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地上10センチから世界を征する 剛腕の左のアンダースロー  作者: 伊藤ライリー
メジャーリーグ編
61/216

第61話:橘周には、弟がいた①

左のアンダースロー橘周のメジャーリーグ1年目は、神がかり的な活躍を見せ、野球選手としてピークを迎えていた。その橘周には、弟がいた。

剛腕の左のアンダースロー橘周には、弟がいた。


橘周より10歳下で橘壮太郎。兄が「周」だから弟は「壮」だろう(笑)。がしかし。両親はワンパターンって思われるのを嫌ったww。


弟の壮太郎は、兄より瞬発力や器用さはやや劣るものの、1つ1つ粘り強く極めていくことができた。それと体格が2回り大きかった。


中学ではバスケ部に入った。野球部は屋外で暑いし、外で長い距離走るのダルイなあという印象だったので、バスケの方が楽だと思っていた。まあ勘違いだ(笑)。


体格を利用して、ゴール下が強く、それとシュートのコントロールが抜群だった。足の速さも兄より遅いというだけで、普通の生徒の中では俊足だ。


中学3年の時、兄の橘周がプロ2年目で15勝とタイトル獲得で一気にジャイアンツのエース格になった。

壮太郎「来年の年俸が8千4百万かあ。すげえ!」

父親「あいつは人気もあるから、テレビやCMに出て来年の収入は1億近くになるんじゃないかかな?」

壮太郎「マジで!家建ててもらおうぜ」

父親「まだ早いわ!(笑)税金もあるし、身体に投資もするし、そんなに残らんよ」


弟の壮太郎は、自分のバスケの才能では、全日本クラスになれない感じていたところに、兄の大活躍で自分も強肩だからピッチャーなら有名な選手になって稼げるかも、と将来のことをあれこれ考えた。それと何より「楽しそうだ」。


兄の橘周はその翌年の春には、WBCでアメリカ相手に奪三振ショーをし、世界にセンセーショナルを起こした。


それで兄の影響をもろに受けた弟の壮太郎の進路は、野球部でピッチャーをすることに決まったのだ。ピッチャーとしての能力が高そうなことは家族皆が感じていたが、やっと本人がその気になった。野球は小学校の時に経験しているし、中学でも父親から指導を受けていたので、素人では無かった。


ただ高校に入って野球部に所属したものの、成長痛の問題があり、ピッチャーの本格的な練習する前に、外野手としてスタートした。バッティングも守備も兄ほどのセンスはなくても、一般的には充分なセンスで、1年の夏の大会には、5番ライトでレギュラーになった。


そして秋頃から本格的にピッチャーの練習を開始。フォームはスリークォーターで、兄と違ってアンダースローにする必要が無いほどフィットしたww。


野球部の監督は、肘の負担を考えて、1年間はストレート、カーブ、チェンジアップの3種類のみ投げて良いことになった。春の大会では、3番手の投手として実践登板し、夏の大会では2番手にポジションアップ。この頃には球速140キロを超えたが、高卒でプロに入れるレベルには、まだほど遠かった。

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