第119話 引き受ける者たち
アルノーは、議場の壁に紙を一枚貼った。題は書かなかった。書いてあるのは、二行だけだ。
――南の橋の補修について、進み具合を確認する者を募ります。
――決める人ではありません。確認する人です。
貼ってから三日、誰も名乗らなかった。三日というのは、彼にとって長かった。二日目の夕方には、貼り紙を剥がそうかと思った。剥がして、いつも通り自分で全部書いたほうが早い。早いことは、知っている。
剥がさなかったのは、手順書の第四に、待つ期間のことが書いてあったからだ。
――名乗りは、遅れて出ます。最初の一人が出るまでの時間を、失敗と数えないでください。
その一行がなければ、彼は二日で諦めていた。四日目の朝、初老の石工が来た。橋の下で働いていた男で、会議には一度も出たことがない。
「確認するだけなら」
彼は、そう言った。
「決めるのは、無理だ。俺は字が読めない。だが、橋が沈んでるかどうかなら、見れば分かる」
「読めなくても、構いません」
「構わんのか」
「確認するのは、紙ではなく橋です」
男は、少し笑った。
「そりゃそうだ」
「名前は、どう書きますか」
「石工の、ヨナスでいい」
「肩書きは」
「いらん。橋を見る人、でいい」
アルノーは、その場で名前を書き足した。字は自分が書いた。
五日目には、二人増えた。荷を運ぶ女と、南側の小さな宿の主人だった。どちらも、決めるのは無理だと最初に言った。
五日目の夕方、南の代表が議場に来た。
「名乗る者を募る、というのは」
「はい」
「あれは、決める者を募っているのですか」
「違います」
「では、何を」
「持ち場を、です」
アルノーは、壁の紙を指した。
「橋が沈んでいるかどうかを見る人。荷が通れるかどうかを見る人。直ったと認める人。全部を一人でやる必要は、ありません」
「……分けるのですか」
「分けます」
「また、分けるのか」
南の代表は、そう言って苦笑した。
「分けたら止まったのに」
「止まったのは、分けたからではありません」
アルノーは、そこで初めて、自分の言葉で言い切れた気がした。
「分けたあとに、誰も名乗らなかったからです」
六日目、北の代表が来た。
「確認する者が三人いるなら」
彼は、言いにくそうに続けた。
「承認する者は、私がやってもいい」
議場が、少しざわついた。
「決めるのですか」
「決めない。確認された結果を、承認するだけだ」
彼は、そう言い直した。
「決めるのは、着手順だろう。あれは私には決められん。だが、直したものが直っていると認めるくらいなら、責任を負える」
アルノーは、紙にもう一行を書き足した。それから、少し離れて壁を見た。名前が四つ、並んでいる。誰も、全部を引き受けていない。一人が引き受けているのは、それぞれの持ち場だけだ。
(……そうか)
彼は、去年ヴェルクで見た若い男のことを、また思い出した。あの男は、全部を引き受けたわけではなかった。どうせ外でも同じだ、なら、ここでやる。それだけを引き受けた。
押しつけられた者は、全部を負わされる。だから逃げる。名乗る者は、自分の持ち場だけを取る。だから逃げない。
手順書の第四に書いてあったのは、そういうことだった。名乗れる場を作る、とだけ書いてあった。なぜそれが要るのかは、書いてなかった。書いていないところを、彼は自分で埋めた。
埋めてみて、初めて分かった。着手順が決まったのは、その翌週だった。南の橋が先になった。理由は単純で、確認する者が三人いる側から始めるほうが、進み具合が分かるからだった。北の代表は反対しなかった。
補修は、月の終わりに終わった。合同評議の準備室から来ていた金と人は、途中で引き上げていった。手引きの通りに動く都市を作る、という彼らの仕事は、もう必要がなくなっていた。
名乗った者たちの持ち場は、どれも狭い。狭いから、続いた。
その頃、リーヴェルトの書記から便りが来た。
――手順の写しを、ルツェへ送りました。ルツェからは、さらに南へ回すそうです。
――ベルナデッタ殿が、写しに書き込みを入れて返してこられました。第三のところに、自分の失敗を三つ書き足してありました。
アルノーは、それを読んで笑った。あの人らしい。急がせた罪を、まだ忘れていない。
夏の初め、オルシュに客が来た。
王国軍の将軍だった。護衛は二人だけ連れて、傾いていた橋を見に来たという。
「直ったな」
レオンハルト・ガルドは、そう言った。
「はい」
「誰が決めた」
アルノーは、少し考えてから答えた。
「決めた人は、いません」
「いない?」
「確認する者が三人、承認する者が一人。順番は、確認できる側から始めました」
将軍は、しばらく橋を見ていた。
「……面白いな」
低い声だった。
「命じてもいない。神託でもない。上から配ったものでもない」
「はい」
「そういうものが、どこまで持つのか」
彼は、少しだけ楽しそうだった。
「見に来た甲斐があった」
将軍が去ったあと、アルノーは議場に戻った。壁の紙は、まだ貼ってある。名前は、六つに増えていた。
最初の一人が出るまでの時間を、失敗と数えないでください——手順書の第四には、待つ期間のことが書いてあります。
待てなければ、たいてい自分で全部書いてしまいます。早いので。
次回、書簡が来なくなります。
第二部も終わりが見えてきました。ブックマークで最後までお付き合いください。




