学年一可愛い令嬢三姉妹に近づきたい男は、勝手に俺の名前を使うな
翌日から、黒瀬の視線は露骨になった。
廊下ですれ違う時も、昼休みに購買へ行く時も、わざわざこちらを見てくる。睨むわけでもなく、かといって友好的でもない。値踏みするみたいな視線だ。ああいう手合いは、一度断られたくらいで引かない。断られたからこそ、次はどう押すかを考える。
面倒だなと思いながらも、俺はあえて無視を貫いた。
下手に反応すると、向こうに“会話が成立する相手”だと思われる。ああいうタイプには、それが一番よくない。
だが、昼休みの終わり際、屋上へ続く階段の踊り場で待ち伏せされた時点で、その方針は少しだけ崩れた。
最初から一人ではなかった。
黒瀬と、その取り巻きが二人。昨日と同じ顔ぶれだ。人目の少ない場所を選んでいるあたり、表面だけ器用な連中らしい。
「神谷」
呼び止められて、俺は足を止めた。
「まだ何か」
「つれないな」
黒瀬は壁へ肩を預けたまま笑う。
相変わらず、顔だけ見れば感じのいい先輩に見えなくもない。そう見えるように振る舞っているんだろうが。
「考えた?」
「何をですか」
「紹介の件」
「考えるまでもないです」
「即答」
「前も言いましたよね」
俺がそう返すと、取り巻きの一人が露骨にため息をついた。
「だから、そういう言い方が生意気だって言ってんだよ」
「生意気で結構です」
「お前――」
「まあまあ」
黒瀬が軽く手を上げて制した。
その仕草がいちいち芝居がかっていて、少し苛立つ。
「お前さ、誤解してるっぽいけど、俺は別に変なことするつもりないんだよ。普通に話してみたいだけ」
「だったら自分で話しかければいいじゃないですか」
「だから、そのきっかけを作れって言ってる」
「作りません」
「なんで?」
黒瀬は本気で不思議そうな顔をした。
「お前に損ないだろ。むしろ先輩に顔売れた方が得じゃん」
その言い方で、少しだけ分かった。
こいつにとって人間関係は、得か損かでしかないんだ。
「俺に得があるかどうかじゃないんで」
「じゃあ何」
「嫌だからです」
きっぱり言うと、黒瀬の笑みが一瞬だけ消えた。
その空気の変化を感じたのか、後ろの二人も口を閉じる。
階段の踊り場に、変に乾いた沈黙が落ちた。
先に口を開いたのは黒瀬だった。
「……お前、あいつらとどこまで仲いいわけ?」
「それ、答える必要あります?」
「あるだろ。こっちは聞いてんだから」
「ないです」
また即答した。
正直、ここで適当にごまかすことも出来たと思う。
でも、曖昧にしたら絶対に面倒が長引く。だったら、最初から線を引いた方がいい。
「少なくとも、人の名前使って近づくための道具にする気はないです」
俺がそう言うと、黒瀬の目つきが少し変わった。
「道具って言い方はひどくない?」
「違いますか」
「お前、自分が何様だと思ってるんだよ」
「別に何様でもないです。でも、紹介しろって言われて、はいどうぞって渡す気はありません」
取り巻きの一人が舌打ちした。
「マジで感じ悪いな、一年」
「そう見えるならそれでいいです」
そこでチャイムが鳴った。
五時間目開始の予鈴だ。
黒瀬は数秒だけこちらを見ていたが、やがて小さく笑った。
「……まあいいや。お前がその気なら、俺も勝手にやるから」
「やればいいじゃないですか」
「ただ、その時に“神谷から聞いた”くらいは言うかもな」
その一言で、俺の中の温度が少しだけ下がった。
「やめてください」
「なんで?」
「迷惑だからです」
「細かいな」
「細かくないです」
黒瀬は返事の代わりに肩をすくめた。
その顔が、“どうせそのうち折れるだろ”と言っているようで、余計に気に入らない。
午後の授業は、正直あまり頭に入らなかった。
黒瀬がどの程度本気かは分からない。ただ、ああいうタイプは“自分の都合のいい解釈”で物事を進める。たとえ俺が断っても、自分の中で通る理屈があるなら平気で押し切る。
そして、嫌な予感はだいたい当たる。
放課後、校門を出たところで、もうその気配はあった。
門の少し先、街路樹の影が落ちるあたりに、龍華と優里が並んでいた。二人とも今日は先に帰るつもりだったのか、鞄を肩にかけたままこちらを待っている。少し遅れて、部活帰りらしい涼花が駆け寄ってきた。
三姉妹が揃った瞬間、どうしても周囲の目はそちらへ向く。
それ自体はもう珍しくない。問題は、そのタイミングで黒瀬たちが向こうから歩いてきたことだった。
気づいた時には、もう遅い。
