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婚約破棄された悪役令嬢ですが、仕事を奪った王宮が先に崩れました  作者: 水城ルナ


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117/121

第117話 公開

 返事は、二通書いた。一通目は、合同評議の準備室宛だった。短い。


 ――席は、辞退いたします。


 ――理由は、常任の席が、私の不在によっても決議を積み上げるためです。


 ――発足に反対はいたしません。


 二通目は、もっと長くなった。厚さにして、指の腹ほどある。表紙はつけなかった。題もつけなかった。中は、ただの手順書だった。


 第一に、分けたあとで着手順が決まらない場合の扱い。第二に、着手順を決める権限を、誰がどう持つかを確定させる手順。


 第三に、確認する者と承認する者を分ける理由と、分けたときに起きる典型的な失敗。第四に、引き受ける者が出ないときに、名乗れる場をどう作るか。


 第五に、外れたときに、誰がどう直すか。どれも、彼女が三年間、口でしか説明してこなかったものだった。


 書きながら、彼女は何度も手が止まった。書けば、それは教本になる。教本には名前がつく。名前がつけば、旗になる。


 (旗になる)


 その心配を、彼女はもう一度検討した。三年前に一度した検討を、今度は結論を決めずにやり直した。


 旗になるのは、書いたものに名前がついたときだ。名前がなく、しかも誰でも使える形で置かれたものは、旗にならない。旗にするには、掲げる者が要る。掲げるには、それが誰かのものでなければならない。


 誰のものでもないものは、掲げられない。彼女は、表紙をつけないことにした。序文も書かなかった。この手順の由来も、成り立ちも、書かなかった。


 書いたのは、手順だけだ。写しは、街の写字生に頼んだ。教会の脇に小さな仕事場を構えている男で、普段は遺言状と証文を写している。彼女が原稿を置くと、男はぱらぱらと繰って、少し顔をしかめた。


「これは、何の書き付けです」


「手順です」


「何の」


「決められないときに、決められるようにするための」


 男は、もう一度繰った。


「見たことのない型ですね。証文でもないし、教本でもない」


「教本には、しないつもりです」


「なぜです。これ、教本にしたら売れますよ」


 彼は、商売の顔で言った。


「題をつけて、書いた方の名前を入れて、序文を足せば、立派なものになります。うちで版を彫ってもいい」


「名前は、入れません」


「もったいない」


「入れると、売れます」


 リリアーナが言うと、男は怪訝な顔をした。


「売れると、困るのですか」


「困ります」


「はあ」


「もう一つ、お願いがあります」


「なんです」


「末尾に、この一行を足してください」


 彼女は、小さな紙を渡した。男はそれを読んで、また眉を寄せた。


「……誰が写しても構わない、出典も要らない、書き換えてもいい。本気ですか」


「本気です」


「こんな断りを入れる書き付けは、初めて見ましたよ」


「そうでしょうね」


 彼女は、それ以上説明しなかった。男も、それ以上聞かなかった。四部で、と伝えて、代金を先に払った。


 六日後に受け取りに行くと、男は五部を出してきた。


「一部、多いです」


「余分に彫りましたので。おまけです」


「頼んでおりません」


「まあ、そう言わずに」


 彼は、包みを押しやった。


「これ、写しながら読みましてね」


「……ええ」


「うちにも、揉め事があるんですよ。組合で、誰が徒弟を取るかで、三年揉めてる」


「三年」


「三年です。皆、正しいことを言うんですわ」


 男は、そう言って苦笑した。


「使ってみます。それで、駄目だったら文句を言いに行きますよ」


「どちらへ」


「そりゃ、あんたに」


 彼は、包みを紐で結びながら、平然と言った。


「名前がないなら、持ってきた人に言うしかないでしょう」


 リリアーナは、その言葉を、しばらく考えた。


「……ええ」


「怒りませんか」


「怒りません」


 彼女は、包みを受け取った。


「文句は、いちばん要るものです」


 一部はアルノーへ。一部はルシアへ。一部はオルシュの議場へ。最後の一部を前にして、彼女は少し迷った。


 迷って、宛名を書いた。中央神殿、カルド・ヴァルグリス。


 (……これで)


 封をしながら、彼女は自分のしていることの意味を確かめた。この手順は、写せる。誰でも使える。カルドが使えば、合同評議の手引きは完全になる。彼の構想は、これで最後の空白を埋める。


 埋めた瞬間に、その構想は、彼のものではなくなる。誰でも使えるものを、独占はできない。手引きの権威は、そこにしか書かれていないことから生まれる。どこにでもあるものを配っても、配る側に力は集まらない。


 彼女は、三年間、自分の方法を手元に置いていた。置いていたから、彼女がいないと止まった。止まるから、必要とされた。必要とされることが、彼女の権力だった。


 その権力を、手放す方法は一つしかない。誰でも持てるようにすることだ。使いに四通を渡したのは、翌日の朝だった。


 渡してしまうと、部屋には何も残らなかった。手元にあるのは、机の上の白紙一枚だけだ。中央に、一行だけ書いてある。


 その紙は、まだ誰にも見せていない。


 三日後、アルノーから返事が来た。


 ――受け取りました。


 ――第四のところで、手が止まりました。名乗れる場を作る、というのは、俺がやることでしょうか。


 ――やってみます。


 五日後、ルシアからも来た。


 ――拝受しました。


 ――星の読み方の教本を、七年前に写したことがあります。あれには、名前がありました。


 ――これには、ありませんね。


 カルドからの返事は、十日後に来た。封を切ると、紙は一枚だけだった。


 ――受け取りました。


 ――一つ、伺いたいことがあります。近く、伺ってもよろしいですか。


 リリアーナは、その一枚を、机の上に置いた。白紙の隣に並べると、どちらも同じくらい静かだった。

手順書の第四に「名乗れる場を、先に作ること」と書きました。

ここだけは、彼女が三年かけても言葉にしてこなかった部分です。書けたので、渡せました。


次回、受け取った側の話です。三度読んだ男が、三度目に何を考えたか。


ここまで来てくださった方は、ぜひブックマークを。

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