第45話:少し横道 橘周が経験したダンスの世界
左のアンダースロー橘周がメジャーリーグとの交渉に臨んでいくわけだが、その前に20歳までのダンス歴を見てみる。
父親の仕事の関係で、アメリカ育ちの橘周、ダンスに限らずエンターテインメントは小さい頃から好きだった。特に好きだったのはブルーノマーズ。ヒップホップ中心だけど、カントリー、バラードまで幅広く歌いこなし、どれもこれも様になっていてかっこいい。スタイルがあまりよくないのに、ダンスもかなりかっこいい。だから子供の頃から動画を見ながらマネをしていた。
それでも一番好きだったダンスの種類はストリートダンス。
ストリートダンスは、元々ギャング通しのいざこざの勝負を決めるために、暴力の代わりに始まったと言われるぐらい、荒々しいものであるが、世界的に有名になったのは、1980年代前半の映画「ブレイクダンス」だ。それと同時期にマイケルジャクソンが披露した名曲「ビリージーン」でのムーンウォークも有名だ。そこから様々なダンスが産まれてきたわけだが、橘周は、オールドタイプが好きだった。
・ブレイキン
パリオリンピックで採用された、いわゆる寝技系
・ロッキン
曲のRockではなく、LOCKからロッキンと呼ばれるダンス。鍵をロックするという意味の通り、そのロックの動作が決めポーズとっている。ジャニーズで良く採用されていたと言えば分かるだろう。
・ポッピン
関節をはじく(ポップ)ことから来ている。ロボットダンス的なもの、ムーンウォーク、腕のウェーブ等もこれに該当する。
橘周は、アメリカではそれ以外にヒップホップ、ジャズ等も少し習ったことがある。
高校時代ダンス部に入り、本格的にストリートダンスを中心にダンスに取り組んだが、経験者ということもあり、すぐにショーに駆り出され、色々なところで披露した。
そして、高校2年の夏には、生まれ故郷のロサンゼルスの親友の家に寝泊まりしながら、様々なイベントや大会に出る生活を送った。この時が、人生最高の夏の思い出なのだ。少人数の参加ながら、ロッキンとポッピンの大会では優勝も経験した。この頃はエンターテインメントの世界で生きていくかもしれないとも思っていた。
でもアメリカ滞在の最後の方で、たまたまあった野球の試合に出場し、たまたま大活躍してしまい、しばらく日本で父親の草野球に付き合おうと考えが変わった。いや草野球参加は父親の強制だった(笑)。
また高校時代は、ストリートダンス以外の人達とも交流し、互いに教え合うことも良くしていた。競技ダンス、ポールダンス、そしてアイルランドのアイリッシュダンス等だ。
日本の踊りで最も気に入ったのは阿波踊りだ。阿波踊りは身体に染み込むことに時間がかかるダンスで、プロのダンサーでも短期間では様にならない。プロがそのへんのおじいちゃんに敵わないという不思議な魅力があるのだ。橘周はそこに引かれて、何度か阿波踊りの専門家に習った。でもやっぱり熟練のおじさん達には歯が立たないことで、アメリカ帰りの少年橘周は、日本の伝統の奥深さに恐れ入ったのだった。