「西園寺」
黒瀬が、いかにも自然な顔で声をかけた。
龍華の足がぴたりと止まり、優里の表情が一段だけ静かになる。涼花は分かりやすく嫌そうな顔をした。
「何?」
龍華の声は低かった。
最初から歓迎していないのがはっきり分かる。
それでも黒瀬は、崩れない笑みのまま続ける。
「神谷から少し聞いててさ。一回くらい話せたらなって」
その瞬間、俺は完全に頭にきた。
こっちが断っているのに、勝手に俺の名前を使う。
しかも、三姉妹の前でそれを既成事実みたいに言う。
反射的に前へ出ていた。
「聞いてません」
黒瀬の言葉に被せるように、俺は言った。
全員の視線が集まる。
「俺はそんなこと一言も言ってないです」
黒瀬の笑みが、今度こそはっきり崩れた。
「いや、そういう意味じゃなくて」
「どういう意味でもないです」
俺はそのまま三姉妹の前へ立つ形になった。
別に守るとか、そういう格好つけた気持ちじゃない。ただ、自分の名前を勝手に使われたことが純粋に気に食わなかった。
「紹介もしないって、昼に言いましたよね」
そこまで口にした時点で、龍華と優里が事情を察したらしい。
涼花も、ああ、と小さく目を見開いた。
黒瀬は一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに取り繕った。
「固いなあ。別にちょっと話すくらい」
「その“ちょっと”のために人の名前使うなって言ってるんです」
取り巻きの一人が、横から口を挟んだ。
「お前、先輩に対してその態度――」
「先輩なら何やってもいいんですか」
俺がそっちを見ると、相手は少しだけ言葉に詰まった。
周りで何人かの生徒が足を止め始める。
あまり長引かせたくない。だが、ここで曖昧に引いたらもっと面倒になるのも分かっていた。
黒瀬が笑みを消したまま、一歩だけ近づいてきた。
「お前さ、空気読めよ」
「読んでます」
「読めてないからそうなるんだろ」
「そっちです」
俺がそう返した瞬間、黒瀬の手が俺の肩にかかった。
押しのけるつもりだったのかもしれない。力はそこまで強くなかった。だが、その触れ方だけで十分だった。
俺は肩に置かれた手首を掴んだ。
強くはない。ただ、逃げられない角度にだけはする。
黒瀬の顔がわずかに引きつる。
「……やめてください」
声は低くなった。
自分でも分かるくらい、温度が落ちていた。
「次、勝手に触ったら、もう少し面倒になります」
力は入れすぎていない。
けれど、こちらが冗談で言っていないことだけは伝わったらしい。
黒瀬が手を引こうとする。
俺はすぐに離した。
その一連の流れは、本当に数秒だったはずだ。
なのに、空気が一気に張りつめた。
涼花が息を呑み、優里は何も言わずに俺の横顔を見ている。龍華だけは、少し細めた目で黒瀬を見ていた。
「……行こう」
龍華が先に言った。
その声で、張っていた糸が少しだけ緩む。
優里もすぐに頷き、涼花が俺の制服の袖を軽く引いた。
俺たちはそのまま黒瀬たちを置いて歩き出した。
振り返らなかったが、背後の空気が完全には収まっていないのは分かった。
駅までの道は、珍しく誰もあまり喋らなかった。
涼花でさえ静かで、優里は何か考え込んでいるようだった。龍華は機嫌が悪いというより、完全に頭が切り替わっている顔をしている。あの長女が黙っている時は、たいてい余計なことを考えている。
だから、部屋へ着いて最初に口を開いたのが龍華だったのは、ある意味当然だった。
「黒瀬、思ったよりクソだな」
開口一番がそれだった。
「直球だな」
「事実だろ」
靴を脱ぎながら吐き捨てるように言うあたり、本気で腹が立っているらしい。
優里は部屋へ入るなり、俺の方を振り返った。
「神谷くん」
「なんですか」
「さっき、ありがとうございました」
「いや、別に」
「別に、ではないです」
声はやわらかいのに、珍しく否定が早い。
「私たちの前で、ちゃんと線を引いてくれました」
「それは……」
自分でも、あそこまできっぱり言うつもりだったわけじゃない。
ただ、本当に気に食わなかっただけだ。
涼花がラグの上へ座るなり、膝を抱えた。
「わたし、ちょっとびっくりした」
「何が」
「神谷くん、いつもよりちょっと怖かった」
「……悪い」
「ううん。嫌じゃないの」
涼花はそう言ってから、少しだけ困ったように笑った。
「むしろ、あの場ではすごく助かった。でも、いつもと違う感じで、どきっとした」
最後の一言だけ、妙に小さかった。
