」
「それはそうだけど」
「私だけの手柄みたいにするな」
その言い方が少しだけ照れ隠しっぽくて、思わず笑いそうになる。
すると、涼花がスプーンを持ったまま、じっと俺を見た。
「神谷くん、今ちょっと笑った」
「笑ってない」
「笑ったよね?」
「気のせいだ」
「いや、笑ってました」
優里まで乗ってくる。
「今日、ちょっと機嫌いいです」
「そうか?」
「いい」
龍華が断言した。
「珍しく、疲れてる顔より先に満足してる顔してる」
「……お前、ほんとよく見てるな」
「見てるから分かる」
さらっと言いやがる。
食べ終わったあとも、三姉妹はすぐに帰らなかった。
まあ、それはもう予想通りだ。片付けるだの、残りをどう保存するだの、冷蔵庫のスペースがどうだの、話題はいくらでも出てくる。
優里はラップの位置を把握し始めるし、龍華は「この容器もう一個あった方がいいな」と収納の改善案まで口にし、涼花は「次はハンバーグ作ろ!」と未来の予定を勝手に立て始める。
「なんで次が確定してるんだよ」
「だって今日うまくいったし!」
「成功体験をすぐ拡張するな」
「いいじゃん」
「よくない」
「でも、神谷くん」
優里が保存容器の蓋を閉めながら、ふとこちらを見る。
「今日は少し、安心しました」
「なにが」
「こうやって普通に夕飯を食べられて」
その言い方が、少しだけ静かだった。
「この前から、ちょっとバタバタしてたじゃないですか」
「まあ……」
黒瀬の件も、護身術の件も、その前の商店街の件もある。
たしかにここ最近、穏やかな日常というより、何かしら波のある日が続いていた。
「だから、こういう日があるとほっとします」
「わたしも!」
涼花がすぐに言う。
「今日なんか、すっごい普通でよかった!」
「普通、ねえ」
龍華が鼻を鳴らす。
「令嬢三姉妹が男子高校生の部屋で夕飯作って食ってる時点で、普通からはだいぶ遠いだろ」
「そこは言わない約束だよ!」
「約束した覚えない」
でも、言いたいことは分かる。
どう考えても状況は普通じゃない。
それでも、今日の空気が妙に“日常”っぽかったのも本当だ。
片付けが一段落したあと、三姉妹はいつもの場所へ自然に落ち着いた。
涼花はラグの上、優里はローテーブルの横、龍華はクッションを抱えて壁際。そこに俺が麦茶を持ってくる流れまで、もうずいぶん手馴れている。
俺はコップを置きながら、テーブルの上の三つ――スポーツドリンク、透明ポーチ、キーホルダーライト――へ視線を向けた。
昼間にも思ったが、こうして並ぶと、本当に方向性がばらばらだ。
なのに、全部ちゃんと俺に向いている。
「なあ」
俺が声をかけると、三人が一斉にこっちを見た。
「なんだよ、その揃った反応」
「だって呼ばれたし」
「はい」
「聞いてる」
そこは揃うんだな。
「……ありがとな」
言ってから、自分で少しだけ後悔した。
なんか、こう、もっと自然に言うつもりだったのに、やけに真正面から出てしまった感じがする。
でも、もう遅い。
涼花が目を丸くし、優里は少しだけ息を止めたみたいな顔をして、龍華は一瞬だけ視線を逸らした。
「急だね!?」
最初に声を上げたのは、やっぱり涼花だった。
「急だけど、本気だな」
龍華がぼそっと言う。
「ありがとうございます」
優里はすぐに笑ったが、その笑い方はいつもより少しだけやわらかかった。
「別に、たいしたことじゃないだろ」
「そんなことありません」
優里が即座に否定する。
「神谷くんが、ちゃんと言葉にしてくれるのって、思っているよりずっと大きいです」
「そうそう!」
涼花が勢いよく頷く。
「めっちゃレア!」
「珍獣扱いするな」
「そこまで言ってない!」
「いや、似たようなもんだろ」
龍華はクッションへ肘を乗せたまま、小さく笑った。
「でもまあ、悪くないな」
「なにが」
「お前がちゃんとそういうこと言うの」
「上からだな」
「年上だからな」
「そこ便利に使うな」
そう言いながらも、部屋の空気は少しだけやわらかくなっていた。
どうやら今日は、俺の名前を守ったあとで、俺の生活まで勝手に整えにくる日だったらしい。
そして、その世話焼きを俺が完全には拒めなくなっているのも、もう誤魔化せなかった。
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