優里もすぐには口を挟まず、静かにコップへお茶を注いでいる。
その横で龍華が、壁へ背中を預けたまま俺を見る。
「でも、よかった」
「何が」
「お前があそこで曖昧にしなかったこと」
「……曖昧にしてもろくなことにならないだろ」
「そう。だからよかった」
龍華の評価は短いが、芯がある。
優里はお茶を俺の前へ置くと、向かい側へ座った。
「黒瀬みたいな人って、自分に都合のいいように話を作りますから」
「そう見えます?」
「見えます」
「優里お姉ちゃん、今日ちょっと冷たい」
涼花がぼそっと言う。
「冷たいですよ」
優里はきっぱり言った。
「だって、神谷くんが嫌だと言っているのに、自分の都合で名前を使ったんですから」
その言葉には、いつものやわらかさと別の温度が混じっていた。
たぶん優里は、感情を表に出しにくいだけで、怒る時はちゃんと怒る。
しかも、静かな分だけ怖い。
涼花はその横顔を見て、小さく頷いた。
「うん。わたしも嫌」
「私は普通にぶん殴りたかった」
「やめろ」
「冗談だ」
「半分くらい本気だろ」
「さてな」
さてな、じゃない。
でも、三人とも同じ方向で怒っているのは分かった。
そのことが、少しだけ意外だった。
もっと「わたしたちは別に平気だから」と流されると思っていた。
けれど実際は逆で、三人とも“神谷悠真の名前を勝手に使われたこと”にちゃんと反応している。
「神谷くん」
優里が改めて俺を見る。
「次、もしまた同じことがあったら、今度は私たちも言います」
「いや、でも」
「でもじゃないです」
珍しく、言い切られた。
「今回は、神谷くんが先に線を引いてくれました。でも、だからといって神谷くんだけが前に出る形は、やっぱり違います」
それは、前にも似たようなことを言われた気がする。
涼花もすぐに頷く。
「そう! わたしたちのことなんだから、わたしたちもちゃんと断る!」
「龍華は黙って断ればいいだけだろ」
「私は最初からそのつもりだ」
「だろうな」
たぶん龍華は、黒瀬が話しかけてきた時点で、もうかなり切れていた。
こいつはこいつで、身内認定した相手の扱いにはうるさい。
「ただ」
龍華が少しだけ姿勢を変えた。
「黒瀬、あれで終わらん気がする」
部屋が少し静かになる。
俺もそう思っていた。
あの男は、今日のやり取りで引くタイプじゃない。むしろ、恥をかかされたと感じて意地になる可能性の方が高い。
「だろうな」
俺が言うと、涼花が不安そうに眉を寄せた。
「また来るかな」
「来るかもな」
「……やだなあ」
その声は本音だった。
優里は小さく息をついてから、ふっと表情をやわらげる。
「でも、少なくとも今日、神谷くんがどう思っているかはちゃんと伝わりました」
「それはそうだな」
「だから次は、私たちが言います」
「優里お姉ちゃん、めっちゃ頼もしい」
「優里はやる時やるからな」
「何その評価」
優里が少しだけ困ったように笑う。
そのやり取りで、ようやく部屋の空気が少しだけ軽くなった。
俺はコップを手に取り、口をつける。
冷たい麦茶が喉を通る感覚で、ようやく少し落ち着いた。
すると、涼花がじっとこっちを見ていた。
「なんだよ」
「いや……」
「なんだ」
「今日の神谷くん、ちょっとかっこよかったなって」
「は?」
「だから!」
涼花は少しだけ顔を赤くした。
「黒瀬さんに言い返した時! いつもよりずっと!」
「今さら言うな」
「今だから言うんだもん!」
「それは反則です」
優里が静かに補足する。
「私も、少し思いました」
「優里まで乗るのか」
「事実ですから」
「私は前から知ってる」
龍華が平然と言った。
「お前、変なところで腹括ると妙に強いし」
「褒めてるのか貶してるのかどっちだ」
「褒めてる」
「珍しいな」
「今日はな」
三方向からそんなことを言われると、流石に落ち着かない。
俺は視線を逸らして、テーブルの上の菓子袋を適当に引き寄せた。
「……食うか」
「誤魔化した!」
涼花がすぐに笑う。
「うるさい」
「でも、照れてる」
「うるさい」
「顔ちょっと赤いですよ」
「優里まで!」
「事実だからな」
「龍華、お前ほんと楽しそうだな」
部屋の中に、いつもの空気が戻っていく。
黒瀬の件は、たぶんまだ終わっていない。
でも少なくとも今日は、向こうの思い通りにはならなかった。
それだけで十分だと思うことにした。
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